旅立つふたり(3)初めての「挨拶」
「ただいまー」
守屋君を伴い、ドキドキしながら玄関先で声を上げる。赤い下駄を脱ぎ、玄関の隅に揃える。
「ママー」
奥のキッチンの方へ、私は行った。
ママは洗い物をしていて、パパはリビングでTVのお正月特番を観ている。
「あのね。二年の時、一緒のクラスだった守屋君。彼が今、遊びに来てるんだけど……」
胸の鼓動を隠し、いつもと変わらない声音を装いながら、私は言った。
しかし、パパは瞬時にTVから目を離し、ママは無言のまま私を振り返った。
視線が、痛い……。
「ママ、私の部屋にお茶持ってきてくれる? あ、守屋君、珈琲にうるさいから、紅茶の方お願い」
そう言って、自室へ行こうとしたら、
「純子、リビングへ通しなさい」
と、パパが言った。
「はーい……」
そして私は、玄関に立っている守屋君に耳打ちした。
「お前の部屋じゃなくて、リビングかよ。ハードル高いな」
守屋君が苦笑する。
「ごめん……。パパもママも挨拶すると思う」
私は溜息をついた。
***
「どうぞ」
ママが、半月切りに薄くスライスしたオレンジを添えたホットのセイロンティーと、お歳暮の頂き物の「HENRI」のフィナンシュを乗せたお皿をテーブルの上に並べる。
「頂きます」
そう言って、守屋君はお砂糖は入れずにオレンジだけを紅茶に浮かべると、マイセンの青い花のティーカップに口をつけた。
「純子ちゃんのお友達……ですか?」
ママが小さく切り出した。
「はい。去年、同じクラスだった守屋浩人と言います」
「純子がいつもお世話になっています」
ママは、思ったより落ち着いた様子で対応する。けれど、パパは黙ったまま。口を真一文字に結んでいる。
沈黙。
守屋君もまた落ち着いているけれど、私は心臓がばくばく言いそうになっている。どうこの場をもたせればいいの、と思案していたら遂にパパが、
「純子は学校ではどうですか?」
と、一言尋ねた。
「はい。クラスの代表委員でクラスをまとめて、成績も良く、みんなからも慕われていると思います」
姿勢を正し、よそ行き顔で守屋君が答えた。全くの模範解答にパパもママも口を出せない。
「守屋君は大学はどこを受けるんですか?」
「関西の中堅私大を幾つか考えています。第一志望は、環彩学院です」
「そう。関西ですか……」
そう言うとママは言葉を途切らせた。
パパもママも二人とも何か考え込んでいる。
そうよね。私の志望大学は大阪浪速大学で、合格すれば久磨を離れて一人暮らし。守屋君も関西の大学に進学するとしたら、私達の仲を色々心配するのは当然のこと。
でも、ママは味方してくれるわよね?
一年前、守屋君と恋に堕ちたのは「運命」で、いつかその恋に光が射すと、そう言ってくれたわよね。
でも、パパは……どうなんだろう。
男親としてひとり娘の恋をどこまで理解してくれるんだろう。ましてや私は「パパっ娘」で、それは今まで年頃の娘とは思えない程パパに甘えてきたし、それ以上にパパから溺愛されてきたから……。
けれど、ややあってパパが口を開いた。
「純子。お前はその、守屋君。彼のことをどう思っているんだ?」
「私は……」
私は一瞬、絶句した。
私は……守屋君のことを……。
「……ずっと。私が高二の頃からずっと好きだった人よ。守屋君は」
「そうか」
それきり、会話が途切れた。
パパもママもじっと手元を見つめている。それは、掌中の珠を手放す覚悟をしているかのようだった。
ややあって、パパは守屋君の目を見据えると言った。
「純子は小さい頃から体が弱くて、学校もご存じかと思いますが、よく休んでいます。親としてはこの先も心配がきりがありません」
パパが深々と頭を下げる。
「純子をよろしくお願いします」
パパ……。
それは、娘として涙が溢れてきそうなくらいの潔さだった。
「こちらこそよろしくお願いします」
守屋君も礼儀正しく、一礼した。
「良かったら、夕食を食べて行って下さい。お節料理くらいしかありませんが」
「すみません。ご馳走になります」
「もう、部屋に行っていいでしょう? ここじゃ寛げないわ」
私は、パパとママのまっすぐな無形の愛情がこそばゆくて反駁している。全く素直じゃない、私……。
けれど、
「好きにしなさい。後でまたお茶を持っていってあげますよ」
ママが優しく微笑んだ。
***
「あー、緊張しちゃった」
私は、自分の部屋の隅にあるヤマハのアップライトピアノの黒椅子に腰掛けながら溜息を吐いた。
パパもママも今頃何て思っているだろう。
私が初めて紹介した「彼」、守屋君。そして、私達ふたりのこと……。
「お前の部屋ってやっぱり、だな」
しかし、そんな私を知らぬげに守屋君は、部屋の中央の炬燵に入り、部屋を見渡しながら何気にそう呟いた。
「何? やっぱり、て?」
「ピンクピンクしてる、てことだよ」
その彼の言葉に改めて部屋を見回すと、ピンクの花柄のベッドカバー、ローズピンクの薔薇のクッション……他にも細々とした小物類はほとんど赤・ピンク系。
こんなにオンナノコした部屋だったなんて!
なんだか恥ずかしい……。
「私がこんなオンナノコ趣味だなんて、おかしいでしょ」
私は、横を向きながら言った。
「どうして?」
「だって……」
学校のみんなは絶対に意外に思うはず。私がこんな、らしくないこと……。
「お前はいつも考え過ぎ。悪い癖だぞ」
けれど守屋君はお杏が私によく言うことと同じことを言い、軽く私の頭をこづいた。
「俺は、すごく「神崎らしい」て思うよ」
守屋君……。
彼はわかってくれる。
彼とお杏だけはわかってくれる。
それで充分──────




