転校生は風の如く(4)秋風と共に・・・
その翌日。
やはり、三城君からLINEはない。
停学処分が堪えているんだろうか。そんなことを朝から考えていた。
しかし、お昼のショートホームルームの時間。
本多先生が教室に入ってくるなり、難しい顔をして皆に話を始めた。
「あー、三城は昨日から三日間の停学処分中だったが」
そこで、先生はいったん言葉を切った。
そして、言ったのだ。
「彼は家の事情で転校することになった。今日、引っ越すそうだ。皆に世話になってありがとうと言っていた」
教室が一気にざわめいた。
「家の事情て、何」
「停学処分と何か関係ないの」
そんな囁き声があちこちで聞こえる。
「お杏」
ショートホームルームが終わると同時に私は、お杏に言った。
「私……早退する」
「早退って、どうして?!」
「帰らなきゃ。私……」
「純?!」
「後は頼むわ」
そう言うと私は、鞄を持って教室を飛び出した。
三城君。
三城君。
三城君。
これは「恋」とは違う。
でも。
私は彼を放っておけない。
何故。
わからない……。
けれど、それは誤魔化しようのない想いだった。
そして──────
彼の家の前まで来ると、
「三城君!」
彼が門の前に一人立っていた。
「神崎さん?!」
驚いたように彼は私を見た。
「どうしたの。まだ授業中だろ」
「だって……。転校するって……」
「ああ。親父にシンガポールへの転勤辞令が出たんだ。考えたけどついて行くことにした」
彼はさばけたようにそう言った。
「でも……」
「停学処分は関係ないよ。むしろ、君を巻き込んでしまって悪かったと思ってる」
彼は軽く頭を下げた。
けれど再び顔を上げると、遠くを見つめるように視線を泳がせた。
暫しの沈黙。
「ここからは僕の独り語りだ」
そして、彼はおもむろに滔々と語り始めたのだ。
「僕には高校に上がった頃からつきあっている彼女がいてね。どうしようもないくらいお互い好きだった。順調につきあっているつもりだった。でも……。僕達は……」
そこで、彼は一息吐いた。
「この夏、彼女がその……女の子の微妙なあれ、が来なくてね。僕が付き添って病院を受診したんだ。結局、遅れてただけだったんだけど、受診したことが親にばれて、交際を強硬に反対されて。……彼女は。泣く泣く親に従った。僕は腑抜けになって、勉強にも身が入らなくなった。見かねた僕の母が、環境を変えた方がいいだろうと言って、僕をおばに預けて済陵への編入を手配した。僕の転校理由はそういう情けない理由だよ」
そう言うと彼は依然遠くの方を見つめたまま、ふっつりと言葉を途切らせてしまった。
しかし、改めて私の方に視線を変えるとゆっくり呟いたのだ。
「純」
え……?!
何故。
何故、彼は私をそう呼ぶの。
そんな懐かしそうな瞳をして……。
「君の名前はつまり、僕の彼女と同じなんだよ」
彼はしかし、あっさりとその種を明かした。
「僕は彼女のことを「純」て呼んでた。それはたまらないほど愛おしくね。でも、彼女と別れてから、その名前を呼ぶことが出来なくなった。それは酷く淋しくて。胸に堪えて……。そして、危うく僕は君を彼女の身代わりにするところだった。君と彼女は別の人間だと嫌って程よくわかっていながら……。彼女を失った喪失感を埋める為だけに君を利用した。卑劣な奴だよ、僕って男は」
乾いた声で自嘲う彼の目には何かが光って、流れ落ちた。
”身代わり”……。
ここでも、この言葉を聞くなんて。
私は何という因果な女なんだろう。
「迎えの車が来たようだ。僕はもう行くよ。君には本当に済まなかったと思ってる。でも、感謝している。ひとときでも安らぎを与えてくれて」
彼はその時、はっきりと”私の瞳”を見つめて言った。
「ありがとう」
やはり華やかな笑みを湛えてそう言うと、彼は門の前に停まった車に乗り込んだ。滑るように車は発車して、そしてあっという間に消えて見えなくなった。
行ってしまった……。
高三の二学期、突然私の前に現れた彼は、まるで秋に吹く爽やかな一陣の風のように、鮮やかなまでにさりげなく去って行ってしまった。
振り返ることをしなかったのは、彼の矜持であり、そして私に対する最後の優しさだったのだと思う。
そして。
私は何故、ああも彼に心揺さぶられたのかを初めて理解していた。
彼は。
彼の瞳は……。
あの、”高二の冬の夜”の守屋君の瞳と同じ色をしていたのだ。
どうして今まで気づかなかったのか不思議なくらいに、あの時の守屋君とあの三城君は同じだった。
「神崎!」
その声にハッと振り返る。
「守屋君」
そこには、息せき切って駆け付けて来た守屋君が立っていた。
「お杏さんがLINEくれて。お前が早退したって」
「守屋君……」
私は自然に彼の胸にそっと縋りついた。
「私は。私はずっと守屋君の側にいるわ」
そう噛みしめるように呟いた。
「神崎……」
彼は私の存在を確かめるように、ぎゅっと私を抱き締めた。
あの冬の夜とは違う。
守屋君は確かに私に触れ、私を抱き締めていてくれる。
彼の逞しい胸の中で、彼の暖かい腕の温もりを感じながら私は、泣いた。
その涙の一雫は、三城君へのせめてもの餞だったのかもしれない。




