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十八歳・ふたりの限りなく透明な季節  作者: 香月よう子
第二章・輝ける夏休み
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幸せに泣く(後編) ☆

「サキさんの飯は、マジ美味いぜ」

 そう言いながら、守屋君は早速お箸を手にしている。

 私も「頂きます」と言いながら、まずお吸い物を口にしてみた。

 一級品の鰹節とじゃこで出汁を取ってあるのだろう。お吸い物は本格的な味わいがして、松茸の風味も本物だった。お新香は上品で歯ごたえよく、五目寿司も酢飯の酢の加減が絶妙だ。


「美味しい……!」

 お世辞抜きでそう言いながら、お寿司を頬張る私を横目に彼は、

「もっと食えよ」

 と、勝手にお櫃からお寿司を私のお皿によそう。

「ちょ…守屋君! そんなに食べられないってば」

「残したら、俺が食ってやるから、食えよ」

「そんなことしたら……」

 と、言いかけて私は下を向いた。

 間接キスになるじゃない、なんて恥ずかしくて、口が裂けても言えない。


「神崎。ちゃんと飯、食ってんのか?」

 その時、ぼそりと彼が呟いた。

「え? ご飯? 食べてるわよ」

「でも。去年より痩せてるだろ」

「2㎏だけよ。それにダイエットしてるから」

「ダイエット?! 何で、んなことするんだよ」

「だって、お杏みたいに細くなりたいもの」

「お杏さんは痩せすぎなんだよ。カンペキ美容体型じゃんか! 神崎はそれでフツウだよ」

「えー、そうかなあ」

 彼の物言いが何となく不服な私だった。

「二年の時だって数学の時間、倒れただろ」

「あれは……。寝不足だったの」

 思い出したくない出来事を思い出して、私は声をひそめた。


 そんな会話を交わしている内に、あっという間に二人ともサキさんの五目寿司を食べ終わった。

「今夜は何時までここ居れんの?」

 麦茶を飲みながら、彼が問うた。

「うん。七時頃までかな。そしたら、八時までには帰宅できるから」

「そっか……。七時か」

「でも明日、また逢えるのよね……」

 しみじみ私は呟いた。


 何だか信じられない。

 これから、逢おうと思えば毎日でも彼と逢えるんだ。

 つい先日まで、一日に数回、廊下で擦れ違うことだけが唯一の楽しみなだけだったのに……。

 これからは毎日、彼と一緒にいられるんだ。


 私達、「つきあってる」んだ……。


 そんな喜びにしみじみと浸っていたその時だったのだ。


「神崎」

 彼がそう呟いた。

 次の瞬間、私は軽い叫び声を上げていた。

 板張りの床はやはり背に固く、彼の掌の熱さとは対照的に、ひんやりとした感触を保っている。

 私は、真正面に彼を見上げていた。


「も、守屋君……?!」

「お前が悪いんだぞ。帰りたくないなんて言うから、その気になっちまっただろ」

 彼の目の色が深みを帯びている。

「そ、そんな……」

「帰さないからな……」

 そう呟くと、彼は激しく口づけてきたのだ。


 彼の口唇くちびるが深く私の口唇を覆っている。

 私は昼間の感覚を思い出し、また気が遠くなり始めていた。

 そして彼の口唇が、私の首筋へと徐々にずれてゆく。

「あ……」

 私は吐息を発し、その声に自分で目眩めまいがしそうだ。

 彼の右手が私の服の隅々を探る。

「や……!」

 私は必死で抵抗したけれど、彼の力には到底敵わない。

 私は泣き出しそうになっていた。


 どうして。

 どうして彼はこんなことするんだろう……。


 朦朧とした意識の中で、私は素朴な疑問にも似た感情を抱いていた。

 私は、彼についてゆけずにいる。

 性急な彼の求めに応じられない。

 だって……。

 だって口づけでさえ、今日でまだ二度目なのに……。

 彼はいったい、どこまで何を求めてくるんだろう。


「帰したくない……」


 依然、彼は耳元で息を吐く。

 私の全身を力一杯、折れんばかりに抱き締める。

「や…、嫌……」

 私の手足からすっかり力が抜け、私は泣いていたのかもしれない。


 その時だった。


 彼がゆっくりと躰の重みを払った。


「悪い。ジョーダンだよ」


 一言、呟いた。

 しかし、彼の顔色は酷く青く見えた。

 本当に冗談なら許さないと、その時思った。


 彼は私に背を向けた。

 その逞しく、しかし寂しげに見える背中を眺めながら、

「何で……そんなに焦るの?」

 と、ぽつりと呟いた。

「焦る? 俺が?」

「私達、まだ始まったばかりじゃない……」


 そう、私達は今日。

 始まったばかりなのに──────


「男だからな……俺は」


 そう言って、彼はうっすらと遠い目をした。


 どうやったら。

 いつになったら……。

 私は彼に応えることができるようになるんだろう。

 私はまだ、明日彼に逢えることだけでその幸せに死んでしまいそうだと言うのに。


「悪かったよ」

 彼は手を伸ばし、無造作に私を抱き寄せた。

 私は子猫のように大人しく彼の胸に抱かれている。

 私達は長いことお互いを抱き締めていた。

 彼の胸は、暖かい。

 そうして抱かれていると眠ってしまいそうになる。

 守屋君の胸の中……。



挿絵(By みてみん)



 しかし、どれくらい経ったかわからない頃。 

「もう帰るだろ」

 穏やかに彼は口を開いた。

 あれ程の荒ぶる激情も完全に凪いでいた。

「うん……」


 いつの間にか夜がほんの少しだけ長くなった。

 外はもうすぐトワイライトタイム。

 帰らなきゃ……。

 彼から身を起こしながら思う。


 でも、本当は私だって。

 帰りたくない……。


 彼がただ抱き締めていてくれるだけなら。

 本当に抱き締めてくれるだけだったら。

 私だって一緒に一夜、過ごしたいのに。


 でも。

 それは私のワガママなんだろう……。


「明日、本当に逢える?」

「逢えるさ」


 俺たちはずっと一緒だ……彼が囁く。


 そしたら。

 今、死んでもいいと私は思う。

 この幸せの中でなら、死んでしまってもいいと。


「明日、また逢いましょう」

「ああ」


 彼はそう呟くと、もう一度強く私を抱き締めた。

 私はその時、息が止まるかと思うくらい幸せだった。


 幸せ過ぎて────── 

 そして、泣けた……。



作中イラストは、菁 犬兎さまより頂きました。


菁さま、素敵なイラストをどうもありがとうございました!

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