5月第1週(2)
「若木ダンジョン」の最終階層である三階層。
階段を降りてすぐにモンスターがポップしない安全フィールドがあって、そこから短い直線通路を進むと、広い空間に出る。
――ボス部屋だ。
ダンジョン踏破の最後の障害、ダンジョンボスが待ち構えている。
ボス部屋の最奥には【ダンジョンクリスタル】があって外の世界と繋がっているが、ダンジョンボスを倒さない限り起動しない。
緊急脱出アイテム【クリスタルの欠片】は存在するが、それではダンジョン踏破にならないので今は論外。
つまり、ボス部屋では必ずダンジョンボスを倒す必要がある。
ボクは安全フィールドを素通りしてボス部屋に突入した。
ダンジョンボスはゴブリン・アーチャー。
【木の弓】を装備して【木の矢】を放ってくる。
そのモーションは隙だらけで単体なら脅威にならない。
だが、そこはダンジョンボスらしく三体のゴブリンを従えている。
ボクとゴブリン・アーチャーの目が合い、グギャグギャとゴブリン語で三体のゴブリンをボクへけしかけた。
さあ、ラストスパートだ!
可能な限り速攻でダンジョンボスのゴブリン・アーチャーを倒すにはどうすればいいか。
ボクは「若木ダンジョン」をもう何十回も踏破している。
だから彼らの戦略パターンは把握している。
今回は三体のゴブリンのうち二体を攻撃に、一体を守備にまわすようだ。
攻撃側の二体は直線に重なり合うようにして突っ込んでくる。
ふむ、そのパターンは――大きく迂回するが正解。
ギリギリ引きつけてのサイドステップ・アンド・ターンでは、前方のゴブリンをかわせても後方のゴブリンがかわせない。
ボクとゴブリンの足はボクの方が速いから遠回りするように動けば、ご覧の通り!二体のゴブリンを振り切った!
あとは守備のゴブリン一体とそれに隠れるように矢をつがえるゴブリン・アーチャー。
ゴブリン・アーチャーはこう思っているだろう。
ボクがゴブリンと剣を交えれば良し。その隙に矢を放つ。あるいは、ゴブリンを右にかわすか、左にかわすかの二分の一だと。
ならば、ボクは左右どちらでもない方法でかわす!
足にぐっと力を込め、ジャンプ――守備のゴブリンの肩を蹴って、飛び越えて――この日、初めて【鉄の剣】を鞘から抜き放ち――
「っ!」
ゴブリン・アーチャーの【木の矢】は上空のボクに狙いをつけていた。
ここにきて初パターンかよ!
矢が放たれる――
引き伸ばされる時間の中――
顔めがけて飛んでくる鏃がはっきり見えて――
無意識に剣を振るう――
急速に時間感覚が元に戻る。カキン、と金属音が鳴った。
え、うそ!矢を弾いた!
こんなマグレある?っと、そんな場合ではない。
ボクはゴブリン・アーチャーの背後に着地すると、剣を横薙ぎにコマのように一回転した。
ゴブリン・アーチャーの首が飛ぶ。
ダンジョンボスは確実にドロップアイテムを落とすし、運が良ければ一攫千金の宝箱をゲットできる。
だが、ボクの頭の中は今の戦闘で減速してしまったスピードのことでいっぱいだ。
うぉおおお!ボクの足、動けぇええええ!
ボクは最後の力を振り絞り、最奥の【ダンジョンクリスタル】に到達する。
殴りかかる勢いで、左腕の腕輪――【シーカーリング】と【ダンジョンクリスタル】を触れ合わせる。
+++
!若木ダンジョン(初級)クリア!
!おめでとうございます!
参加メンバー(名前/ジョブ)
・アライ ハヤテ / 剣士
ダンジョンの外にワープしますか?
Yes / No
+++
ボクはポップしたウィンドウの「Yes」に指を叩きつけた。
*
一瞬の意識の空白の後、元の世界へ。
木漏れ日が穏やかな森林に帰ってくる。
ボクは「【リンカー】、配信停止!」と叫んだ直後、力尽きて地面に仰向けに倒れる。
「イエス。配信を停止ます。配信時間は7分04秒、再生回数は1回です」と【リンカー】が返答。
心臓がバクバクと鳴り、肺が新鮮な空気を求めてやまない。
「ゼェ……ゼェ……7分04秒、か……」
ベストタイムに2秒届かず。
7分の壁も破れなかった。
それでも――
「気持ちぃいいいいいいいいいいいい」
ああ、最高だ。ああ、至福だ。
ダンジョン踏破の達成感は何度味わってもいいものだ。
それが速ければ速いほど言うことはない。
脳内ではドーパミンがドパドパ出ているだろう。
ボクは今この瞬間、生きている!
