577.お父様よりお兄ちゃんね
揺られて到着した途端、ローズが吐いた。途中で顔色が悪かったから、ある程度予想はしていたの。多めに持ってきたタオルで受け止める。
「うわぁああああ!」
吐いたことに自分でびっくりしたローズが、絶叫するように泣く。口周りを拭いて、抱き起こす。ぐずぐずと泣き続ける背中をぽんぽんと叩いた。もしこれで吐いちゃうなら、それも仕方ないわ。お弁当だけ置いて帰ればいいのよ。
こういう時、貴族夫人はどうするのが正しいのかしらね。侍女に任せて、我が子を抱かない? それ以前に連れてこないのかも。赤子のディだったら覚えていない年齢だから、置いていくのが正しいわ。でもローズはもう記憶が残るでしょう。
大好きなお兄ちゃんが母親と一緒に出掛けて、自分が置いて行かれた。そんな悲しい記憶は持ってほしくないの。連れてきたのは失敗だったとしても……。
「ろじぃ、痛い?」
「少し苦しかったみたいね。先に降りていいわよ、レオン」
ランドルフは声を掛けなくても、下りる準備を始めていた。こういうとき、一緒におろおろする幼子も可愛いけれど、しっかりしたお兄ちゃんがいると助かるわ。
「レオン、先に降りよう。アマーリア様もすぐ来るよ」
「……うん」
不満そうだけれど、レオンは小さな籠を抱えた。ジャムの入った瓶とタオルを詰めてある。ローズの背中を撫でながら頷いた。しっかりと頷き返し、小さな背中が馬車から降りる。手を伸ばして支えたのは、ランドルフだった。
「どうした? ああ……酔ってしまったのか」
迎えに来たのに、私が降りてこない。顔を覗かせた夫は、苦笑いして手を伸ばした。幸い、吐しゃ物はタオルですべて受けたので、ドレスは汚れていない。先にローズを渡してから、自分の身なりを確認した。問題なさそうね。
差し出されたヘンリック様の手を取り、ゆっくりと降り立つ。
「お任せください」
小声で請け負ったのは、リリーだ。馬車の後ろには、侍女や侍従が同行する際に座れる席がある。そこから降りて、中を見て察したのでしょう。片づけは彼女に任せるしかなさそう。
「お願いね」
小声で信頼を示し、ローズを抱いたヘンリック様と腕を組む。片手でローズを支えるヘンリック様へ、足元からレオンが声を掛けた。
「ろじぃ、僕と手をつなご?」
両手を伸ばしておいでと示す兄に、ローズは首を傾げた。赤い目元は泣いたせいね。腫れないように冷やす準備も必要だわ。
「……にぃ、と」
レオンと一緒に行く。手を伸ばして意思表示する娘に、ヘンリック様の眉尻が垂れた。レオンとローズを交互に見て、諦めた様子で頷く。動きやすいよう私も手を離したから、なんだか夫が泣きそうだわ。
「ろじぃ、らるふも」
ローズを真ん中にして、レオンとランドルフが手を繋ぐ。仲良く歩く後ろで、私はヘンリック様に腕を絡めた。見下ろす彼に笑顔を向ける。
「こうして夫婦で歩くのも久しぶりですね」
「っ、そうだな」
嬉しそうに頬をほんのり赤く染めるヘンリック様が可愛い。私より一回り近く年上なのに、可愛いのよ。いつもと同じ客間へ向かう私達を追う視線で振り返る。誰か、見ていた? でも該当する人が見つからなくて、首を傾げた。変ね、気のせいかしら?




