イオとクオ3
その人物も後ろに流れ、さわやかな青空の下を馬車は進んでいく。
小さくなり、やがて消えてしまった彼らの背中を見送りながらふと考える。
一体井出はどうしてこの世界にのめり込んだのだろう?
まず浮かんでくる考え=先程のチート問答の応用。
こちらで得られる興奮や喜びが病み付きになってしまった?
高校卒業後、それなりに頭のいい大学に進学した井出。そこで勉強についていけなかったとか、人間関係に馴染めなかったとか、その反動でこの世界にのめり込んでいった。思いつく理由はその辺だ。
現実がどれほどつまらなくても、こちらの世界なら誰でも英雄になれる。
謎の古代遺跡が地下鉄であることを知っていて、死んでもリスポーンする事から恐れずにそれに潜り込み、魔物との戦いになっても実力行使で切り抜ける。
現代の知識とアサルトパッケージのもたらす戦闘技術。それらのお蔭で誰でも簡単にヒーローになれるのがこのゲームの醍醐味だ。
アサルトパッケージはゲーム内の戦闘を円滑にするための均質化された戦闘技術だ。現実世界の身体能力や経験の差を埋める事が出来るこれを設定することによって、もやしっ子がプロの格闘家と互角に殴り合う事が出来る。
それらで身を固め、その世界に沈んでいく井出――やはり不自然。
昨日と同じく、テレビでお偉い評論家先生が言っているようなその説は、どうしても俺の知っている井出像には当てはまらないような気がする。
思い出される奴の顔。俺の知る限り、井出はそんなタイプではない。俺達の中では一番勉強が出来たし、人間関係もそつなくこなすタイプだったと思う。
とても――俺含めて――世間一般にイメージされるネトゲ廃人の姿と、その原因に挙げられそうなものとはかけ離れている。
――そこまで考えて欠伸を一つ。ゲームの中であっても柔らかな陽の光は眠くなる。
まあ、今考えても分からない。捕まえて本人に聞くしかない――眠気が下した結論に、俺は思考を打ち切った。
「……」
「……」
カタカタと心地よく揺れる荷台。本物の馬車の乗り心地は知らないが、この世界の馬車は朝の通勤ラッシュの時間に運よく席に座れた時のような眠気を覚える。
思わずうとうとしかけ、それに気付いて目を見開くと、向かい側ではイオが静かに舟を漕いでいた。
俺の背中からさす柔らかな朝日が、少し俯いた彼女の寝顔にも注いでいる。
防具の下で規則正しく上下するつつましやかな胸。もし馬車の音や鳥のさえずりや、並走している川のせせらぎも聞こえなかったら、彼女の静かな寝息も聞こえてくるだろうか。
日の光で光って見える薄い金色の髪がそよ風に揺れている。
綺麗だ。
思わず彼女に見とれていた俺は、不意に彼女が目を覚ましたところで慌ててその後ろの雄大な自然に目を逸らした。
「あ……、すいません。少し眠ってしまいました」
「あ、ああ……、気にしないで」
目の保養だったから――とは流石に言えない。
「いい天気ですねぇ」
そしてそんな事は知ってか知らずか、その眼福の正体は呑気に空を見上げて、小さく伸びをしながらそう呟いた。
確かに良い天気だ。真っ青な空がどこまでも続き、所々白い雲が流れている。絶好の行楽日和、という奴だろうか。なによりこんな天気でも過ごしやすい気温だというのが今は何より有難い。
そんな事を考えているうちに周囲の景色は緑から金色に変わりはじめていた。
ワイガの村。この村の周りに広がる広大な麦畑は、ここが王国屈指の穀倉地帯である事と同時に村のそれ故の豊かさをも象徴している。
そしてその金色の世界をしばらく進み、その中央にある村の入り口で馬車が止まった。
「はい、到着しました」
御者の男が振り返って告げる。
「お世話様でした」
「ありがとうございました」
それぞれそう言って荷台から降りると、俺達は町の中に入っていく。
