53-1.(ユリアン)あの頃はわからなかったけど
師匠の練習は厳しい。音やリズムを外せば「へたくそ」と容赦なく指摘され、ひたすら何時間も弾き続ける。指が疲れて動かなくなる頃、ようやく終わるんだ。最初はしごきじゃね? と平民に交じって暮らした際の言葉が口をついたが、いまになれば感謝している。
こうして人前で弾いて恥をかかないレベルまで、育ててもらった。考えてみたら、師匠が弟子を取ったって、メリットは何もないんだよ。面倒を見るクソガキが増えるし、自分の練習時間が削られる。その上、まだ未熟でへたくそな演奏を毎日聴かされるんだぜ?
耳を澄ませて聴いて指摘するたび、クソガキは嫌な顔をする。気分が滅入るだろ。そう気づいてから、俺は素直にお礼を言って直すようにした。リア姉の教えだけどさ、自分がされたら嫌なことを誰かにするな。これって、逆も言えるんだよ。
してもらって嬉しかったことを、他の人にしてあげる。リア姉の生き方って、本当にこれに尽きるんだよな。離れてから気づいたなんて、鈍感にも程があるけどね。気づいただけマシかな。すでに気づいていたっぽいのが、エル兄だろう。
他国の演奏会に呼ばれて、師匠の荷物を作る。これって弟子の仕事だと思うから、着替えや衣装を箱に詰めて、靴を磨いた。昔さ、父上が出かけるときにリア姉がやってたんだよ。靴は自分が思うより他人に見られるから、ここだけはきちんとしないと! ってさ。
あの頃は見ていても聞いても理解できなかった。でも、確かに王侯貴族の集まりに呼ばれると、他人の靴って気になるんだ。せっかくいい服を着ていても、靴が汚れていると台無しに感じる。逆に襟元を崩していても、靴がちゃんと磨かれていたら「普段はきちんとした人なんだろう」って思えた。
襟は理由があって緩める人もいるし……袖が汚れてても、途中で何かあったのかな? と余裕をもって考えるようになった。
磨いた靴をもう一度確認して、満足して靴墨を置く。つい、その手で鼻の下をこすってしまい……やっちまったと肩を落とした。落ちにくいんだよなぁ……。
「靴を磨いたのか? ありがとう……これって使用人の仕事だろう。なんで君がやってるの?」
不思議そうな師匠に、姉に言われた言葉を繰り返す。
「リア姉? ああ、ケンプフェルト公爵夫人のことか。あの方はそれで……」
言葉を切って頷くから、続きが気になった。
「それで、なんなの?」
「相変わらず普段の口調は直らないね。貴族らしい話し方を心掛けなさい。普段からやらないと、付け焼刃では見透かされるよ」
叱られて、はいと答える。でもやっぱり続きが気になった。




