第99話 師匠と弟子
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やっと到着した交易都市トレドの、その聖女派教会本部において。無事完璧とは言えないまでも、護衛の任務を果たした俺とクロはアキュレイさんとともに教会の客人としてもてなされた。
臨時雇いの俺達はここまでとなるが、アキュレイさんは引き続きティナ様一行と行動をともにする。
彼女達にとってはここはまだまだ旅の通過点でしかない。ここからさらに北へ、北方領域にあるという聖女派教会の聖地リューンベリへの往復と、巡礼団の故郷、南方レーメンス子爵領までの帰路がある。
聖騎士団の有志による万全の護衛は当然につけられるようだが、昨日いた騎士は男性ばかりだった。やはり女性で高い魔力と武力を持つアキュレイさんは一行には欠かせない存在だろう。
……東のゴズフレズ侯爵領へ向かう俺達とはこの町でお別れとなる。
しかしありがたいことに教会のトップ、カペリーニ司教様からは、トレドに滞在している間は俺とクロにも寝床と食事の心配はしなくていい、との予想外のお話をいただいた。よって少しの間だけお言葉に甘え、次の領地の本命の面倒ゴトに対抗する英気を存分に養うことにしたのだった。
「つっても、トレドまで来ちまえば、あたしらはあんまり慌てる必要はねえ。休息と準備はしっかりしとかないと……北方領域への旅は、また出くわす魔物が、厄介にもなるしな……っと」
この国の、北の果ては……国の外と地続きで、強力な魔物の領域も多数存在する未開の地、らしい――痛ッ!
くっ、ここブラウウェル伯爵領と比べると、土地ごとの格差がひどい国、だな。
「護衛の騎士連中もリューンベリへの往復だったら、しばらくこの町を空けることになる。編成調整にゃ時間がかかるだろうな……おい下げるな、構えろ」
……げほっ、……はぁ、はぁ、ふぅ。はぐっ、……痛ぅ。
「ちっ、だらしねえ。さっさと整えろ。あと懐に入られたくらいで慌てて剣に戻すようなヘボ槍なら、最初っから剣で集中しとけ」
ちなみに……例によって今回も、聖女派教会のある町では、トラヴィス司祭達は諸々の仕事が忙しい。
護衛の冒険者なんぞでは手伝えることなどないので、ヒマな俺達三人は聖騎士団の練兵場でトレーニング中だ。
さっきまでは教会の修道士達も周りでやってたが、四の鐘の前に全員引き上げていった。
「……へぅ。…………なんか、今度の祭儀では、ティナ様が……司式司祭とかを、務めるとかで、テリィさん達もバタバタ準備してましたね……ぉえっ」
「おお。そりゃすげーな」
広い王国内においても聖女と目される存在は数える程度しかいないという。
このブラウウェル伯爵領において聖女派教会の求心力を高めるためにも、行事やイベント関係にはバリバリ駆り出されるんだろう。
……まるでアイドルみたいな扱いだな。そういえばアイドルってのは偶像のことらしいが、生身の人間だと偶像崇拝的な問題とは無縁なのかな? 学んでないから詳しくは知らん。
そのティナ様ご本人はまだ襲撃の怪我の後遺症が残っていたので、今日のうちに治癒魔法を受ける予定になっているらしい。……ふぅ。
「こら、苦しくても呼吸に身体強化を使うなっつっただろ。わかるぞ」
「げはっ。ひぃ……」
「へえ。さすがは師匠って呼ばれるだけあるのね。……同じように打ち合ってたのにレノだけへちょへちょじゃない」
「ふふん。まっ、師匠らしいことも、ちょっとくらいはしとかねえとなっ。レノも対人の戦闘はまだまだだな! 素振りの時にもちゃんと頭使いながら振れよ?」
身体強化を封じて同条件の木剣戦闘なのに、アキュレイさんの呼吸はほぼ乱れていない。俺も鍛えてはいるつもりだったのに基礎体力が違い過ぎる。
……機嫌がよろしいのは何よりですが、ちょっとニコニコしすぎじゃありませんか? 俺に何か思うところがあるんですかね?
「それに……戦闘中に剣を槍に変えるってのは、やっぱり一回こっきりのびっくり技だな。目の前でやられると隙がデカすぎて斬り放題だ」
……やっぱりか。魔力による柄の付け外しはかなり速くなったつもりだが、達人クラス相手にはバカ丸出しらしい。
こないだの朝みたいな不意打ち以外だと、旅の持ち運びに便利なだけの業でしかないかぁ。ぐへっ……。
「……ねえ。見てたらやりたくなった。交代したい」
「ほぉ。かまわねえぞ、来いよ」
やった。ナイスだクロ。ちょっと休ませてもらおう。
あ、お前またナイフ無しか。武器も少しは練習しろよ?