肥沃な穀倉地帯の真ん中にあるこの村は、プレーヤーと言うよりもむしろNPCの村だ。
俺達の乗ってきたのと同じようなものか、或いはそれより大きな馬車が、村の中央を南北に貫く大通りに走っており、辻には恐らく作物の価格交渉に来たのだろう多数の商人NPCの姿が見られる。
中には生産職のプレーヤーがちらほら見られるが、他の地域のそれと比べると人の数自体はかなり少ない。
特に重要拠点でもない観光用の村。なんとなくそんなイメージのある場所だった。
「協力してくれるPCAI搭載機は既に宿屋にて待機中との事です」
イオがそう言って俺の前に立ち案内を買って出てくれる。
彼女の後ろについて村の中を進む。村の西に抜けられる交差点を越えて北へ、それから村の真ん中を通る用水路にかかる石造りの橋を渡ると、そのたもとの宿屋『酔いどれ案山子亭』のドアをくぐった。
「いらしゃい!」
店の奥から主人の元気のいい声が出迎えてくれた。
店の中にはほとんど人が――NPCも肉入りも――いないが、入口からもカウンターからも離れたテーブル席にちょこんと一人座っている人影が見える。
「えーっと、あっ、いました。彼女です」
そして俺が認めたその人影が協力者であるという事を、イオが示していた。
彼女の後に続いてそのテーブルに向かう。
四人掛けのテーブル席に一人佇んでいる彼女=協力者がこちらを認めて顔を上げる。
「久しぶりですね。クオ。協力に感謝します」
「気にしないで。これも試験の一環」
イオの呼びかけにその彼女――クオが良く通る声でそう返しながらすっと立ち上がった。
「デンチ、彼女はPCAI-X090。クオです。この辺りで実地試験中だったので協力してくれることになりました。クオ。こちらが今回捜索に協力してくださっているNF-404さん。デンチはニックネームです」
イオがとりなしてくれて、俺達は改めてお互いを見合わせた。
クオ:顔立ちはイオによく似ているが、イオよりいくつか年上な印象を受ける――イオがどちらかと言えば童顔なのもあるが。
短く切られた金髪のイオに対し、クオは光る様な銀髪を腰まで届くポニーテールに結いあげていて、それがまたイオとは好対照だった。
「初めまして。PCAI-X090です。クオとお呼びください」
そう言って差し出された手を握り返す。細長い綺麗な指。
「あ、ああ……。デンチです。よろしくお願いします」
思わず緊張してしまう。イオよりも大人びた印象を与える――というか、俺より年上な気さえする。
何と言うかタイプが違う。イオは可愛らしいが、クオは美人だ。
そしてその美人は狩人の初期装備である「狩人の革コート」を纏い――例え機械相手でもあまりじろじろ見るのは失礼だが――体を包むその上からでもわかる成熟した体つきをしている。実装されれば間違いなく人気は出るだろう。
そしてその当人は握手を解くと、俺達を席に促しながら一つ付け加えた。
「ああ、私もイオに対するのと同様に接してください。私達は同様の試験を行っています」
「ああ……はい。分かりまし――あ、いや、分かった」
正直やりづらいのだが。
そんな気まずい俺の内心を察してくれた――訳ではないとは思うが、俺の隣に座ったイオが早速切り出す。
「クオ、事情は昨夜伝えた通りです。私達は井出健人氏であるギュンター及び、その手がかりとなりそうなファントムを名乗る人物を捜索しています」
「試験開始から現在まで、該当する人物との接触はない」
どうやら調べておいてくれたらしいが、それも空振りだったか。
注文を取りに来た女将にクオがエールを三つ注文すると、彼女はクオの前に置かれた何も乗っていない木皿を持って戻った。
人の顔ぐらいありそうな大きなそれの端には、まだ新しいソースの跡が残っていた。
(つづく)
なんで真夏なのに麦の刈り取りしてないのかって?ゲームだからだよ(暴言)
では、また明日。




