005 二人だけの秘密です。
「もう、お昼ですね。初日は、給食無しの早上がりですから、みんな帰っちゃいましたね。保健の先生は会合があるからって出かけてますし、私たちも帰りましょうか」
工藤美菜さんが、先生から預かった保健室のカギをスカートのポケットから取り出して言った。うぉん。ってことは二人っきり?またもや心臓が高鳴る。僕は、今朝、登校する時に見た、桜並木の歩道を並んで歩くリア充の二人組の後姿を思い出した。あの時の妄想が現実のものとなろうとしている。落ち着け、飯坂洋太。
美菜さんの静かな笑顔を見ていると心が癒される。学園のアイドル、高宮恵華さんの美しさが深紅の薔薇なら、美菜さんの美しさは紫陽花の様のようだ。惹きつける様な派手さはないけど、ほんわりとやわらかくて繊細な色調をしている。そんなことを考えたら少し落ち着いた。
「学校前の歩道の桜が満開でしたね。とてもきれいで心を奪われました」
「飯坂くんもそう思いました。ふふっ。私もです。あの桜の下を歩けるのも今年が最後ですね」
何かとてもいい感じだ。素直に話せる。僕は思い切って告げた。
「一緒に帰りましょうか」
「良いですよ。一緒に帰りましょう」
美菜さんは屈託のない笑みを返してくれた。
「じゃあ、服を着てください。私、この裏で待ってますから」
美菜さんは、そう言い残して白い布でできたパーティションの後ろに隠れた。僕はベッドから降りて服を着る。パーティションの薄い布切れの向こうに、彼女の後姿がシルエットとなって透けて見える。僕はその姿に目を奪われながらも急いで服を着た。シーツを直して、毛布の端をそろえてたたむ。
「終わりました」
僕は彼女の後姿に声を掛ける。彼女が振りむいて、パーティションの横から顔を出す。
「ちゃんときれいに整えるところ、私、好きですよ」
褒められて何だか気恥ずかしいけど、嬉しい。美菜さんはちゃんと見てくれている。
「はい、それじゃあ、3Cのクラスにカバンを取りに行きましょう」
「うん」
僕たちは保健室の引き戸のカギを閉めて、三年C組の教室へと向かった。廊下の窓から差し込む日差しに照らし出される美菜さんの濃紺の制服。誰もいない学校の廊下に二人の足音だけが響きわたる。僕は足を速めて彼女と並んで歩いた。
「誰もいない学校って何んか不思議。ちょっとワクワクします」
「うん」
横に並んでいるので、美菜さんの右手が一瞬だけ僕の左手に触れる。彼女は気にする様子もない。このまま手をつないで歩けたらどんなに幸せだろう。でも、もちろんそんなことはできない。
「誰もいないし、走っちゃおっか」
美菜さんは悪戯そうな顔を僕に向けたかと思うと、僕の手を取って走り出した。僕は彼女に導かれるように走り出す。呼吸を合わせて、少しずつスピードを上げる。僕は手が離れないように美菜さんの手の平を強く握り直す。わおーって叫びたくなる気持ちを抑えるだけで精いっぱいの僕。気持ちが通じたのだろうか。
廊下の端まで行って二人で階段を駆け上がる。心臓のドキドキが止まらない。あーもう。教室がもっと遠くにあれば良いのに。3Cのクラス入り口の前で止まる。僕たちは顔を見合わせて、クスクス笑いをした。
「廊下を走っちゃいましたね。校則違反ですよ。洋太くん」
興奮した美菜さんが僕のことを下の名前で呼んでくれた。嬉しい。夢の中にいるようだ。
「美菜さんだって校則違反ですよ」
お返しに僕も下の名前で呼んでみる。彼女は自然に受け入れてくれる。最高の気分だ。
「ふふっ。そうですね。二人だけの秘密にしましょう」
秘密と言う言葉にドキドキが止まらない。心臓が爆発しそうだ。
「僕は・・・」
「何?」
思わず勢いに任せて『美菜さんが好きだ』と言ってしまいそうになる。言ってしまえたらどんなに気持ちが楽になるだろう。でも、直前で言葉を飲み込んだ。彼女にとって僕は弟みたいな存在でしかない。言ったらきっと壊れてしまう。大丈夫、同じクラスになれたのだからチャンスはまだまだある。今は欲張る時じゃない。
「ううん。何でもない。二人だけの秘密ですよね」
「はい。秘密です」
その時、誰もいないと思っていた、三年C組の入り口の引き戸が勢いよく開いた。心臓がドキュンと鳴った。
「おっ。廊下が、騒がしいと思ったら、ようやく帰ってきたか」
星崎匠真くんが教室から顔を出した。彼に続くように、学園のアイドル、高宮恵華さんも顔を出す。
「お帰り。班長!あんまり遅いから、みんなで保健室まで様子を見に行こうかって相談してたところなのよ」
二人の後ろから弁慶と牛若丸が飛び出してきた。凸凹感が半端ないので、思わずそう思ってしまったがもちろん違う。一人は中学生とはとても思えない大男。背の高い星崎くんより首一つ上、巨漢の骨太男子。もう一人は僕よりちっちゃい女の子。ベーリーショートの茶髪と、日に焼けた健康そうな肌。クリクリの瞳がかわいいミニマム美少女だった。
「おう、班長!俺は矢島元ってんだ」
弁慶さん。班長?ってどゆこと。
「班長。ボクは山名愛唯。メイって呼んでね」
牛若丸さん。班長?ってどゆこと。
「いやー。悪かったです。二人がいない間にクラスの班決めあったので、飯坂くんを班長に推しときました。いわゆる、欠席裁判です。で、ここにいるメンバーが東山中学校、三年C組第二班と言うことで決定しました」
まったく悪ぶれる様子もなく星崎くんが語った。星崎くんは僕の耳元に顔を近づけて小声で言った。
「工藤さんも班に入れといたから。これで僕たちは、春の遠足から体育祭、文化祭から修学旅行まで、卒業するまで一年間、ずっと一緒ですよ。楽しくなりそうです」
ふてぶてしく笑顔をつくる星崎くん。貴方って人は、いったい何処まで強引なんだ。でも、でもです。憧れの美菜さんと、今年もまた同じクラスになれただけでも幸せなのに、同じ班で中学校最後の一年間を過ごせるなんて。悪魔だなんて思ってゴメン。星崎くんは神様です。
「ところで、二人の廊下でのことはみんなには黙っておくから。キミ、思ったよりやりますね」
「・・・。何のことでしょう」
「二人だけの秘密ですってことですよ」
僕は周りを見回した。丁度、美菜さんがみんなに自己紹介しているところだったので星崎くんと僕の話は聞いていない。ホッとする。星崎くん。貴方はやっぱりとんでもない悪魔です。悪魔に弱みを握られた僕は、これからどうなるんだろう。一抹の不安を抱きながらも、美菜さんと一緒の班になれた喜びは隠せない。自然に顔が緩んでしまう。
「ところで洋太くん!告白の返事をまだ聞いていないんだけど」
学園のアイドル、高宮恵華さん。今ここで、その答えを僕に求めるのですか。