プロローグ1
「――システムセルフチェック終了。MAS値正常範囲内。スポーングリッドN-105,E-20ポイントB-2」
ダイブ前のセッティング画面を復唱して確認する癖は今も抜けていない。
四年ぶりに起動したVRゲーム機『ヴァルター2000』の、その独特の駆動音すら、ダイブした俺の耳には既に聞こえなくなっていた。
「VRはあくまで仮想世界です。実生活に支障をきたさないよう、適度にお楽しみください」
機械音声での警告――これは初めて聞いた――の後、プラネタリウムの中心に立っているような妙な感覚と、周囲を明るいブルーに覆われた世界は一度消え、設定されたポイントに空から降下する映像に切り替わる。
テレビモニターのように目の前の一区画だけだったその映像は、映像が地面に近づくにつれて広がっていき、地表すれすれ、生い茂っている木々の葉っぱや、道に敷かれた石畳の継ぎ目まで見えるようになった時に完全に世界がそれだけになった。
ダイブ完了。
エバークロニクルオンライン――四年ぶりに訪れたこのVRMMOの世界は、最後にプレーした時と何一つ変わっていない。
剣と魔法のファンタジー世界。とある大陸の東端、メリキュス半島のほぼ全土を領土とするコローボス王国を舞台にしたこのゲームは、まだ一般家庭にまで普及し始めて十年ほどのVRゲームというジャンルにおいて、傑作MMORPGとして不動の地位を得ている。
見えていた世界が、徐々に存在する世界へと変わっていく。
映像は質量と奥行きを持ち始め、もはや映像ではなく世界に変わっている。
「……久しぶりだな」
両手を見る――使い込まれた籠手と黒いオープンフィンガーグローブがあの日のまま腕に馴染んでいる。
足下の水たまりを覗き込む。
眉毛にかかる赤銅色の髪のイケメン=四年前には最新だったアバター『type28-M2』が鏡写しの世界からこちらを見返している。
VRMMOのアバターは、現実における自分の顔をベースに、上手い事三次元を二次元に落とし込んでいる――詰まる所、自分の顔立ちに近しいイケメンになっているという訳だ。
そりゃあそうだ。折角冒険者としての日々が待っている非日常のファンタジー世界なのだ。そういう方面でもそれなりに都合よくしてもらった方が嬉しいのはおかしなことではないだろう。
水たまりから顔を上げ、身をよじって全身を確認する。
黒いファーの付いた白いロングコート――中二病のたしなみ。
昔懐かしい当時のテンプレ装備――体の防具は軽装に留め、腰にはロングソードの派生武器。左手に籠手の代わりに巻きつけられているエネルギーシールドは、当時実盾、つまり所謂盾がその重量に見合わない防御力だったことから、軽いエネルギーシールドを装備し、その特性を活かして攻撃を受けた時だけ展開することで、装備を軽装にして動き回るという戦術に特化した選択だ。
今は何度か修正が入り、エネルギーシールドを貫通する攻撃手段が増加したり、通常の盾の性能が向上しているらしいので、未だにこの装備が最先端という事はないだろう。それどころか、既に型遅れの二線級装備なのかもしれない。
まあ、装備品をどうするのかについては今後考えるとしよう。
懐かしい古着の着心地を確かめた俺はしかし、インベントリを呼び出して見てくれだけで大した防御力もなく、纏わりついて動きに干渉しやすいコートを脱ぎ、光となってそれが消えるのを確かめてから、初期装備のジャケットに着替えてから、所々めくれあがっている石畳の道を、正面に大きく口を開けているゲートへと歩き出した。
王国東部の都市ニールベルク。長い歴史を持つこの町はここより北西の王都ルフスベルクに対して小ベルクと呼ばれている。
もっとも、小というのはあくまで大都市であるルフスベルクに対してであり、牧歌的な風景の広がっている王国東部においては多くの冒険者たちの拠点となっている一大都市である。
その町のゲートをくぐった俺は、多くの冒険者と、それを見込んだ行商人たちでごった返している中央の広場を迂回し、ハンマーの小気味良いリズムが聞こえる鍛冶屋の裏を抜けて、石畳の道に面している二階建ての煉瓦造りの建物に体を滑り込ませた。
取り付けられたベルがチリンと音を立てて扉が閉まる。
「いらっしゃい」
正面のカウンターのむこうから、NPCの店主の声がする。
ここ、宿屋兼酒場の『黄金のゴブリン亭』は、町にあと二つある同様の施設と比べて、一番肉入り――つまり俺のようなプレーヤーの使用頻度が低い店だ。
その証拠にゲーム内時間ではもうすぐ昼の筈だが、プレーヤーと思しき人影は狭い店内にまばらで、おかげでお目当ての人物を探し出すのには苦労しなかった。
