旅立つふたり(4)星の誓い
「それにしても、守屋君」
私は言った。
「流石だったわね。あの対応」
守屋君があそこまで見事に良き「ボーイ・フレンド」を演じきるなんて。実は、かなり驚いた。
「好青年だったわ」
「任せろよ」
彼はあぐらをかきながら、言った。
「お前の両親てなんかこう温かいな。うちの親とはまるで違うよ。それに愛情深い。お前のこと目に入れても痛くないてのが、よーくわかったよ」
「そうなの?」
「そうだよ。やっぱり「箱入り娘」だったな」
守屋君が続ける。
「何にせよ、なんとか第一関門クリアだ。後は、信頼を損ねないようにして、そして、結婚のご挨拶に伺うだけだな」
「やだ! 守屋君」
まさか、彼の口からこんなにも早く「結婚」の二文字を聞くなんて……!
私は紅くなりながら、けれどお互い無邪気に笑いあった。
そうやって、つつがなく元旦の一日は過ぎていくはずの、その時だったのだ。
部屋のドアがノックされた。
ママがお茶運んできてくれたのね……と思いながら、ドアを開けると、
「お兄ちゃん……?」
そこには、お兄ちゃんが黙って立っていた。
***
「ねえ……守屋君」
その元旦の夜、私は最寄りのバス停まで守屋君を見送りながら、そう呟いていた。
「お兄ちゃんと、何話したの?」
お兄ちゃんはあの時、守屋君と二人にしてくれと言い、私を部屋から追い出したのだ。
暫くしてお兄ちゃんが部屋を出て行った後、私達はパパとママからまたリビングに呼ばれ、守屋君は無難にパパ達の相手をこなしていた。程なく夕食で、お兄ちゃんも含む神崎家の団欒に守屋君はつきあい、結局私達はあの後、部屋で二人きりでは過ごせなかったのだ。
私は、お兄ちゃんと守屋君が何を話したのか、気になって仕方がなかった。
「お前が世間知らずでお嬢さんの訳がわかるような気がしたよ」
「え……?」
「本当に親から。家族全員から愛されて、守られて育ってきたんだな」
守屋君が呟く。
私は言葉の意味がよくわからない。
「妹を。お前を泣かせたら、絶対に許さない……て、言われたよ。お前の兄貴から」
「お兄ちゃんが……」
そう言ったきり、言葉にならない。
「俺。お前をもう二度と泣かさない。あの夏の夜は月に誓ったけど。今夜は……星に誓うよ」
守屋君が、晴れた日の冬の夜空を見上げながら、呟いた。
南天にはシリウスが瞬き、澄んだ空気がピンと張り詰めている元旦の夜。
空には満点の星々が輝いていた。
***
「そんなに落ち込むなよ、神崎」
「だって……」
一月中旬の底冷えする日曜日の午後。学校の教室で、私はドツボにはまっている。
「八割取れたんだろ。大丈夫だって」
「そんなことないわ。全然足りない」
今日、センター試験が終わった。
しかし、学校で自己採点した結果、私は数学・化学と世界史に失敗し、英語の点数も思ったより良くはなく得点率が伸びないことがわかったのだ。
「85%得点を目指してたのに……」
「でも、浪速大の外国語学部なら、二次で頑張ればいいんだろ?」
「うん……二次の配点比率が高いから、可能性はある」
「後一ヶ月、英語は勿論、神崎の苦手な数学と世界史。死ぬ気で頑張れよ。お前なら大丈夫だって!」
私は泣きそうな気分だったけれど、守屋君がさっきからずっと一生懸命励ましてくれているから、なんとかこれ以上落ち込まいようにと自分を必死に鼓舞した。
「守屋君は環学、舘大、あと……」
「幸楠と滑り止めに管辺学院」
「今の守屋君ならきっと合格よね」
こうなってくると、守屋君の方が春から関西の大学生になっている可能性が遙かに高い。最悪、滑り止めの私大を受けない私は久麿で浪人だ。
「ああ! 浪人だけはしたくないっ」
浪人はしたくない。でも、やはり大阪浪速大学の外国語学部でドイツ語を学びたい。その想いは変わらない。
このセンター試験での失敗は、かなり尾を引きそう……。そう思うとどこまでも落ち込んで行きそうな私の肩を、守屋君は軽く叩いた。
「とにかく。明日からも学校の図書室で一緒に勉強しようぜ」
「うん。そうしたい。守屋君と一緒なら、私、頑張れそう……」
「灰色の受験生」ではあるけれど、それだけが今の私の唯一の救いだった。
それからの日々。
私は守屋君と二人でひたすら勉強漬けの日々を過ごした。
二月「ヴァレンタイン・デー」の一日だけを一切勉強から離れて、何も考えずに守屋君と二人きりで遊んで過ごす「学習完全休養日」にしただけで、私は本当に人生で一番勉強した。
「しけ単」を暗記し、「英標」で英文読解問題を解きまくった。そして、Z会の「英作文のトレーニング」を丸写しし、問題集を丸三回解いて、英語の中では苦手な英作文でも得点できるように必死で勉強した。たまの息抜きには、英語のCDを聴き、ヒヤリングの対策もバッチリやった。
弱点の数学・世界史もやれるだけのことはやった。
本当にやるべきことは全てやった。
守屋君も彼なりに頑張っているようだった。夏休み頃は私がおんぶに抱っこで見ていた勉強も、今ではすっかり自分で取り組んでいるから、私は自分の勉強に集中することができた。
私達は確かにこの頃、まさしく「受験生」そのものをしていたのだ。




