僕の彼女は異世界人
叔父は不思議な人だったーーー。
マナブの叔父、サブローは変わった人間だった。
まだマナブが生まれる前に、一族で所有している裏山で忽然と姿を消し、ある時ふらりと戻ってきた。
裏山では何十年かに一度、一族の者が行方不明になる事があるそうで、家族一同諦めかけていたそうだが、戻ってきた叔父を皆は大変感激して迎えたそうだ。
戻ってきて暫くは身辺整理をするかの様に、相続関係を整理していたが、裏山に再び出かけた叔父は恐い顔をして黙り込んだと言う。
その後は一族の蔵にこもり、古文書や何かを熱心に調べていたそうだが、急にぷつりと糸が切れた様に泣き暮れて過ごすようになったと言う。
叔父の様に戻ってきた者も、大概は精神に異常を来してしまう者が多いらしい。
だが、溌剌と動き回っていた叔父に安心していた親戚一同も、やっぱりか、と項垂れたそうだ。
頑として何も語らない叔父。
だが、マナブにだけは例外だったのだ。
★
マナブの母は、叔父の姉だ。
親子ほどに年の離れたマナブを見る時だけは叔父の目が優しく、悲しげに歪められる事から、頻繁にマナブは叔父に会わせられていた。
「マナブ、不思議な世界の言葉を教えてあげよう」
マナブが七歳の時だった。
当時、多少の純粋さを持っていた子供のマナブは不思議な世界の言葉に大変興味を示した。
日常会話は問題無く出来る程度になるのにそれ程時間は必要なかった。
叔父が作った(と、マナブは考えていた。)言葉を習得した頃、叔父はしみじみと呟いて言った。
「ああ、懐かしいなあ。シーナ」
マナブは思った。
ーーーシーナとは誰か。
余りに切なげな叔父の目に、マナブは誰か、とは問えなかった。
★
そして、マナブが三十四になった年ーーー兄の様に、父の様に慕っていた叔父が亡くなった。
晩年は、益々塞ぎ込む様になり、偶にふらふらと裏山に行ったかと思えば、泥だらけで帰ってくる様な日々が続いていた。
多分、もう気が触れていたのだ。
そこからはあっという間に寝た切りになってしまった。
心が駄目になったからか、叔父は病を呼び込む様に亡くなってしまったのだ。
あれは、亡くなる2日程前だった。
叔父が珍しくマナブを本家の離れーー叔父の住まいに呼び出して、寝た切りの状態でマナブに文机の引き出しを開ける様に促した。
そこには指輪の入った小さな箱と、叔父の手記が書かれた手帳が入っていた。
取り出して、叔父の寝る布団の近くに寄った。
声を出す事も辛いらしく、視線で促され、叔父の手記を捲った。
マナブは直ぐに、あの不思議な世界の言葉だ、と気付いた。
ざっと目を通したマナブに叔父は、
「信じなくてもいい。ただ、もし、哀れな頭の狂った叔父さんを悲しんでくれるなら……シーナに指輪だけでも渡して欲しい。マナブにこんなお願いをするのは心苦しい。きっと僕をシーナは許さないだろう。僕の甥だと分かってしまったら、きっと歓迎されないだろう」
小さなか細い声で叔父は言った。
マナブは、叔父を安心させる様に頷いてから箱と手帳を大事にバッグに仕舞った。
★
葬儀が終わり、初七日が終わった。
マナブは叔父から受け取った手記をパラパラと捲った。
ーーー本当でも、妄想でも、裏山には行かなければならないだろう。
そう結論付けて、マナブは準備に取り掛かった。
先ずは一族で経営している会社の役を降りる段取りを付けた。大反対の末に押し切った。
あれこれ手続きをし、万が一の時には自分の遺産を年の離れた妹に渡る様にまで段取りをした。
二十代は働き詰めだったのだし、もし叔父の妄想だったとして不労収入があるので、もういいだろうと思っていたのだ。
そして、決行日の一週間前。
友人の佐伯 愛と会った。
高校時代からの友人で、一時は親密な間でもあったが、ここ数年は単なる友人である。
落ち着いた雰囲気のカフェに行くと、佐伯は既に待っていた。
マナブを見つけると、佐伯は小さく手を振ってきた。
「やあ、久しぶり。叔父さんの事は残念だったね」
佐伯は伏し目がちに、そう言った。
「ずっと伏せってはいたからね。よく持った方だと思うよ」
なるべく気を遣わせない様にマナブは努めて明るく返した。
「でも、君の兄の様な人だったんでしょう?」
「そうだね、いつも寂しげな人だった。兄の様に思う人だったけど、いつも壁を感じていたよ」
その壁の正体を叔父の亡くなる2日前に、はっきりと分かった。
マナブは結局叔父を狂っていると考えていたからだ。
「そう……。悲しいね」
佐伯は益々落ち込んだ様に眉尻を下げた。三十五になっても純粋な彼女の心持ちが好ましい、とマナブは考えていた。
「さて、湿っぽい話はお仕舞いにしよう。佐伯さん、これを読んで欲しい。叔父から託された手記なんだ」
マナブから受け取った手記。読んでも?と確認を取ってから佐伯は三十分程掛けてじっくり読み進めた。
パタンと閉じて、佐伯は言った。
「君は行くの?」
マナブはゆっくり頷く。
「行かなければならないだろう。例え妄想だとしても。叔父の物語を完結させなければいけない気がする」
佐伯はマナブの目をじっと見た。
「一つ君にアドバイスがある。ネックレスの一つでも買って行くべきだね。後悔をしない為に」
そう言って佐伯はいたずらっぽくニッと笑った。
★
あれから、悪乗りした佐伯と宝飾店に行き、一つのネックレスを購入した。
佐伯は、
「こんな可愛らしいネックレスを着ける女性が君に靡いてくれるとは思えない」
と非難してきたが、マナブも全く同感であった。
ただ、こんな可愛らしいネックレスが似合う女性が伴侶になってくれるのならーーー。
きっとずっと大切にして、慈しみ、総てから守ってみせる、とマナブは考えた。