猫耳社会に(6)
母親のジェラからは好意的と思える視線を受けているが父親のキリクはどう考えているかわからない。言動行動の幼い娘をたぶらかして取り入ろうとしている男に映っていても変ではないのだ。
(勝手に連れ出したから文句の一つや二つくらいは覚悟しとかなきゃねぇ)
ルオーは我ながら曖昧な笑みを浮かべて待ち受ける。
腕が伸びてきたときは胸ぐらを掴まれるかと思った。しかし、反射的に阻もうと持ち上げた彼の手をキリクががっしりと掴む。しかも両手で。
「君がルオー君だね? 娘をよろしく頼む」
「はい?」
「全面的に君に任せる。煮るなり焼くなり好きにしてくれ」
まさか父親まで発想が突飛なのかと勘違いしそうになる。だが、よく思い直すとおかしな内容ではない。単に、全てをルオーに委ねると言ってきているのだ。
「なんでです? 大事な娘さんのはずですけど」
尋ねずにはいられない。
「無論だ。愛している。が、しかしだ。クゥがなにを望んでいるのか、僕にはついぞ理解できなかった」
「わからなくもありませんが」
「手元に置いて不自由させなくとも、なにを与えようとも満足しているふうがない。自分で見つけるかもと思い、外にも出してみた。が、ふわふわと漂っているようでしかない」
父親にしてみれば、修行ではなく自由にさせたつもりだったらしい。
「そのクゥが唯一求めたのが君だ。ならば、ルオー君、どういう結果になろうと君に任せるのが娘の幸せには一番近いのだと思う」
「ですが、煮るなり焼くなりというのはどうにも」
「ルオにお持ち帰りされて食べられちゃったぁ」
当人が不穏なことを言う。
「ほほう」
「違ったぁ。食べさせられてるぅ」
「そこ、ひどい間違え方をしないでください」
冷や汗が出た。隣のアーギムの視線も一瞬だけ氷点下まで振り切ったように感じる。彼女にとってもクーファは大事な親友なのだろう。
「どうしているのか、話はクゥからよく聞いている」
キリクにどこまで話しているのか少し心配になる。
「最近はあなたの話しか聞かないもの。2%くらいパトリックさん?」
「憐れに思えてきました」
「色々な所に連れていってくださって、様々なものを見ているようですね」
ジェラはクーファの頭を撫でる。
「ちょっとずつ変わってきてるみたい。成長なのかはわからないけど」
「身近すぎて僕にもわかりません」
「よい変化だと願ってるの」
両親とも、クーファの心の内、行動理念ともいえる最も深い部分が理解できない。遠くもなく、とはいえそれほど近くもなく。彼らの親子関係は一般社会の常識では計れない複雑さを孕んでいるようだ。
「ただ、一緒にいて一つだけわかったこともあります」
ルオーは指を立てる。
「クゥは個人に執着することはありません。よほど大事な人でなければ。根底にある感性は、対象がご両親でも差異はないのではないかとまで思っています」
「だとすれば?」
「誰に対しても常にフラットです。つまり、大切だからこそお父上やお母上との繋がりは保っている」
淡々と説明する。
「しかし、そんなに熱情は感じないのだがね。どうしてほしいと言われた憶えがない」
「愛しているからだと思いますよ。自分がいつ病に倒れて急逝するかもしれない。お二人が彼女を大切に思うがあまり、悲しみに暮れて立ち止まってほしくはない。子どもならばそんな考えを持ってもおかしくないと思いません?」
「クゥ……、が?」
見れば、クーファは赤面して顔を逸らしている。図星を指されて恥じているようだった。あまりに可愛らしい仕草にジェラは耐えきれず抱きしめる。
「そうなのね、クゥ?」
「オンマもナンマもクゥが独り占めしちゃいけなくてぇ。レジットのためにずっとずっと働いてるからぁ」
「僕たちはクゥの将来が恵まれたものになってほしいから頑張れているんだよ? 決して種族の繁栄のみを願っているわけじゃない」
キリク氏も母子を両腕で包み込む。その目には光るものがあった。お互いを思い合うからこその関係性がようやく日の目を見る。
(大事に思うからこそ欠けていく恐怖は計り知れない。それを子ども心に感じてしまったんだなぁ)
苦境の中で育まれてしまった感性である。
(自身さえもいつ消えても大丈夫なポジションに置いておく。それがクゥにとって愛するということになってしまったんだねぇ。星間銀河に出てからは少しは変化したんだろうけど)
彼との関係性で判明する。クーファの中に好きと無関心は厳然としてあって、好意とは距離を取るから距離を詰めるに変わっている。一転して多くの人間の中で、忘れられないでいるのが重要だと覚ったのだ。
(それでも、失う怖さじゃない感性を持ってほしいよねぇ。一緒にいる喜び。ともにいられることの幸せを知ってほしい。寂しさってその向こうにあるんだからさ)
願うばかりである。
「取り込み中もうしわけない、キリク殿」
無遠慮な声が掛かる。
「到着が遅れてしまった。お話させてもらったポーラ・ボードナーです」
「おお、お初にお目に掛かる。僕がキリク・ロンロンです」
見事な赤い髪を結い上げた婦人が登場する。ポーラと名乗ったその女性は大柄な身体を綺羅びやかなドレスに包んで握手を交わしている。
その緑の瞳がルオーを流し見た。
次回『赤い髪ひるがえり(1)』 「それは奇遇ね?」