…………おおぉ。
目の前だと反応するのに精一杯でわからなかったが、離れると動きがよく見えるな。細かい足運びで間合いを一定に保ちつつクロのスピードに対応している。
魔力無しでも、人間が獣人とやれるトコまでいけるんだなあ。
「このぉっ!」
「こりゃいいな。獣人相手は久々だから、使ってなかった筋肉が目覚める感覚だ」
「……ふんっ!」
「おっと」
「ぅりゃっ! あッ? ……んぎゃっ!?」
スゴい! 最小限の動きで躱しつつクロの背後を取り、腰装備のナイフに木剣を食らわせて地面に転がした。本気ならどこでも急所を打ち放題だろう。
「…………むぅ」
「レノよりゃマシだが、クロもまだまだ経験が足りねえな」
さすがはアキュレイさんだ。一対一なら俺達よりも強い。魔力も無しだしな。
「…………しかし、お前らにはまだ何か奥の手があんだろ? ちょっとそれ見せてみろよ」
「えっ? ……いやぁ、アレは結界の中じゃ無理ですよ。特にここの上層地区のはかなり強力なやつみたいですし」
結界の外でやったとしても、町の近くとかなら衛兵が即駆けつけてくるだろう。こんな大都市なら守備隊に魔力智覚持ちが配備されていてもおかしくない。つか俺が領主なら置く。
「……んん。そりゃそうか。ちっ、もう機会はねえか……」
(――おい待て! 妾が力を貸してやろう! アレを使えばよい。妾もそやつらの真剣勝負を見てみたいぞっ)
おわ。……シグさんあんた天気のいい昼間は喋るのしんどいんじゃなかったの?
つかあの結界って、魔力智覚に対しても隠蔽効果みたいのがあるんですか。
(うむ。造作もない。お主の魔力は幾許か必要じゃが、大きさも闘技場程度ならば容易いぞ)
マジですか。……まあ、それなら俺達以外には誰もいないし大丈夫かぁ。
「……あっ。あの女が何かするのね? やらせてよ。全力が出せるならアキュレイにだって負けないわ」
「おん? 言うじゃねえか。おもしれえ、大人しい奴かと思ってたが見直したぜ」
魔力付与は術者側と受ける側、両方に技術と相性を要する。自らのモノではない魔力は通常体内に取り込むことはできず表面を流れて飛散する。
アキュレイさんによると、外へ放出された魔力は、魔素と呼ばれる状態に存在を変えて空気中に広がるらしい。魔素に対してはどれだけ集中を凝らしても魔力智覚で察知することはできないようだ。
……前世知識を加えて考えれば、水や空気と共に大地を巡り、有機物や無機物に再び魔力として蓄積するのだろう。
経験によって伸びてはいるものの、クロが取り込むことのできる俺の魔力量には上限があり、使用する時間にも限りがある。
より強い力を引き出そうとすれば当然持続時間は短くなる。
うっすらと外が青みがかって見える大きなドーム状の結界の中で、準備が整った二人が向かい合う。
都市の結界の中ではありえない量の魔力を身にまとっているが、吸い上げられているような様子はない。また、午後の練兵場に誰かが訓練にやってくるような気配もない。今は聖典の研究だか勉強会だかの時間と言ってたかな?
……どうやらクロは短時間で勝負を決めるつもりのようだ。
腰を落として獲物を狙う突進の構えは、獣人にはなかなか様になるな。あの気迫じゃあ、全力の強化は三分ももたない。
うん。どれだけの速度で間合いを詰めてくるかわからない初見の初撃が、当たる確率が最も高いと俺も思う。
しかしその気配を察知したアキュレイさんも身体に魔力をまとわせ、表情からは笑みが消えた。木剣を捨てロングソードを抜いて構える。
「師匠!?」
「心配すんな。ヘマはしねえよ」
(水を差すでないわ。首でも落ちん限り、ここの坊主が治すじゃろ)
睨みあう二人に合図を出すような無粋はいらない。立ち合いのタイミングは互いが決する。
しかし魔力智覚のあるアキュレイさん相手に、身体強化を会得して日の浅いクロは不利だろう。おそらく踏み出しは一瞬手前に感知され――
(ほう!)
悠長に解説などする間を許さず、旋風を残して飛んだ黒い影は、対峙した相手と激しく交錯し一瞬の攻防の後に崩れ落ちた。
……え? 何、今の。こんだけ距離があるのに速すぎて攻撃が見えないとか意味がわからん。
「…………あ。やべえ。おいレノ、運ぶの手伝え」




