表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

ノルンディード王国のお話

婚約破棄をつきつけられたら完璧ショタ王子から熱烈に求愛されました

作者: 綴つづか




「ジゼル・ヴィオラント侯爵令嬢! 王太子たる私の婚約者にあるまじき所業、胸に手を当てて考えてみるがいい! 本日この時をもって、君との婚約を破棄をさせてもらう!」

「ええ……?」



 学園のホールにて、卒業記念のパーティが始まる間際。

 このめでたき日を祝い、卒業生も在校生も一同各々さざめきあい、始まりを今か今かと待ちわびていたその時だ。

 突如、この学院に在籍する誰しもにとって、耳慣れた声が響いたのは。

 強く自信に満ち溢れたその声音は、ノルンディード王国第一王子、ノクティス・セラフ・ノルンディード殿下から発せられた。

 浅く刈った淡い金髪に紫の瞳を持つ彼は、一人の女生徒の腰を抱き寄せながら、ホールの中央に躍り出た。

 そして、友人と談笑をしていた目の前の少女――婚約者であるはずの私、ジゼル・ヴィオラントを強く見据え、先のような言葉を投げ放ったのだ。


 しん……と、水を打ったかのように、パーティ会場は静けさに包まれた。生徒たちは一体何事かと固唾を呑んで、なりゆきを見守っている。

 ホール内の視線すべてを集める中、侯爵令嬢として、あるまじき気の抜けた声を漏らしてしまったのは、つきつけられた内容が、あまりにもあまりすぎたから。動揺や緊張などは一切感じていない。私の脳裏に浮かんだのは、ただ一つ。


 こいつ、とうとうやりやがった!


 ツッコミがいがたくさんあるなと、表向き笑顔を崩さず、私は内心で盛大にため息をついた。

 いつか何かをやらかすだろうとは思っていた。

 だが、正直、卒業という一大イベントたるこのよき日に、婚約破棄を堂々と宣言されるとは、予想だにしていなかった。

 その程度の分別はあると思っていたのだが、買い被りだったようだ。王族を称するなら、空気くらい読んでくれないものだろうか。

 そもそも、ノクティス殿下は現時点で王太子ではない。この後執り行われるの立太子の儀を経て初めて、正式に王太子の扱いを受けるのだ

 それに、婚約者にあるまじき所業とは、一体何のことだ。

 これでも、幼い頃から勉学に励み、教養を身に着け、厳しい王妃教育を乗り越え、王国に咲き誇る淑才女という二つ名までもらった令嬢中の令嬢たる自負はある。

 その私に対して、煽るような言い方。正直、心当たりがなさ過ぎて、首を捻ってしまう。

 それもこれも、王家にありながら勉学も武術も特筆して秀でたものがなく、生真面目で基本的に悪い人ではないのだが、いまいちぱっとしないノクティス殿下を支えるため。

 この婚約が、政略的な意図をもって組まれているのを、彼はきちんと理解しているのだろうか。

 理解はしているのだろう。だが、感情が受け付けなかった。恐らくそんなところか。

 伊達に長らく付き合ってはいない。彼の行動原理など、ある程度は予測できる。


 私は友人に目配せをしてから、凛と背筋を伸ばし、ノクティス殿下に向き直った。ミルクティー色の長い髪が、ふわりと空をたなびく。

 何一つとして、恥じることはない。受けてたとう。


「ノクティス殿下、ご自分が何を申されているのか、ご理解されていらっしゃいますか? 一体どういった理由で?」


 そう尋ねながら、私はノクティス殿下に身を寄せる少女へと視線を流す。

 怯えた風に琥珀色の瞳を潤ませた可愛らしい少女は、緩くウェーブがかったピンクブロンドを揺らしている。

 耳たぶと首元に、きらきらと輝くアクセサリーが美しい。パーティーは一律制服参加だが、送り出す側の在校生なのに、卒業生を差し置いて、やたら主張が激しい。男爵令嬢では到底手が出せないほどの高価な宝石は、ノクティス殿下からの贈り物だろうか。

