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十八歳・ふたりの限りなく透明な季節  作者: 香月よう子
第三章・透明な二学期
29/44

転校生は風の如く(4)秋風と共に・・・

 その翌日。


 やはり、三城君からLINEはない。

 停学処分が堪えているんだろうか。そんなことを朝から考えていた。


 しかし、お昼のショートホームルームの時間。

 本多先生が教室に入ってくるなり、難しい顔をして皆に話を始めた。

「あー、三城は昨日から三日間の停学処分中だったが」

 そこで、先生はいったん言葉を切った。

 そして、言ったのだ。

「彼は家の事情で転校することになった。今日、引っ越すそうだ。皆に世話になってありがとうと言っていた」

 教室が一気にざわめいた。

「家の事情て、何」

「停学処分と何か関係ないの」

 そんな囁き声があちこちで聞こえる。


「お杏」

 ショートホームルームが終わると同時に私は、お杏に言った。

「私……早退する」

「早退って、どうして?!」

「帰らなきゃ。私……」

「純?!」

「後は頼むわ」


 そう言うと私は、鞄を持って教室を飛び出した。


 三城君。

 三城君。

 三城君。


 これは「恋」とは違う。


 でも。

 私は彼を放っておけない。

 何故。

 わからない……。

 けれど、それは誤魔化しようのない想いだった。



 そして────── 



 彼の家の前まで来ると、


「三城君!」


 彼が門の前に一人立っていた。


「神崎さん?!」

 驚いたように彼は私を見た。

「どうしたの。まだ授業中ガッコウだろ」

「だって……。転校するって……」

「ああ。親父にシンガポールへの転勤辞令が出たんだ。考えたけどついて行くことにした」

 彼はさばけたようにそう言った。

「でも……」

「停学処分は関係ないよ。むしろ、君を巻き込んでしまって悪かったと思ってる」

 彼は軽く頭を下げた。

 けれど再び顔を上げると、遠くを見つめるように視線を泳がせた。

 

 暫しの沈黙。


「ここからは僕の独り語りだ」


 そして、彼はおもむろに滔々と語り始めたのだ。


「僕には高校に上がった頃からつきあっている彼女(カノジョ)がいてね。どうしようもないくらいお互い好きだった。順調につきあっているつもりだった。でも……。僕達は……」


 そこで、彼は一息吐いた。


「この夏、彼女がその……女の子の微妙なあれ、が来なくてね。僕が付き添って病院を受診したんだ。結局、遅れてただけだったんだけど、受診したことが親にばれて、交際を強硬に反対されて。……彼女は。泣く泣く親に従った。僕は腑抜けになって、勉強にも身が入らなくなった。見かねた僕の母が、環境を変えた方がいいだろうと言って、僕をおばに預けて済陵への編入を手配した。僕の転校理由はそういう情けない理由だよ」 


 そう言うと彼は依然遠くの方を見つめたまま、ふっつりと言葉を途切らせてしまった。

 しかし、改めて私の方に視線を変えるとゆっくり呟いたのだ。


「純」


 え……?!

 何故。

 何故、彼は私をそう呼ぶの。

 そんな懐かしそうな瞳をして……。


「君の名前はつまり、僕の彼女と同じなんだよ」


 彼はしかし、あっさりとその種を明かした。


「僕は彼女のことを「純」て呼んでた。それはたまらないほど愛おしくね。でも、彼女と別れてから、その名前を呼ぶことが出来なくなった。それは酷く淋しくて。胸に堪えて……。そして、危うく僕は君を彼女の身代わりにするところだった。君と彼女は別の人間だと嫌って程よくわかっていながら……。彼女を失った喪失感を埋める為だけに君を利用した。卑劣な奴だよ、僕って男は」


 乾いた声で自嘲(わら)う彼の目には何かが光って、流れ落ちた。


 ”身代わり”……。


 ここでも、この言葉を聞くなんて。

 私は何という因果な女なんだろう。


「迎えの車が来たようだ。僕はもう行くよ。君には本当に済まなかったと思ってる。でも、感謝している。ひとときでも安らぎを与えてくれて」

 彼はその時、はっきりと”私の瞳”を見つめて言った。

「ありがとう」

 やはり華やかな笑みを湛えてそう言うと、彼は門の前に停まった車に乗り込んだ。滑るように車は発車して、そしてあっという間に消えて見えなくなった。


 行ってしまった……。


 高三の二学期、突然私の前に現れた彼は、まるで秋に吹く爽やかな一陣の風のように、鮮やかなまでにさりげなく去って行ってしまった。

 振り返ることをしなかったのは、彼の矜持であり、そして私に対する最後の優しさだったのだと思う。


 そして。

 私は何故、ああも彼に心揺さぶられたのかを初めて理解していた。

 彼は。

 彼の瞳は……。

 あの、”高二の冬の夜”の守屋君の瞳と同じ色をしていたのだ。

 どうして今まで気づかなかったのか不思議なくらいに、あの時の守屋君とあの三城君は同じだった。


「神崎!」

 その声にハッと振り返る。

「守屋君」

 そこには、息せき切って駆け付けて来た守屋君が立っていた。

「お杏さんがLINEくれて。お前が早退したって」

「守屋君……」

 私は自然に彼の胸にそっと縋りついた。

「私は。私はずっと守屋君の側にいるわ」

 そう噛みしめるように呟いた。

「神崎……」

 彼は私の存在を確かめるように、ぎゅっと私を抱き締めた。


 あの冬の夜とは違う。

 守屋君は確かに私に触れ、私を抱き締めていてくれる。

 彼の逞しい胸の中で、彼の暖かい腕の温もりを感じながら私は、泣いた。


 その涙の一雫は、三城君へのせめてものはなむけだったのかもしれない。


 

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