その美しく逞しき胸の中で ☆
パン!と小さくピストルの音が鳴った。
その瞬間、九つのレーンの飛び込み台から、各選手が水面へと一斉に飛び込んだ。水飛沫が舞い上がる。
『校内水泳大会』男子25メートル自由形の決勝。
私の視線は5コースに釘付けになっている。
守屋君……!
彼は実に華麗にスイスイと水をかいている。
それはまるでイルカが泳ぐように水を切る。
隣の4コースの選手がそのわずか後を追う。
守屋君! 頑張って……!
祈るように私は、彼の雄姿を見つめていた。
そして、あっという間に彼は見事1着でゴールしたのだ。
「やったね! 純」
惜しげもなくその見事なプロポーションを皆の視線に晒しているお杏が、私の手を取りはしゃいで言った。
「うん!」
プールから上がった彼は、勝利宣言のように、胸をぐいと外らせて天を仰いだ。
その時。
彼の細身な身体付きにも関わらず、意外に逞しく逆三角形に引き締まった大胸筋に私の目は釘付けになった。
筋肉隆々というのではなく、何か薄く筋肉が乗ったそれは美しい胸板。腹筋はぐっと引き締まり、その胸元をより引き立てている。それは見たことのない美しい筋肉の流れだった。
彼の焼けた肌はプールの水を弾き、表面がキラキラと陽の光を反射している。若い高校生男子らしい逞しいその胸元に、私は知らず見惚れていた。
守屋君て意外と……。
「何、赤くなってんの? 純」
「え、え? 私」
「彼の裸に欲情した?」
にまにまとお杏が隣から私の顔を覗き込む。
「もー、お杏! うら若き乙女がそういうこと言わない!」
「なーに、マジ赤くなってんの」
そうやって、配水管工事でプールが使えなかった為、例年7月開催の校内水泳大会は9月第一週金曜日の今日、つつがなく行われているのだった。
「はい、珈琲」
「ありがと」
その放課後、私は守屋君の部屋を訪れていた。
「今日、すっごいかっこよかった。守屋君」
いつものように苦みの効いた珈琲を飲みながら、私は知らず呟いていた。
「え? 水泳大会のことかよ」
「うん……」
私は俯きながら、あのシーンを思い浮かべる。
まるでイルカが泳ぐように水を切っていた彼。
そして、「俺が一番」と言わんばかりに胸を反らせた時の彼のあのポーズが私の脳裏には焼き付いている。
「何、赤くなってんの」
「え? 顔赤い?」
昼間、お杏に言われたことと同じことを言われ、私はたじろぐ。
「わかりやすい奴」
クックと彼は笑いをかみ殺している。
「なによー」
私は彼の胸を軽く叩こうとした。
その時。
彼は私の右手首を左手で掴んだ。
「神崎」
「も、守屋く……」
彼は私の躰を引き寄せると私を抱きしめ、そのまま私に口づけた。
その長く、ついばむような浅い口づけの後、私は彼の胸の中に崩れ落ちていた。
守屋君の……あの、胸……。
逆三角形に引き締まって、綺麗な筋肉をしていたあの。
そう思った次の瞬間。
ばっと私は、守屋君から逃れようとした。
あんな……男の人、の体つきをしている守屋君の……。
「神崎」
しかし、彼はあやすように器用に私の動きを封じる。
「変だぞ、今日のお前」
「変じゃないもん……」
反発しながらも結局、抱きすくめられたまま、私は彼の胸の中で彼の鼓動を聞いている。
「何もしやしないよ」
優しく彼が呟く。
その言葉は私の耳に心地いい。
黙ったままじっと私は彼の腕に抱かれていた。
女の私とは違う……守屋君の……。
いつか……素肌で、あの胸に抱かれるの……?
そんな夜が来ることはまだ想像がつかないけれど……。
その逞しい胸の中で私は甘い吐息を吐いた。
その吐息は再び彼の深い口づけでかき消され、私は彼の何も身につけない猛々しい裸身を心で感じた。
作中イラストは、茂木多弥さまより頂きました。
多弥さん、素敵なイラストをどうも有難うございました!




