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十八歳・ふたりの限りなく透明な季節  作者: 香月よう子
第二章・輝ける夏休み
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幸せに泣く(前編)

「バス、後三分だな」

 予備校前のバス停で、守屋君が呟いた。

「うん……」

 約十分刻みで来るバスのタイムテーブルは、午後五時八分に次のバスが来ることを示している。


「守屋君は予備校、午前中だけ?」

「ああ。朝一の英語60分と11時からの数学60分。神崎は難関英語と、俺と同じ数学だよな?」

「うん。後は自習室で自習するつもり」

「一緒にベンキョーしない?」

「いいの?」

「つきあってんだろ、俺たち」

 守屋君が私の瞳を見つめて言った。

「つきあう……て?」

 私は少し戸惑った顔をした。


 つきあう……。

 私の青春にはなかった単語だ。


「一緒に遊んだり、ベンキョーしたりすることだよ」

 彼が軽く答える。

「あ、それから──────」

「も、守屋君……!」

 彼が不意に、CHU!と軽いキスをしかけてきたのだ!

「こういうこと」

 穏やかに、彼が頭上から私を見下ろす。

 私は真っ赤になって俯き、下を向いた。


「あ、バス来た」

 見れば、目の前にグリーンと白のコンビの車体をしたバスが停まっている。

「じゃ、明日な」

「守屋君……」

 私はバスに乗りかけた。

 彼が小さく手を振る。


 その姿を見た次の瞬間──────


「神崎……!」


 守屋君が驚いて、大声で私の名を呼んだ。

 私はバスを発車寸前で飛び降り、彼の胸の中に飛び込んだのだ。


「帰りたくない……」


 彼の胸に顔を埋めながら、小声で呟いた。

 自分のどこにそんな勇気があるのか、自分でもわからなかった。


「帰りたくないって……」

 彼が呟く。

「じゃ、俺ん、泊まる?」

「う、ううん! そんなこと……」

 私はまた真っ赤になった。

「ジョーダンだよ」


 彼は溜息を吐く。


「じゃあ。俺の夕飯につきあって」

「夕食?」

「そ。飯、これからだろ」

 ついてこいよ、と彼は歩き始めた。

「守屋君、待ってよ」

 そんなぶっきらぼうな彼の後ろ姿を私は追っていた。



 ***



「サキさーん、いる?」


 彼は玄関先から、大声を張り上げた。

 彼は再び私を伴い自宅へと帰ったのだけど、誰もいないと思っていた彼の家には誰かがいるらしい。

「はいはい」

 そう言いながら家の奥から五十歳近い小太りの女の人が、前掛けで手を拭き拭き、出てきた。


「サキさん。悪いけど今夜は彼女と二人分、夕飯作ってくれる?」

 靴を脱ぎながら、彼がそう言った。

「このお嬢さんの分もですか? お安いご用ですよ。食堂で召し上がられますか? それともお部屋で」

「部屋に運んできてよ」

「はいはい、お部屋に伺います」

 にこにことその女の人はそう答えると、また奥へと消えた。


「守屋君。今の人は……」

「家政婦の山崎やまさきさん。俺が生まれる前からいて、俺は「サキさん」て呼んでる。俺のお袋、とっくに家事・育児放棄してるから、俺はサキさんに育ててもらったようなもんだよ」

 そう言うと、「上がって」と彼は言った。

 彼に附いて家の中へと入る。

 彼の家は驚くほど広い。

 お手洗いに行くだけでも迷子になるのではないかと思う。

 同じ一戸建てと言っても、普通の4LDKの私の家とは部屋数も広さもまるで比較にならない。


 彼の部屋は、屋敷の一階の一番東側の庭先にある。


「入って」

 と、彼はドアを開けてくれた。

「守屋君。ひょっとして、この部屋。防音設備になってる?」

「ああ。俺がギターなんか弾き始めたから、親が外聞、憚ってさ。……でも、よくわかったな」

「うん。何となく……お杏のマンションのピアノ室と感じが似てるな、て」

 そう言いながら、私は部屋の隅のベッドにゆっくりと背もたれた。


「何か、聴く?」

「え?」

「音楽。色々あるけど」

 そう言うと、彼は部屋の隅にあるステレオを操作し、部屋の中には彼の趣味なのかもしれない軽快な洋楽ロックが響き始めた。


「守屋君は。何が好きなの?」

 私は何気に尋ねてみた。

「何が好き、て?」

「何をしている時が一番楽しいか、てことよ」

「俺は。……やっぱり、音楽聴いてる時が一番楽しいかもな」

「だったら、大学で軽音部に入れば? またバンド組んだらいいじゃない」

「バンド……」

「そう、ギター」

「ギターか……」

 彼は一瞬、眉を歪めたが、

「いいかもな……。また、りたい」

 と、噛みしめるように呟いた。


「問題は大学だよな……。俺の偏差値アタマで入れる大学なんて限られてるし、何学部に進学するかすらまともに考えてなかったからなあ」

 そんな彼に、

「何の学科が好きなの?」

 と、尋ねてみた。

「好きなのは地学と地理」

「私と真逆ね。私は化学、世界史が苦手だわ」

「そんなん選択するからだよ。地学と地理なんか楽勝だぜ」


 そんな会話を交わしていた時、トントンとドアをノックする音がした。

「失礼します」とサキさんが入ってきて、

「お夕食が出来ましたよ。おかわりはこのおひつに入ってますから、お嬢さんもたんと召し上がって下さいね」

 と、部屋の中央のガラステーブルの上に食器を並べた。


「わあ、美味しそう……!」

 私は思わず声を上げていた。

 彩り豊かな五目寿司に、松茸のお吸い物、お新香という素朴なメニューだったが、一見でかなり手が込んでいることがわかる見栄えだった。

 冷えた麦茶をコップに注ぎ終わると、

「どうぞ、ごゆっくり」

 と、サキさんは部屋を出て行った。



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