 彼女は、マクベル男爵令嬢のディアーナ様。

 学院で王子を始めとした男子生徒から人気のある、曰く小鳥のように可憐で愛らしい少女だ。華奢でありながらも出るところは出た豊満な肢体に、甘えるような声、ふわふわと危なっかしくも自由な性格で、庇護欲をそそり男性を虜にしている。私とは正反対。

 だが、これがとんだ食わせ物。

 ノクティス殿下から絶対に見えない陰で、ディアーナ様は勝ち誇った笑みを浮かべている。この状況で、優越感に浸れるとは、なかなかに図太い。

 しかも、柔らかな胸をここぞとばかりに腕に押し付け、セックスアピールをかけているのを、私は見逃していない。仏頂面な殿下の鼻の下が、わずかに伸びている。

 今どきこんなあからさまな女に惑わされる令息がいるのかと思っていたら、まんまと自分の婚約者が引っかかったと知ったあの時の私の衝撃と言ったらなかった。

 フンと鼻を鳴らしたノクティス殿下は、不愉快げに眉根を顰めた。


「ジゼル、君は、このディアーナ嬢をいじめたそうだな」

「いじめ……ですか? そんな幼稚なことをした覚えは、とんとございませんが」

「誤魔化す気か。彼女の教科書やノートを破ったり、汚水をかけて制服をダメにしたり、彼女を階段から突き落とそうとしたそうじゃないか! あわや大怪我をするところだったんだぞ! 何て悪辣な。大方、愛らしい彼女に嫉妬してのことだろう!」


 一人ヒートアップするノクティス殿下に対し、私ははてと小首を傾げる。

 いじめ、ねぇ。

 もちろん、そんな馬鹿げた真似をした記憶はない。婚約者がいる男性に、不用意に近づくのは淑女としてどうかと軽く注意をした気はするが、それっきりではなかったか。

 それに、ノクティス殿下に再三物申しても、「ディアーナ嬢とは友人だ」とか「君は私を疑うのか?」とか何とか言って、右から左に流すだけで、態度を改めようとしない。進言しても無駄だと諦めたのは、果たしていつだったか。


「わ、私……凄く恐くて……ですが、身分的に逆らえなくて……ずっと辛くて……」

「ああ、可哀想に。泣かないでくれ、ディアーナ、私の運命」

「ノクティス様……嬉しい……!」


 涙の膜を浮かべ、か細い声を震わせたディアーナ様を、ノクティス殿下がそっと抱き寄せ、二人は周囲を忘れたかのように熱を帯びた瞳で見つめ合う。

 うわ、何て恥ずかしい茶番。青筋を浮かべなかった私を、誰か褒めて欲しい。


「そんな幼稚な……」

「ええい、口答えをするな! してよいことと悪いことの区別すらもつかないのか、君は!」

「だから、私じゃないですってば……」

「目撃者もいるんだ。言い逃れはできないぞ。さあ、罪を認めろ!」


 ノクティス殿下は、胸を張る。その自信は、果たしてどこからくるのだろう。

 何だか頭痛に襲われそうだ。思わず額に指先を当ててしまった。今日は予想外のことが起こりすぎる、斜め下に。

 ノクティス殿下とディアーナ様の背後に控える者たちが、その目撃者とやらだろうか。ディアーナ様に熱を上げている男性だったり、甘い汁を啜るべく組する取り巻きだったり、あるいは脅され金を握らされた令嬢だったり。殿下の側近のほとんどが、その場にいないことだけが救いか。

 今どき、教科書を破っただの汚水をかけただの、きちんと家で教育を受けた貴族による嫌がらせにしては、あまりにも低俗すぎる。学園入学前の幼い子たちだって、やるか怪しい。階段はさすがに洒落にならないけれども。

 でっちあげもいいところだが、すっかり興奮しているノクティス殿下は、聞く耳を持ちそうにもない。

 可もなく不可もない男だが、割と頑固で、自分がこうと決めたら絶対にこうという融通のきかなさがある。為政者になるには致命的だと言われていた悪い癖が、如実に現れていた。

