636.その手をどこで拭くつもり?
夜になってもユリアーナの熱は下がらず、夕食は侍女に任せた。私が顔を見せたら、あの子は遠慮したのよ。レオンやローズがいるから、一緒にご飯を食べてあげて。その一言に成長を感じると同時に、寂しい思いをさせることへの悔しさが生まれる。
この体がたくさんあったら、ユリアーナの看病をして、ヘンリック様と話し合いも出来て、子供達と向き合える。もちろん無理なのよ。だから優先順位を付けて対応するんだもの。わかっていても、感情は別だった。
家族での食事を優先したのは、眠る前にユリアーナの看病をするつもりだから。医者は明日もう一度診察してくれるよう手配をした。
「あにゃ……痛い?」
夕食の途中で、レオンがぽつりと零した。その不安そうな声に、明るい声で答える。
「風邪を引いて、お熱があるのよ」
なんでもないわ、すぐに治る。そう聞こえるように振る舞った。実際、風邪なのだから嘘ではないの。ただ明日治るかは不明なだけ。熱に心当たりがある顔で眉尻を下げたのは、ランドルフだった。レオンは発熱したことがあっても、年齢的に覚えていないでしょうね。
ローズはヘンリック様のお膝で、ぷいっと横を向いている。何か嫌いな物でも出されたのかしらね。
「早く熱がさがるといいな」
ランドルフの言葉はお見舞いの意味ね。伝えておくと話したら、なぜか照れて赤くなった。恥ずかしいのかも。
「いやっ!」
大きなローズの声に、場の雰囲気が変わる。注目されるローズは、手に掴んだ肉を口に放り込んだ。困り顔のヘンリック様のフォークには、何も刺さっていない。
「ヘンリック様?」
「あ、ああ。その……フォークで食べさせていたら嫌だと騒いで、肉を手で……」
掴んで口に入れた? 見ていなかったのが惜しいわ。ふふっと笑いが漏れた。悪いことなのに、叱るより笑ってしまう。ヘンリック様のフォークもそうだけれど、ローズは自分でもスプーンを握っているのよ? 左手のスプーンをそのままに、右手で掴んで食べる……写真に残したいくらいよ。
この世界に写真や動画撮影の技術がないのは、残念だわ。ガラスボタンの技術から判断して、あと百年はかかりそう。それも動かずに三十分ほど待つタイプだから、一瞬を捉えるのは無理。
食べ終えたローズは満足げに、汚れた手を……っ!
「誰か、手を拭いて!」
ヘンリック様は無理だと思ったから、侍女か侍従に頼むつもりで叫んだ。あの子、手を服で拭こうとしているわ。手にしたフォークをテーブルに投げ出したヘンリック様は、さっとローズの手首を押さえた。嫌だと仰け反って騒ぐローズの指を、駆けつけた侍女が拭う。
立ち上がりかけた中途半端な姿勢の私は、ほっとして腰を下ろした。目を見開いたレオンは、ローズをじっと見ている。
「ローズはご機嫌斜めみたいね」
「……まっちぐ、したら、いいのに」
真っすぐ? 可愛いレオンの発言に、そうねと同意しながら食事を終えた。




