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004 そんなつもりだったら、良かったのに。

『そんな顔で僕をにらまないでくれー』


 自分の呻き声と共に僕は目覚めた。ひどい夢を見た。あり得ない話だが、学校一のアイドル、高宮恵華たかみや けいかさんが、学校の屋上から僕に告白してきたのだ。彼女を慕う多くの男子生徒の怒りの顔が、僕をののしりながら渦となって襲ってくる。体がだるい。やわらかな日差しがまぶたを覆っている。もい一度、寝直そうと体の向きを変えた時だった。


飯坂洋太いいさか ようたくん。飯坂くん」


 誰かが僕を呼んでいる。あれ。ここはどこ?いつものベッドより、スプリングが少しばかり固い気がする。


 まぶたをゆっくりと開く。光の中で、僕を覗き込んでいるメガネの女の子の姿が、目の奥に像を結んでいく。彼女の長い黒髪が、僕の顔のすぐ側に垂れ下がっている。知性を感じさせる少し広めの額。メガネの奥の大きな瞳と長いまつ毛。筋の通った小さな鼻と少し上気した薄桃色のほほ。艶やかで柔らかそうな唇。


 窓の外から入り込む光を受けながら、真っ白なカーテンが風にゆれている。白い布でできたパーティションをバックに天使が優しく微笑んでいた。なんてきれいなんだ。まるで絵画のような光景に僕は見とれた。幸せ過ぎて声が出ない。ここは天国なのだろうか。小さな唇が再び僕の名を呼ぶ。


「飯坂くん。大丈夫?」


 まどろんだ意識が急激に覚醒していく。えっ?なんで工藤美菜くどう みなさんが僕の目の前にいるの。うそでしょ。どうなってんの?僕は訳も分からずにたずねた。


「こ、ここはどこですか」


「保健室です。飯坂くん、グラウンドで倒れたんですよ。熱中症ですって」


「なんで工藤さんがいるのですか?」


「新しい保健委員が決まってないから、保健の先生に押し付けられちゃいました。私、二年の時、保健の代表委員だったから」


 美菜さんがやわらかい笑顔で答える。まだ、ちょっと頭がぼーっとして現実感がない。


「あっ。動かないで。ちょっとまってね」


 そう言うと美菜さんは額に手をあてて髪の毛を持ち上げた。彼女の顔が僕の顔に向かってゆっくりと降りてくる。うわっ!嘘でしょ。僕の唇に彼女の唇が触れるっ・・・。と思ったら、その前に、おでことおでこがそっとぶつかった。余りの突然の行動に体が動かない。


 僕はフリーズしたまま良からぬことを考えた。後、数センチ顔をずらして、あごを持ち上げればきっと。でも彼女の瞳に見つめられて動くことんなんてできなかった。星崎匠真ほしざき たくまくんならきっと迷わずにそうしているだろう。僕は小心者のいい人な自分にむしろ感謝した。夢のような時間を壊さずに済んだ。ほんの数分の間、時間が止まる。彼女は顔を上げずに言った。


「うん、大丈夫。熱はないみたい。良かった」


 彼女から漂う甘い香りが僕を包み込み、言葉を発した時の吐息がかかる。


「顔が・・・」


 美菜さんの顔が慌てて離れて行く。その一瞬が、スローモーションのように、僕の脳裏に焼きつく。


「あっ、えっ。ごめんなさい。私が熱を出したときは、お母さんがいつもこうしてくれるから・・・。本当にごめんなさい。ビックリさせちやっちね。そんなつもりじゃないの」


 美菜さんは顔を真っ赤にして謝った。かわいい。今朝、玄関でぶつかるまでは二メートル以上、近づいたことがなかったのに。大接近だ。そんなつもりだったら、良かったのに。僕の体も心も溶けてしまいそうだ。


「もう、大丈夫です」


 僕は、額に残る余韻が失われないように、反射的に手をあてて彼女の前で上半身を起こした。


「だ、だめ。まだ起きちゃ・・・」


「あっ」


 僕の体にかけてあった薄手の毛布がずり落ちる。えっ、ええー。僕の制服とシャツ、ズボンが消えている。下着姿の僕を美菜さんが見つめていた。顔を真っ赤にして美菜さんが語る。


「ご、ごめんなさい。熱中症の処置は『上着などを脱がして、服をゆるめて涼しく楽な格好にすること』って保健の先生に以前、教わっていたから」


 彼女の横にある椅子の上に、僕の制服とシャツ、ズボンと靴下が丁寧にただんで置いてあった。


 じゃあ、美菜さんが僕の服を脱がしたってこと?あまりに恥ずかしすぎる。中学に入ってから、母親にだってそんな事されたことないのに。僕は白くて細長い彼女の指を見つめてしまった。あの指が僕に触れて・・・。


 僕は美菜さんの指をけがしてしまったのだ。天使のような無垢むくで美しいこの指を。僕は感動するとともに、少しでも変なことを考えてしまった自分を恥じた。


「僕なんかの為に。ごめんなさい。ありがとうございます」


 良かった。緊張もせず、素直な心でお礼が言えた。


「こちらこそ。気にしないでくださいね。私も気にしてませんから。飯坂くんって、何かちっちゃくて可愛くて。ほっとけないって言うか、弟みたいだから」


「弟?」


「はい。弟がいたらいいなって思ってました。私、一人っ子だから」


 そうだよね。弟か。何だか複雑な気持ちに満たされていく。僕は美菜さんに、一人の男として認めてもらえるスタートラインにすら立っていない。

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