 ノクティス殿下の頭の中は、ディアーナ様を守り悪を断罪する、物語のヒーローのような展開で占められているのだろう。何ともお花畑で羨ましい。


「お言葉ですが殿下、そんなせせこましくて涙ぐましいいじめなんかせずとも、マクベル男爵家お抱えの商会を、我が家の商会の手で物理的に潰したほうが手っ取り早いです。やるなら徹底的にやらねば舐められます。もちろん、実際するかどうかは別の話になりますが」


 私は粛々と事実を述べた。

 状況を見守り、ひそひそとざわついていたホールが、ぴしりと固まった空気に変わったのが解せない。

 そもそもこれだけ身分差があり、侯爵家は盛大に商売もしている。小癪な手段を取らずとも、ろくな後ろ盾もなく商会一つでどうにか成り立っている男爵家などひとたまりもない。裏から手を回す必要すらもないほどに。第一、件の商会については良い噂を聞かないため、良心も痛まない。

 大体、万が一にも、ノクティス殿下の思惑通りに事が運んだとしたら、私は嫉妬で教科書を破って、汚水をかけて、階段から突き落とした罪で婚約破棄をされた令嬢のレッテルを貼られるのだ。ちっちゃい。ちっちゃすぎて、逆に私が恥ずかしいし、私のプライドが許さない。

 間諜を忍ばせているであろう近隣諸国に、こんな間抜けな話が知られてみろ。笑い者もいいところである。


「ジゼル! きっ、君は血も涙もないのか!? そんな身分を笠に着るような真似をして! やはり君は王妃にふさわしくない!!」

「ひ、酷いですわ、ジゼル様!!」

「昔から可愛げのない女だと思っていたんだ!」


 表情をこわばらせたディアーナ様を守るよう、しっかと抱きしめたノクティス殿下から、忌々し気に睨みつけられる。あんまりな罵りようだが、その言葉そっくり返したい。

 正式な婚約者たる私が存在するにもかかわらず、他の女に現を抜かした挙句、身分を笠に着て一方的に公開処刑しているのはどこのどいつだ。

 言葉にまとめると、本当に情けないし、王家の人間としてあるまじき醜態だとわからないのか。私は、段々と悲しくなってきた。


 とはいえ、ノクティス殿下も、ある意味可哀想な人なのだ。

 目に見えるほどの才能に恵まれもしない。努力を重ねても、成果はなかなか出ない。私という出来の良い婚約者をあてがわれ、更に自分よりもよっぽど優秀な弟が控えている。意固地にもなるだろう。

 ノクティス殿下が、板挟みに苦悩しているのを、私は知っていた。

 それでも、彼には苦境をはね退けて欲しかったのだ。

 はね退けなければならなかったのだ。

 今は見る影もないが、比較的温厚で生真面目な性格のノクティス殿下の周りには、多くの優秀な人材が集まっていた。彼は一人じゃない。誰の手を借りてもいい。王にはそれぞれ王としてのやり方がある。

 けれども、ノクティス殿下はそれを見誤り、この女に付け込まれた。

 正直、王家の人間が、いとも容易くハニートラップに引かかるとは。教育係は何をやっていたんだ。

 基本優秀で堅実に国を治めてきたノルンディードの王族だが、時折、抜けていたり傲慢だったりする王子王女を産み育ててしまう。直近だと3代前の第二王子とその派閥がしでかした事件は、歴史書に記され、教訓としても新しい。彼は幽閉されたまま、二度と日の目を見ることなく若くして命を落としている。


(……潮時、か)


 婚約者としてそれなりの時間をノクティス殿下と共に過ごしてきたから、私ももちろん情がないわけではない。国を治めるパートナーとして、手を取り協力し合っていこうという意識を、お互いに育んできていたはずだ。

 だが、さすがにこれは救いようもない。許容範囲を超えている。

 さて、どうしたものか。

 このままでは膠着状態に陥って、ありもしない罪を押し切られてしまいかねない。馬鹿馬鹿しくはあるものの、事前準備が万端であろう殿下方が有利なのは違いない。

 いじめなどしていないと創世神ウィルキオラに誓って言えるが、していない証明は非常に難しいのだ。



「おや、これは一体どうしたんですか?」



 ――その時だった。

 ホール内に、軽やかで高い声が響いたのは。

 緊張感と静寂に包まれた室内に、コツコツコツとヒールの立てる一歩が、やけに大きく聞こえる。

 柔らかく光を受けてきらめく金髪をなびかせ、碧い瞳には生き生きとした輝きが伺える。まだどこか幼さの抜けきらない顔立ちは非常に整っていて、自然誰しもの目を惹く。白地に金と藍を基調とした豪奢な正装姿は堂に入っていて、涼やかな彼をますます引き立たせた。

