制服じゃなかったら (後編)
「守屋君……どうしちゃったのかしら。一体」
靴箱で上靴を脱ぐ。汚れの目立つ白い上靴は嫌いだからいつも週末に持ち帰り、丁寧に洗っている。約二ヶ月ぶりに履くその赤いラインで縁取られた上靴から黒革のローファーに履き替えながら、お杏にそう話しかけた。
「まさかと思ったわよ。眼鏡もなし、しかもあの髪型」
「まあ、いいじゃないの。あの方が彼らしいわよ」
「彼らしい、て?」
「だって、あの方が似合ってるじゃない。断然、格好いいわよ。そう思うでしょ? 純も」
「それは。そうだけど」
「純こそ、どうしたのよ。浮かない顔しちゃって」
「だって……」
お杏の言葉にもろくに返事もせず、歩き出した。
本当に私こそどうかしてる──────
確かにお杏の言う通り、あれが本来の守屋君なんだ。
「咲良の驚きようったら、なかったわね」
お杏が思い出したように、笑った。
「咲良だけじゃなかったわよ。お杏だって見たでしょ? 三組の泉さん。廊下で黄色い声出して、守屋君の背中、叩いて……」
そこまで言いかけて、思わず足を止めた。
正門の所に守屋君が立っている──────
「待ってたんだ。帰ろーぜ」
彼は私とお杏の姿に気づくと歩み寄ってきて一言、そう言った。
「じゃ、私。今日こっちから帰るから」
いつも一緒に帰る時、私に合わせて遠回りしてくれるお杏が、そうでない方向の道に向かって歩き出し、二、三歩行って振り返った。
「守屋君。今日、純にパフェでも奢った方がいいわよ」
ちょ…お杏、何言う気?!
「純、拗ねてんのよ。朝からさあ、守屋君が純のこと無視して、他の女子とばっか喋るから。この娘ね、泉に妬いてんの」
そう言うと、「BYE!」と言って駆け出していった。
呆気にとられて、その後ろ姿を暫し見送っていたけれど、ハッと我に返った。
「パフェ、食べて帰る?」
「そ、そんなんじゃないわ! 私」
パッと歩き出した。
守屋君が笑いながらそんなこと言うから……。
歩調を早めるけれど、難なく彼は私の隣に並んだ。
「どうして。突然、髪型……変えたの?」
胸のわだかまりを押し隠しつつも、そう言った。
「変えた、て。いつもこの髪型だったじゃん」
それは学校外の場合でしょ、と言おうとして止めた。
「眼鏡……」
「ああ、煩わしいから止めた」
平然とそう答える。
「どうして待っててくれたの?」
「待ってない方が良かった?」
またそういう言い方する……。
意地悪な時の守屋君、本心を見せようとしない。
「……無視、してたわけじゃないよ。お前だって色々言われるの、嫌だろ」
そう言ったけど……違う。
はっきりとそう思った。
彼は学校での私とのつきあいが煩わしいんだ。
色々言われて嫌なのは……守屋君。
彼は彼女のことを冷やかされて喜ぶようなタイプじゃない。もっと冷めた……。
「神崎……今日。変だぞ」
「変なのは守屋君の方よ」
どうしてこんなに意地悪なの?!
口調が違う。私を見ない。
横を向き、低く呟く彼の心中を計りかね、私も横を向いた。微妙な雰囲気に包まれる。
そのままだんまりを決め込む彼に、私も口を開かない。彼と無言の時を過ごすのはいつものことなのに、今は息苦しくて仕方がない。
「どうして泣くんだよ……」
「守屋君のせいよ……」
教えてよ! 何、考えているの。どうして……。
私、どうしていいかわからない──────
俯いて目頭の熱いものを感じる私は、心の呟きを飲み込んだまま、唯、胸の白いスカーフを濡らしている。
「ちょ…守屋君、何……?!」
突然、彼は私の右手首を掴んだ。
そのまま有無を言わさず、ずんずん歩いて行く。私は引っ張られるまま、ただ歩く。
そして、児童公園の中へと入っていった。
久磨大の裏通り沿いにあるこの寂れた公園は、二つのブランコとシーソー、小さなジャングルジムの遊具だけがぽつんと設置されていて、いつもほとんど誰も遊んでいない。今日も人気はなく、公園はしんと静まり返っている。
木製の平らなベンチの所まで来て、彼は初めて私の手を離した。
「座れよ」
さっさと一人で座ると、呆然と立ったままの私に向かって彼は一言それだけ言った。
黙ったまま、私も腰掛ける。
沈黙──────
「空が……高くなったな」
彼の隣に座り、唯、地面を見つめてどれくらいの時が経ってからだろう。長いこと黙りこくっていた彼が、独り言のようにそう呟いた。
その言葉で初めて視線を上げた。
見上げると、真っ青に晴れた空。けれど、小さく千切れた無数の白い鰯雲が遠い。日射しは相変わらず強いけれど、もう真夏のそれじゃない。
それっきりまたモノを言わない。守屋君、静かな瞳でどこか遠くを見るように。何を考えているかわからない。
けれど。
私……こういう守屋君が好き、なんだ。
何処か人を寄せつけない。
何を考えているのかわからない。
けれど、その彼がこうして私の側にいる。
多分、私の機嫌が直るのを待ってくれている……。
制服姿の彼が、私服の時と同じくらい格好よくなって、女子達の目に留まる。それが不安で堪らなくて。
でも、きっと彼は変わらない。
私に対する態度も、優しい愛情もきっと……。
気がつくと、いつの間にか涙が止まっていた。
「嫌なら元に戻していいよ、髪。眼鏡も……」
右手で髪をくしゃくしゃにかき上げながら、彼がぼそりとそう呟いた。
「ううん。私……守屋君のその髪型、好きよ」
目を見張るように、初めて私の瞳を見た。
いつの間にか──────優しい守屋君。
ああ、弱いんだな。私……。
守屋君のこういう瞳。
本当に人目さえなければ。こんな日中でなかったら。
せめて、制服じゃなかったら。
彼の肩にそっともたれかかるのに……。




