十七歳・残された日々(7)彼女の影
さっきまで暑かった室内が段々と快適な温度へと変わってゆく中で、私は部屋の隅のシンプルなパイプベッドに背もたれながら、ゆっくりと部屋中を見渡している。
軽く十二畳ほどある広いフローリングの部屋は、その部屋の主の性格を象徴しているかのように、音楽雑誌が散乱している他は至って簡素だ。
その中で、大きなオーディオ機器が目を引いた。
そして、千枚は越えていそうなおびただしい数のCDが壁際の黒い木製ラックに収納されている。一目で音楽にウルサイとわかる部屋をしているのに、一枚のポスターも見当たらないところなどもいかにも彼らしい気がする。
エアコンが効いてきて部屋は薄ら寒いくらいだけど、外は炎暑であるはずだ。
既に受験生の天王山である夏期休暇に入っている。
けれどつい昨日まで私は、夏服だというのにウールが30%も混じっているとんでもないグレーのセーラー服を着て、午前中は学校へと足を運んでいた。
前期課外の為だった。苦手な数学・世界史を受講していたのだ。
しかし午前中だけとはいえ真夏の最中、制服を着てクーラーがない教室での講義は辛かったと、しみじみ思う。
だいたい、あの夏服からして私は嫌い。白いスカーフが可愛いという声もあるけれど、思うにそれはきっととびきりスタイルの良い女の子に違いない。手足がとても華奢な子でないとあのセーラー服は着こなせないとうことを、私は身をもって実感している。
「ごめん、遅くなって」
突然ドアが開く音がして、この部屋の主が再び姿を現した。
「豆が切れてて、挽くのに時間かかっちゃってさ」
そう言いながら彼は、水滴のついた透明なグラスを私の目の前に置いた。
「美味し……」
白く細長いストローで一口飲んでみると、苦みの効いたアイスコーヒーが乾いた喉に吸収される。
「ねえ、守屋君」
「何」
「あれは?」
私は、部屋のもう片隅を指した。
それは、楽器店のように壁にディスプレイしてある十数体ものギター。ステレオと同じく、とても目を引いている。
「ああ……。あれか」
彼は、一瞬、微妙に目を細めた。
しかし、すぐに元の表情に戻ると、
「見ての通りギターだよ。バンド組んでたんだ、中坊ん時。気のあった奴らとさ。曲なんかも書いて、いっぱしのロッカー気取りでガンガンやってたぜ」
ナマイキだろ、と彼は笑った。
今はもう引退しているが、先日の高校総体予選まで彼は地味な漕艇部なんかに籍を置いていた。
178㎝ほどの長身とは言えバスケなんていうイメージではない彼にボートの選択はわかるような気がしたけれど、その彼がバンドでギターを弾いていたなどとはちょっと信じられない。
再び「過去」の彼の姿というものに想いを馳せながら、私は「現在」の彼とのその落差を想像してみて複雑な感情を覚えずにはいられない。
「聴いてみたいな。……守屋君の音」
「もう無理だね。バンド辞めてから、一度も触ってない」
そう言った彼に、私はさりげなく「いつ、辞めたの」と尋ねてみた。
果たしてかな彼の答えは、「中三の時」だった。
そのバンドのキィボード、或いはヴォーカリストは、他ならぬ「玲美」さんだったのではないかという邪推にも似た考えが私の脳裏に浮かんでいた。
しかし、それを言葉にすることなど私に出来るはずもなかった。彼の固い手触りに、私はそれ以上、彼の世界へと踏み込んでゆくことは許されないことを悟っている。
私は。
私は彼女の影に怯えている……?!
その時、私はゾッとする感情を覚えた。
彼女はもうこの世にはいない人間。
彼女は守屋君を残して、ひとりでに逝ってしまった。
しかし、存在しないからこそ、その想い出は時と共に益々美しくなってゆくばかりではないのか。
守屋君は、今でも……。
「守屋君のお家って、大きいのね」
私はそれ以上考えていたくなくて、全く関係のないことを故意に口にしていた。
それは、初めて彼の家に案内された私の第一印象でもあった。
地元一のお屋敷外の一角に堂々とその居を構えている彼の家は、手入れの行き届いた庭まで含めるとかなりの広さがある。
「ギターとかステレオとかも、すっごい高そう」
「言えば何だって買ってくれるよ。放り投げるようにさ」
その彼の言葉には、自慢などではなくむしろ自嘲が含まれているように私は一瞬、感じた。
「子守り道具と似たようなもんだよ。金さえ与えてれば、ガキは満足してると思ってる」
彼は呟いた。
「成金だよ、俺ん家なんて。製紙会社やってて、手広いのはらしいけどさ」
「だから……。ご両親が、お忙しいのね」
「親父どころかお袋までほとんど家にはいやしないよ。親父は仕事仕事とか何とか言いながら、外にも女つくってよろしくやっててさ。それでお袋がまた、好き勝手やってるわけ。そんなんだから、俺が何しようが口出しもしない。いつ帰ってこようが、外泊しようが好きにしろってな家だよ、俺んとこは」