 宰相閣下を引き連れて私の傍らまでやってきたのは、サイラス・ケルヴ・ノルンディード殿下。ノルンディード王国第二王子であり、ノクティス殿下の弟君。

 ――御年10歳の少年である。

 こんなに凛々しいたたずまいなのに、身長はまだ私の胸元くらいしかない。ちっちゃい。可愛くて、現状を忘れてにこにこ微笑んでしまいそうになるのを、ぐっと堪えた。

 両手に真っ赤な薔薇の花束を携えた彼は、周囲を見回しながら、場を和ませるようににこりと笑った。


「卒業という晴れの日に、このただ事ならぬ空気、揉め事であれば見逃せませんが……。かよわい女性一人を寄ってたかって取り囲むのは、いかがなものでしょう」

「サイラス……! 何故お前が……」

「卒業式に引き続き、父上の名代として挨拶をと思いまして。義姉上(あねうえ)もいることですし」


 サイラス殿下が、柔らかな視線を投げてくる。心配しないでと言っているようだった。私も目を細めて小さく頷き返す。

 そんな態度が癇に障ったのだろう。ノクティス殿下は、はっと吐き捨てた。


「義姉上などと呼ぶな、サイラス。もはや、その女と婚約を続けるなど言語道断。ジゼルは、私の愛するディアーナを影でいじめていたのだからな!」

「……兄上、随分不穏なことを平然とおっしゃいますが、それは本当で?」

「ああ、目撃者もいる!」


 ふんぞり返るノクティス殿下に向けて、サイラス殿下はちょこんと小首を傾げた。あざとい仕草だ。


「ふーん。それは不思議ですね。僕は影からそのような不審な報告、一切受けておりませんが……」

「なっ……!? 影、だと!?」


 ざわざわと、にわかに周囲が騒がしくなる。

 ノクティス殿下による一方的な断罪の舞台が、サイラス殿下の登場によって真逆に動き始めた。


「ええ。おかしなことではないでしょう。義姉上は、将来的に王妃になる予定の女性です。何か不祥事があっては困る。秘密裏に王家の影をつけて、一挙一動を見張らせていました。後ろめたいことがなければ、影とて護衛のようなものですからね。その影からの報告によると、義姉上がマクベル男爵令嬢を虐めたなどという状況は、一度も起きていませんよ。何かの間違いでは?」


 私の潔白を証明してくれる人がいた。王家の影さん、ありがとう。諜報と護衛を担う国の機関が上げた報告ならば、最強の保証になる。清廉潔白に日々の生活を送っていてよかったと、これほどまでに思ったことはない。

 私は、ほっと胸を撫でおろす。

 危ないところだった。天は私を見捨てていなかった。

 身柄を拘束される前に、護衛を振り切って逃亡し、一旦身を隠すかまではちょっとだけ考えていたくらいだ。私に過保護で、権力を持つ兄たちの手にかかれば、その辺割とどうとでもなるので。


「それよりも、兄上の方が酷い」


 愛らしいサイラス殿下の様相からは考えられないくらい冷ややかな響く声音に、ノクティス殿下はぎくりと身を強張らせた。どうやら、自覚だけはある模様。

 サイラス殿下の隣に立つ宰相閣下が、眼鏡の奥の鋭い瞳を険しくさせた。


「政務を怠るばかりか、生徒会長としての仕事も、任期間際はろくすっぽこなしていなかったご様子。側近たちが、女性に血迷ったと嘆いていましたよ」

「陛下にお願いして、兄上にも影をつけておいて正解でした。兄上の様子がおかしいなと思ったあたりから、何かが起こりそうだという予感はありましたからね。まさか、こんな醜態をさらす羽目になろうとは……」

