赤い髪ひるがえり(5)
息吐く暇もなくルオーたちの前に炎の壁ができあがっていた。怒号と悲鳴が響きわたる。しかし、肝心の警報音が聞こえてこない。
(検知されてない?)
余計に危機感を煽られる。
「ティムニ、警報装置はどうして働かないんです?」
『今侵入したー。切られてるー』
「事故ではないということですか」
警報装置が動いていないということは自動消火機器も作動しない。なんらかの手段を講じなければ火災が収まることはない。
「燃え方が異常ですね?」
様子のおかしかったジュリアを見る。
「あれを普通の格好で越えるのは無理ね。フィットスキンにヘルメット装備でどうにかってとこかしら」
「パット、備え付けの物があるか探してください」
「おうよ」
「緊急通報はされてます?」
救助が必要だ。
「したわ。早くとも数分は掛かるでしょうけど」
「僕たちの息のほうがもちません」
「まあね」
晩餐会の会場は高層階。窓が開く構造にはなっていない。排煙装置も作動しなければ換気もできない。轟々と燃える炎は急速に酸素を消費していて、数分と掛からず窓側の人間を一酸化炭素中毒で殺してしまうだろう。
(このままじゃ全員助からない)
すがりついてきたクーファを抱きとめる。潤んだ瞳で彼女は一縷の希望を彼に託していた。ルオーならどうにかしてくれると。
(ライジングサンもいなければアームドスキンもない僕になにができる?)
生身の彼は無力な男でしかなく、できることは非常に限られている。
「なんだ、これは! どうしてこんなことに!」
「先生、まずここは速やかな避難を。すぐにホテルの係員が他の者の避難誘導に来るでしょう」
「そうだな。待っていろ」
ミソノーの財務大臣であるダルシス・ザイグスはボディガードに誘導されてパーティー会場の広間から避難していく。ドア側の参加者も続いて次々と逃れていった。
「ああ、よかった。財務相はご無事のようです。僕が主催した会であの方の身になにか起これば取り返しがつかないとこでした」
キリク氏は安堵の息を吐く。
「それどころではありません、オンマ。我らの命が危機にさらされています」
「これくらいなんだという? そこにいるだけで危険なのは六年前までと大差ないではないか。耐えるのだ。身を低くしてギリギリまで救助を待て」
「そうでした。みんな、ぼくの指示に従っていただけますか!?」
レパが声をあげる。不運にも窓側で逃げ遅れてしまった人々は半ばパニックに陥りながらも耳を傾ける。
(キリク氏はもちろんレジットの人たちには悪意など微塵も感じられない。こんな人を死なせてはいけない)
ルオーの心にも火が点く。
「皆さん、窓を壊します。穴が開いたら危険ですがこちらへ。息はできますから」
はっきりと告げる。
「バックドラフトが起きるかもよ?」
「通路側のドアは開きっぱなしです。多少は火勢が上がるかもしれませんが、緩慢に死に至るよりマシです」
「正解ね」
ジュリアも賛同してくれる。
「フィットスキンはなかったぜ、ルオー。備えの点検もしてないとはな。こんなものはあったが」
「それは? やはり窓は壊さないといけませんね」
「よし、やれ。女性客はオレが守る」
彼は脇に吊るしたハンドレーザーを抜く。装備としては心許ないが、取り上げられなかっただけ幸運だったと思う。冷静に窓に向かうと数射した。
(空気は熱で膨張してるはず)
分厚い窓ガラスに穴が空き、互いに罅が走る。これが航宙船舶のように透明金属製であればアウトだったが、外部からの救助作業を見越して割りやすいガラス製になっている。割れたガラスは空気の圧力で外に向かって弾けた。
「きゃあ!」
「マズっ!」
一時的に火炎も窓側を襲うが、すぐに元どおりになる。空気の乱れは一瞬のことだ。それより、急がねばならない。
「君、それは?」
逃げ遅れた一人が叫ぶ。
ルオーはパトリックが持ち出してきたワイヤーランチャーを構える。近くの高層建築へとワイヤーを飛ばし、繋げて脱出する器具である。
「これで脱出します」
「やめろ! それは一発かぎりなんだぞ? もし、失敗すれば私たちは終わりなんだ! おい、誰か訓練を受けた軍や警察の人間はいないのか!?」
中途半端に知識を持っているらしい。
「黙ってろ、おっさん。ここはルオーに任せるのが確実だ」
「しかし、外はとんでもないビル風が舞っているんだぞ。素人が撃って成功するわけない」
「いいや、こいつは絶対に外さない」
「やめろぉー!」
聞く耳持たず、彼はトリガーを絞る。空中に放たれたアンカーはビル風にあおられて軌道をブレさせながらも隣のビル屋上の手すりへと向かった。通り過ぎたところでワイヤー放出を止める。反動でクルクルと巻き付いて固定された。
「これで、こちらを固定すれば」
「よくやった。オレに任せろ」
パトリックがテキパキとワイヤーを残った窓枠に固定する。さらに走行滑車を取り付けて脱出装置を作りあげた。その距離、200mほどだが真下にはなにもない。
「パトリック、君が先に」
及び腰の避難者に安全を示すように言う。
「了解だ。オレが先に行って受け止めるからご婦人方も安心してくれ」
「こっちでのベルト固定は僕がします。どうか命を預けてください」
「あたしも手伝う」
ジュリアも申し出てくれた。
自身を固定し滑り出していくパトリックをルオーは見送った。
次回『赤い髪ひるがえり(6)』 (もう少しだってのに!)
 