その人物は店の一番奥、店内を見渡せる席に一人で腰かけていた。
俺はそのテーブルに近づきながらインベントリを呼び出し、空中に浮かんだ液晶画面のような所有アイテム一覧から『アイテム1』を選択する。
直後その液晶画面を、スマートフォンを操作する要領で触っていた俺の手の中に、ファンタジー世界におよそ似つかわしくない定形の事務用封筒が姿を現す。この見た目といい、いい加減な名前といい、それが通常のアイテムでない事はすぐにわかる代物だ。
その封筒――もとい、アイテム1を手に件の人物の前に立つと、彼女はこちらに顔を向けた。
彼女も冒険者なのだろうか、防具と呼べるものは飾り気のない胸甲だけで、恐らく上に羽織っていたのだろうローブは丸めて隣の席に置かれている。
その胸甲の上の顔は色白で整ってはいるが少し童顔で、大人しく座っているその姿はどこか精巧な人形のようにも見える。
左右の耳の前から伸ばした髪が伸びたセミロングの、白と金の中間ぐらいの髪の毛が、こちらを見上げる動作で自然に揺れる。
「あなたが?」
俺は声を掛けながら、アイテム1を彼女に差し出す。
彼女はそれを見るや立ち上がった。
ライトブルーの瞳が二つ、こちらを見ている。
「NF-404さんですね。お待ちしておりました」
聞き間違いではない。NF-404。彼女は俺の事をそう呼んだ。
NF-404――今回俺に与えられた名前。より正確に言えば、かつてのセーブデータをコピーした今回の作戦専用のセーブデータのユーザー名。
自前のデータを使用すれば、当然かつての知り合いに見つかる可能性がある。
秘密裏に進めなければならない今回の作戦には都合が悪い。
話は一週間前に遡る。
「実はさ、お前に会ってほしい人がいるんだけど……、近いうち暇ある?」
高校時代の数少ない友人、日下敏彦に飲みに行かないかと誘われた俺は、彼の通う大学に近いチェーン店の居酒屋でそんな話を切り出された。
高校時代はしょっちゅうつるんでいたが、お互いに違う大学へと進学したことで、しばらく疎遠になっていた。
成人式を終え、お互い――これまでとは違い――人目をはばからずに酒が飲めるようになった事を記念して、とは彼の弁だが、お互い大して酒は強くなかった。
まあ、名目は何でもよく、ただたまたま成人式の後に行われた同窓会で二年ぶりの再会を果たしたことからまた付き合いが始まった訳で、今回もただその一環だった。
――そのはずだったのだが。
とりあえずビール――人生の諸先輩方が残した伝統に従って注文したジョッキ二つが、空になり、飲み物のお代わりを貰おうかとテーブル上のボタンを押した時に彼はそう切り出した。
それまでの取り留めのない近況報告のネタがお互いに底を突き始めていたタイミングでのその切り出し。
はっきり言って淡い期待をした。
酒の席で友人から会ってほしい人がいる。想像力だけ肥大した童貞にとって、その切り出し方はもうそれだけで半分ぐらい内容を言ったようなものだ。
「うん?何……?まあ、暇っちゃあ暇だよ。この前バイト先潰れたから再就職までは」
がっついたようなところを見せてはいけない。あくまで冷静に、いつも通りに。バイト先が潰れたのも本当だ。
「実はさ、井出の奴なんだけど、最近会ってないっしょ?」
――なんか恥ずかしい勘違いをしていた。
井出というのは俺の数少ない友達のもう一人で、俺とも日下とも良くつるんでいた。
――いやいや、待て。まだ諦めるには早い。
会って欲しい人が井出であるとは到底思えない。高校時代の友達に対して、高校時代の別の友達が会って欲しいとは中々切り出せない。俺の知る限り井出にも日下にも――そして勿論俺にも――男同士の友情を変質させる趣味はない。
「うん、そういや成人式にもいなかったな。あいつどうしてんの?」
大した意味もなくそう合いの手を入れると、日下は俺より大きな体をずい、とテーブルの上に進出させて核心に触れはじめた。
「実は井出、VR廃人らしくてさ、会ってほしいってのは井出の親父さんなんだけどね、前にちょっと別件で井出に連絡取ったらもう一年ぐらいVRに没入しっぱなしで、今点滴繋がれて何とか生きているような状態らしいんだわ。んで、お前詳しかったろ?その事話したら一度会いたいって」
(つづく)
とても疲れていたある日の脳内
ネタ神(自称)「『死にゆく者への祈り』の感想文を20万字ぐらいで書くかVRもの書けばPVウハウハよ」
ぼく「前者は『一昔前のラノベ』の一言で終わりそうなので後者で」
という血の迷いで書き始めた代物です。
既にプロットは完成しており、書き溜めもそれなりに出来たのでそれが尽きるまでは毎日投稿予定です。
それでは、何卒広い心でお付き合いいただきたく存じます。