「嘆かわしいことです」


 サイラス殿下と宰相閣下が、やれやれと首を振る。


「これは、陛下からの伝言ですが……女の色気にたぶらかされて、政務も学業もおそろかにして、入れ上げた男爵令嬢に民からの血税である王家の財を貢ぎ、無駄に横領する男は、王家の次代にふさわしくない。よって、ノクティス殿下から継承権をはく奪、辺境伯領で心身を鍛え直してもらえとのことです。つきましては、サイラス殿下を正式な後継者として認めるとのことです」

「僭越ながら、拝命致しました」

「そ、そんな馬鹿な……」


 ノクティス殿下はその場にがっくりと項垂れ、膝をついた。

 宰相閣下の宣言に、泡を食ったのはディアーナ様だ。


「う、嘘、嘘でしょ!? ノクティス様は、王様になれないの!? それじゃあ私が王妃になれないじゃない! そんなの、今までやってきたことの意味が……!」

「ディ、ディアーナ……?」

「あ、の、ノクティス殿下、私たち、ご縁がなかったようですね……?」

「ディアーナは……私を愛しているんじゃなかったのか……?」


 ぶつぶつと小声でディアーナ様が呟いた言葉は、それは酷いものだった。

 颯爽と掌を返した彼女に、ノクティス殿下の顔色が、みるみる青ざめていく。

 彼女は、ノクティス殿下を愛していたのではなかったのか。

 互いを運命と呼び、人目もはばからず身を寄せ合って、まっとうだった婚約者たる私に濡れ衣を着せてまで欲した結果がこれ。滑稽な。ハリボテの恋は、あっけなく幕を閉じる。わかっていたことだが、ノクティス殿下があまりにも不憫だ。

 ディアーナ様は、呆然とするノクティス殿下を支えるでもなく、身をじりじりと引いて、この場から逃亡しようとしている。

 だが、そうは問屋が卸さない。口火を切ったのは、もちろんサイラス殿下だ。


「そうそう、マクベル男爵令嬢。君の家が抱えている商会が、不正な売買を繰り返し巨額の資金を得ていたことが発覚してね。近々、男爵家は取り潰しになることが決まったよ」

「……は?」

「少し前から、マクベル男爵家には、きな臭さを感じていたからね。ヴィオラント侯爵家にも、調査の協力をいただいたから間違いない」

「殿下のご慧眼ですね」

「いいや、きっちり仕事をしてくれた、王宮の皆のおかげだよ。さあ、まもなく君はただの平民になる。貴族のマナーは、どうやら君には合わなかったようだからね。ちょうどよかっただろう。まあ、義姉上を陥れようとした罪くらいは、素直に償ってほしいね」

「なっ、何よそれ!! どうしてそうなるのよ!?」


 ディアーナ様が、悲鳴をあげる。

 外交官として辣腕を振るう父に代わって、侯爵領を治めている長男と、財務次官として王宮でぶいぶい言わせている次男が協力しているのであれば、余罪をわんさか暴かれていそうだ。


「衛兵」


 宰相閣下の指示で、控えていた騎士や兵士たちが、ノクティス殿下たちをあっという間に拘束していく。

 抵抗し、一番みっともなくわめいていたのは、ディアーナ様だ。百年の恋も冷めるほどの、必死の形相だった。

 やがて、会場から騒動を起こした者たちが引っ立てられ、ようやく事態は収束した。

 パーティー会場は、未だ動揺の空気が色濃い。

 それを、サイラス殿下が、ぱんと一つ手を打って散らす。軽やかに響いた音で、周囲の視線を集めたところで、彼は艶やかな尊顔をほころばせた。


「皆の者、祝いの日に騒がせてすまなかったね。改めて、卒業おめでとう。陛下に代わり、僕が君たちの卒業を祝おう」


 わっと生徒たちから歓声が上がった。

 一連の捕り物を眺めながら、私はぱちぱちと目を瞬かせるばかり。自分の出番などなく、完璧に場を収めて見せたサイラス殿下の鮮やかな手腕に抜かりはない。

 あれよあれよという間の展開に戸惑いも大きかったが、それ以上に殿下も随分成長したなあという感慨深さが私の胸を占めていた。


 サイラス殿下と私が初めて出会ったのは、3年ほど前のこと。

 ノクティス殿下とのお茶会の帰り。たまたま美しく整った庭を散策していたら、つまらなそうに植木の間にはまって、うずくまっていた彼を見つけた。その時は、さすがにちょっとびっくりした。

