616.男親の複雑な本音 ***SIDEカール
娘の夫であるケンプフェルト公爵と向かい合う。重厚な印象を与える黒檀の机が、執務室の中央に据えられていた。しかし、ヘンリック殿はそちらではなく応接ソファーへ案内する。
「突然、すまな……すみません」
済まないと言いかけて、言葉を直した彼に驚く。以前なら平然と言い放っただろうに。そう思いながら「普段の言葉遣いで」と告げた。爵位が違うのだ。娘の夫であろうと尊重するのが、伯爵家の当主である私の立場だった。
「では、その……ユリアーナのことだが」
義妹として預かってから、彼は「ユリアーナ殿」と呼ぶことをやめた。家族らしくなったと好ましく思う。アマーリアが口を出したのだろうか。
「父上殿はどうお考えか?」
「どう、とは?」
問われた意味が分からずに返してしまう。察しが良くないのは、昔からだ。よく妻にも叱られた。不機嫌にさせるかと懸念したが、ヘンリック殿は平然としていた。器の大きさが違う、とはこういうことも含まれるのだろうな。
「婚約者の実家で安全が保障されていても、娘を預けるのは……嫌だろう?」
いろいろ言葉を選んだ結果なのに、真っすぐ届く。会話の本質を誤らない人らしい。冷静にそう考える頭の半分が、違うことに逸れていく。
「ユリアーナはいずれ嫁ぐ身です。婚家となるティール侯爵家が大切にしてくださるなら、提案を拒む気はありません。私がしてあげられなかったことも、アマーリアや婚約者のオイゲン殿がしてくれる。ただ……一つだけ」
一つだけ不満があった。いや、不満と表現するのも違うか。躊躇いながらも、本音を吐き出した。きっと、ヘンリック殿が聞きたいのは本音だろうから。彼も娘を持って、やっと実感したのだ。愛する娘が嫁いだ先での扱い、あれこれ噂されることへの不安を……。
できれば手元に置いて、結婚などせずにいてくれたら。ずっと一緒に暮らして離れずにいられたら。それは娘を愛する父親なら、必ず通る道だった。ここを通り過ぎれば、あの子が幸せならばいいと手を離してやれるのに。
「この手で今の幸せを与えてやりたかったと、そう思います」
「父上殿は十分に……」
「いえ、わかっております」
子供の幸せを願うのに、他者から与えられた事実に揺れる。悔しいのも、悲しいのも違う。ただ与えられなかった事実が突き刺さるのだ。
「ヘンリック殿は、ローザリンデ嬢を大切になさってください。将来、嫁に出すときに後悔しないよう、精いっぱいの愛情を注がれるとよいでしょうな」
「っ、はい」
複雑そうな感情を呑み込み、ヘンリック殿は頷いた。そこから酒瓶を開けて、中身を空けて。次の瓶をまた開けて……飲み続けた。アマーリアが決めたことに不満はない。ティール侯爵家の気遣いに感謝もしている。
ほんの少し、足りない自分が切なく思えるだけ。ただそれだけなのだから。喉を焼く強い酒を煽り、柔らかなソファーに崩れ落ちた。