……まあ、ボクがちょっと変なことは分かっている。
こんな初級ダンジョンを踏破したところで。
タイムに一喜一憂したところで。
しかも、シーカーの主収入であるドロップアイテムを一つも拾ってないなんて阿呆の所業である。
さらに言えば、ダンジョンに突入できるのは一日一回だけ。
これは「国際シーカー組合」でシーカーの過度な探索を防ぎ健康を守るために明確に規定されている。
つまり、ボクの今日の稼ぎは0円です、はい。
だからこれは娯楽なのだ。
ボクが自分の人生を賭すほどの、最高の。
*
ようやく呼吸が落ち着いてきたボクは立ち上がる。
もうここには用はない。いや、明日また来るけどね?
ボクは至福の余韻を噛み締めながら「森林地区表層」の出口へ歩き出す。
ふと思い出したことがあり、「【リンカー】、今日のボクの配信の再生回数を教えて」と聞いてみる。
「イエス。今日のマスターの配信の再生回数は1回です」と【リンカー】が返答。
やっぱり、再生回数は1回か……
別にがっかりしているわけでなく、逆だ。
なぜか毎回、どこの誰かがボクの配信を見ているのだ。
初級ダンジョンを踏破するだけの何の面白みもない配信を。
視聴者は完全に無視しているのに。
ほんと、何で?
しかも、【Dネット】の配信チャンネルにあるボク専用のマイページには、登録者数が「1」とある。
同一人物か分からないが、ボクの配信を見る物好きなんて他にいないだろう、きっと。
ボクは首を傾げるが、答えが出るはずもなく。
もう少しで出口に着くところで。
前方に人影があることに気がついた。
燃えるような赤毛を持つ少女だった。
【布のマント】を羽織っていることからジョブは「魔術士」だろうか。
白のブラウスにロングスカートという普通の格好だが、スタイルがすごく良く、赤毛もあって何とも派手な存在感を放っていた。
赤毛の少女がボクの進行方向で仁王立ちしている。
二つの吊り目はボクをきっちりロックオン。
もちろんボクは知り合いではない。他の誰かを待っているのだろう。
ナンパとか勘違いされたら面倒なので。
ボクは少女に目を合わせず、でも同業のシーカーとして軽く会釈して、そのまま横を通り過ぎて――
「待ちなさい」
いきなりの声で反射的に立ち止まった。
うん、分かっている。他の誰かに声をかけたのに勘違いして恥ずかしいやつだ。手を振られて、つい手を振り返した苦い記憶が。
とりあえず確認も込め振り返る。
少女の吊り目とボクの目が合う。合ってしまった。
……え?ボク?
「ん」
少女がおもむろに左手を伸ばす。
手首には【シーカーリング】があって、指には赤いルビーのような輝きを持つ指輪がはまっている。
おそらく魔術具――ジョブ「魔術士」が使う魔術が込められた発動体だ。
ならば、少女のこの動作は攻撃モーションか?
いや、ダンジョンと訓練施設以外での魔術行使は違反のはず。
「ん!」
少女の左手はボクに伸ばされた形で止まっている。
まるで握手を求めているみたいな?
「やっぱりお金が必要なわけ?」
「やっぱりって何!?えーっと……握手ってこと?」
「そうよ」
ボクは少女と握手する。
女の子らしいほっそりした指とすべすべの肌。
彼女いない歴=年齢のボクにとってこの触れ合いは歓迎すべきことなのに。
困惑しすぎて全然、楽しめない。
「ところで君は一体……」
「ファンよ」
「ファン?」
「あなたのファンって言ってるの。悪い?」
「……いや、悪くないです」
問、いきなり「あなたのファン」と言われたボクの気持ちを答えよ。
解――パニックだよ!
ファン?ボクの?あり得ないだろ?
まだ扇風機とか空気清浄機のファンの方が可能性があったわ。
何を言っているか分からない?うん、ボクも分からない。
「それじゃ」
ボクの心を乱すだけ乱して、少女は手を離すと、ボクの横を通り過ぎ堂々とした歩みのまま「森林地区表層」の出口を出て行く。
ボクはぽかんと間抜けに口を開けて彼女を見送るしかなかった。
数分経って、思考が落ち着いてきて。
とある可能性が脳裏に閃く。
まさか、ボクの配信の再生回数が「1」、マイページの登録者数が「1」の正体が――あの子ってこと?