 母親譲りの美貌に、1を聞けば10を答えるような優秀な頭脳。多くの魔力を持ち、剣の腕も騎士団長お墨付き。人の声に良く耳を傾け、穏やかでありながらも、確固とした己を確立している。王家の器にふさわしいと、誰しもが彼を称える。

 まさしく完璧王子だったサイラス殿下は、少しばかり己の評判を窮屈に感じていた。まだ7歳の少年だ。

 話始めてみると、まああらゆる分野に造詣が深く、知識の深さに驚いたのを今もまだ覚えている。私も興味を持っていた古代言語と歴史での会話が弾み、徐々に打ち解けていく中で、私は彼の抱える多くの悩みと孤独を知ることとなった。

 将来有望な8歳年下のこの少年に、自分の立場がいつか脅かされるのではないか。背後から迫る恐怖心に、抗えずにいたノクティス殿下の気持ちもわからないでもない。

 だが、サイラス殿下はサイラス殿下なりに、子供として扱ってもらえないことを寂しく思っていたらしい。


「偉業を成し遂げた方を、子供だからといって私は侮ったりしません。ですが、何事も苦も無くできるからといって、大人ぶる必要もございません。凄いことができたら、凄いと褒められるのは当たり前です。サイラス殿下は、よく頑張って、えらいですね」


 まだまだ幼いながらも、王族として肩肘を張り、必死に背伸びをするサイラス殿下の頭を撫でてあげたら、真っ赤に頬を染めて照れまくった彼に、「義姉上」と慕われ、懐かれたのもいい思い出だ。

 その様が、あまりにもくすぐったくて。私には下に弟妹がいなかったこともあり、弟のように甘やかして、可愛がってきたのだが。


 ……おかしいなあ。

 私は何故、そのサイラス殿下に跪かれ、一輪の薔薇をささげられているのだろう。

 流れ的に、卒業式のパーティが、これから始まるところではなかったか。


「義姉上、いいえ、ジゼル嬢」


 声変わりもまだな、いとけない声で、サイラス殿下は私の名前を紡ぐ。

 その瞬間、私たちは、義姉と義弟という関係ではいられなくなってしまったのだ。


「兄の婚約者だから仕方がないと、弟扱いでしかないと遠慮して諦めておりました。ですが、もう心を偽る必要はない。今この秘めた想いを、僕は解放します」


 断罪の時ですら、柔らかさを崩さなかったサイラス殿下の顔が、きりりと真剣みを帯びる。

 私は、知らず息を呑んでいた。

 その表情は、子供などとは到底言えなかった。

 恋い慕う女性を求めて瞳に熱を宿し、愛を欲する男の顔をしていた。


「ずっと前から、僕はあなたを愛している。ジゼル嬢、どうか僕の婚約者になっていただけませんか。僕は兄とは違う。あなただけを愛し続けると、ここに誓います」

「ひぇ……」


 だから何故私は、サイラス殿下から熱烈な求愛を受けているのだ。

 緊張感に包まれた断罪劇とは打って変わって、甘い空気と熱気に会場が満ち溢れている。

 展開が早い。情報が、情報が追い付かない!

 後方で「ショ、ショタおね……! リアルショタおね……!!」と、感涙にむせいでいる異世界出身黒髪の聖女もどきの友人は黙っていろと、混乱した頭でツッコんでしまう。

 彼女曰く、サイラス殿下くらいの年頃の短いズボンが似合う少年のことを、異世界ではショタと呼ぶらしい。そして、彼らを愛でる人種をショタコンという。無駄な知識を植え付けられた。

 だが、私は断じてショタコンじゃない。ショタコンじゃないはずなんだけどなあ!?

