表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
十八歳・ふたりの限りなく透明な季節  作者: 香月よう子
第二章・輝ける夏休み
13/44

下弦の月(1) 帰したくない

「あー、もうダメ! 死ぬ」

 守屋君が、シャーペンを投げ出した。

「もうギブアップ? 根気がないなあ」

 私は軽い溜息をついた。


 八月────── 


 守屋君とつきあい始めて三週間が過ぎた。

 私達は毎日、午前中は予備校の授業を受け、午後はセルフカフェでお昼を食べた後、守屋君の部屋で私が彼の勉強を見ている。

 パッとしない成績の彼なのに、本当はすごく頭がいいことに私は驚いた。

 教える内容をどんどん吸収する、その理解の早さには舌を巻く。

 知的好奇心も強い彼は、時々ハッとするような質問も投げかけてくる。

 しかし、欠点は集中力がないことだった。

 私が教えていてもすぐ欠伸あくび。つまらなさそうに、横を向く。

 それで仕方なく時々、彼が淹れてくれる珈琲でブレイクタイムを挟み、彼の趣味の洋楽おんがくをBGMに他愛ないお喋りに興じながら、真夏の午後を過ごしている。


「今日はここまでにしましょう」

 私は、予備校の数学の問題集テキストをパタンと閉じた。

「珈琲、淹れなおしてくるな」

 守屋君は空になったグラスをトレーに乗せると嬉しそうに席を立ち、部屋を出て行った。


 もう夕方だ。

 ベランダから見える西の山の端の空が赤い。

 今日はこれから、どうしようかな。何時に帰ろう。

 あれ以来、サキさんの美味しい夕食ごはんをご馳走になることも多い。

 私は本当に毎日、守屋君と朝から晩まで一緒に過ごしている。

 考えもしなかったことなのに。

 未だに信じられない。

 でも、ふとした瞬間、面映く頰が緩んでいる自分に気づく。

 幸せな恋……それは、十七年間の人生の中で生まれて初めての経験だった。


「おまたせ」 

 感慨に耽っていると程なく彼が部屋に戻ってきた。

 テーブルに新しい珈琲グラスとポテチの袋が並ぶ。

「美味し……」

 水滴のついたグラスを片手に、呟いた。

「珈琲、好きだよな。神崎」

「大好き」

「俺も」

 彼が柔らかく笑う。


 そんな穏やかな夕暮れのひとときを過ごしていたはずの、その時だったのだ────── 


「神崎」

 急に守屋君が真剣シリアスな瞳で私を見つめた。

「守屋君……?」 


 次の瞬間。


 私は、あっ…!と軽い叫び声をあげていた。

 彼に手を取られ、強引に押し倒されたのだ。

 私は真上に彼の顔を見上げていた。

 彼は切なげにまなじりを歪め、私を見る。


「今夜は……帰したくない」


 彼はそう呟き、そして、私を強く抱き締めた。

 彼が激しく口づけてくる。

「あ……」

 胸元に指が這う。

 彼の狂おしげな息遣いを耳元で感じながら、私はどうしていいかわからない。

 こんな……こんなこと。

 あの八月初日に性急に求められて以来、こんなことは初めてだった。

 毎日、部屋で二人きりで勉強していても、守屋君、軽くキスするくらいでそれ以上は何もしない。

 時折、ただ優しくハグしてくれるだけ。

 きっと、あの日。

 私が……怯えたから……。


 それなのに。

 何故。

 どうして、突然……?!

 ──────苦しい。

 そんなにきつく抱き締めないで、守屋君……!


「離し……」

 のけぞろうとして、その手首を掴まれ、また口唇くちびるを塞がれる。

「帰したくない」

 耳元で囁く彼は尚、私を固く抱き締め離さない。


「たまらないんだ。お前見てると。どうしたって、触れたくなる。本当は大切に、そっと大事に守ってやりたいのに……時々、この手でメチャメチャにしたくなる。俺の……この手で……」


 守屋君、どうして。

 いつもの守屋君らしくない。

 いつもの静かな彼じゃない。

 激しい……。

 激しくて、怖い。

 たまらなく。

 ──────守屋君が怖い……!


 幾度も口唇を塞ぎ、私の髪をくしゃくしゃに掴み、彼は闇雲に私を抱き締める。


「初めてだよ、こんなの……。女なんて誰も同じだと思ってた。一枚脱がせば後は変わらない。抱けば抱く程つまらなくなって……ほとんど惰性だった。ちょっと優しくすれば、すぐひっかかる。自分から脱いでくる」


 守屋君……私を見つめた。


「初めてだよ、玲美以外の女で……本気で好きになったのは」


 守屋君……!


「手を出すまいと思った。何があっても。あの日、泣き出しそうになったお前を見て、いつか自然とそうなる時を、待とうと思った。──────けれど、ダメなんだ……。どうしても。もう限界だよ」


 耳元で囁いた。


「今夜は、帰さない」


 守屋君、守屋君……!

 苦しい。

 激し過ぎる。


 守屋君は。

 いつも静かで。

 いつも優しくて……。

 本当の守屋君はこうじゃない。

 こんな守屋君じゃない……!


 こんな。こんな守屋君、は……。

 いやよ……。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