 サイラス殿下から、目を離せない。まだ10歳なのだと頭ではわかっているのに、胸がいつになくドキドキしている。多分、頬もほんのり赤く染まっているだろう。動揺が激しい。感情を制御するのは得意なはずだったのだけれども、雰囲気に押されているのだろうか。

 可愛がっていた少年に、断罪劇から見事な手際で颯爽と庇われ、救われ、そのまま真剣に愛を囁かれては、私とて思わずぐらついてしまう。

 だって、ノクティス殿下から、こんな熱烈な告白、もらったことなどないのだ。所詮政略。恋愛初心者と言うなかれ。ドキドキするものはドキドキする。子供だという誤魔化しをきかせる余裕など、与えてもくれないのだから。


「で、ですが、殿下、私たちは随分と年が離れております。私よりももっと良いご令嬢がいらっしゃるのでは……」

「いいえ。歳の差なんて瑣末なことです。30年もすれば、気にならなくなる程度ですよ。歳を重ねたジゼル嬢も素敵で愛らしく、僕を魅了し続けるに違いありません。それに、いずれ僕に惚れさせてみますからね、大丈夫です」

「さんじゅ……」


 サイラス殿下は、とんと頼もしく胸を叩いた。

 30年が果たして瑣末かどうかは、意見が分かれそうなところだ。だいぶ長期的なスパンで話をもってくるし、どえらい自信だ。

 弟だとばかり思っていた少年の突然の変貌に、私は戸惑うばかり。周囲も、さっきとはまた違った熱量で、そわそわと私たちを見守っている。もはや恥ずかしさしかない。

 でもこれ、絶対に狙っているわよね!?

 こんなあからさまに目立つ場所で、王族から求愛されて、断れるとでも!?

 私は、内心で呻きながら、そっとため息を吐く。

 選択肢など、最初から一つしかない。

 瞳を細める殿下が、ちょっとだけ小憎たらしく見えてしまう。


 私は、殿下の手からゆるりと薔薇を受け取った。

 卒業祝いと思しき薔薇の花束が、求愛の一輪に化けてしまった。まあ、一輪だけを差し出してきたのは、好ましかったのだけれども。瑞々しく咲き誇る薔薇は、まるで殿下を表しているかのようだったから。

 サイラス殿下は輝かんばかりに歓喜の笑みを浮かべて、私の手の甲に恭しく唇を落とした。

 ぱっと華やいだ表情は年相応なのに、さすが王子。一挙一動が様になりすぎている。

 周囲から、きゃーという黄色い悲鳴が盛大にあがったのも、さもありなん。


「……サイラス殿下、意外にお腹が黒かったんですね?」

「そりゃあ、絶望的だと思っていた初恋の人を手に入れられるチャンスが巡ってきたのですから、普通根回ししますよね? 本当に兄上は愚かだ。貴女ような至宝を、袖にするなんて」


 周囲に聞こえない程度で、こそこそと私たちは応酬をする。のうのうとのたまう様は、幼くても王家の男。思わず天を仰ぎたくなった。

 いつから。一体いつから先を見通し、準備を進めていたのだろう。末恐ろしい。

 何というか、昔から大人びていたけれども、天元突破している感じが凄い。中身と外見のギャップが凄すぎて、錯覚を起こしてしまいそう。詐欺だ、詐欺。

 サイラス殿下は、いたずらが成功した子供のように、得意げにウィンクをした。うん、こういうところは、少年らしくて可愛いのに。


「歳の差は猶予ですよ、ジゼル。成長していく僕に骨の髄から愛される覚悟、今からしっかり身に着けておいてくださいね」


 獲物を定めた狩人のように、にっと瞳を細くして、サイラス殿下は大変可愛くないこと口にする。

 幼少の今からこんなに熱烈に求められて、果たして将来どうなってしまうのだろうか。

 この先、私は彼から与えられるであろう惜しみない愛に、身震いするしかないのだ。







最後までご覧いただきありがとうございました!楽しんでいただけたら嬉しいです。

3代前の王家のお話は、シリーズリンクから閲覧いただけます。『ろくぶんのいち聖女』というタイトルです。よろしければ覗いてみてください~!





評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