第97話 絶対に働きたくないでござるという聖女の教え
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「なんか外が騒がしい」
「んぁっ? ……おぉ。戻って、きてたのか」
目ヤニをこすりつつ見る窓の外には、青空に少々の雲。きれいに刈り揃えられた庭の緑を彩る春の花々だ。
「敵が来たとかじゃあないみたいだけど」
「……何だろな? さすがにそろそろ礼拝の準備でも始めんのかな?」
ブラウウェル伯爵領フォートの町の教会、その小さな来客用の控室のベッドで微睡んでいた俺にクロが声をかける。
獣人の彼女には何かが聞こえるみたいだが、聴覚強化してない人間の俺の耳では静かなものだ。部屋からは見えないが、たしか敷地の壁の外では大勢の領主兵士が厳重に警備を固めているという話だけど。
ここの教会の広さ、建物の数と大きさなら修道士や下働きも少なくはない人数がいるはずだ。しかし昨日までと比べると窓の外に人の姿は見えず、昼も近いというのに煮炊きの喧騒もない。
ここでは安息日の今日はマジで働いてはいけないらしい。
まあさすがに一刻毎の鐘の音はちゃんと鳴るし、患者の世話をする施療院や子供のいる孤児院のほうは、必要な仕事はしているようだが。
町の宿屋での暗殺者ロベルトの襲撃を退けた後の俺達は、結局いったん教会へと戻ることになった。
地元司祭の接待的な意味を持つ高級宿利用だったが、代官ほか多方面が大騒ぎになったあれの直後では「それじゃ気を取り直して別のいい宿へ」とは移りづらい。
教会での寝泊まりであっても、特に文句を言うような人間はこのティナ司祭一行にはいないし。
それに今いるここでも来賓の従者などが使う部屋なのだから、並みの宿以上にはちゃんとしたものだ。
窓から差し込む表の陽はとっくに高いが、ベッドで大人しくしているのはれっきとした俺の今の仕事でもある。働いていれば消耗もする。
「……なぁ、お前腹は減らねえか? ――っと。はい、どうぞー」
ひもじさに同意を求めようとした時、不意に扉をノックする音が響く。
返事をすると山盛りトレイに大きな水差しと、複数の皿やカップを器用に抱えたアキュレイさんが入って来た。
「メシもらってきたぞ。胸の怪我の具合はどうだ?」
おぉ? 食べ物を扱うためか、珍しく白い金髪をアップにまとめている。護衛の仕事中は無造作なざんばら髪だったので、見慣れない髪型が新鮮ですごくいい。
「わぁ! すみません師匠、ありがとうございます。お二人に警護をお任せして、治癒に集中してるおかげでだいぶくっついてますよ。もうあんまり痛くないです」
「お。そりゃ良かった。明日の朝はもう出発だからな」
「……外の騒ぎは、なに?」
問いながらもクロが手際よくテーブルに三人分の食卓を用意する。仕事をしない安息日の食事は作り置きの保存食に近い。
メニューには骨折の治癒のため俺がお願いした乳製品と干し魚がたっぷりだ。火を使わないのでスープの皿はついていない。自前の固い干し肉はそのまま齧るしかないが、魔力で加熱すればかなりマシだ。
こないだの高級宿の食事もそうだったんだが、冷やしたほうがいい飲み物はどれもちゃんと冷たくて美味い。中世文明な世界だが、金銭的余裕がある所では魔力か魔道具を使って冷蔵してるようだ。どこかに氷室でも用意してあんのかな。牛乳もずいぶん保存状態がいい。
「何か問題でもあったんですか?」
「ああ、なんかトレドの町から護衛の聖騎士らが到着したらしい。いきなり市壁の衛兵から連絡が来たみたいで、休みなのに出迎えに大騒ぎだ」
「……え。ティナ様に? ……そんな大げさな護衛なんかつけてったら、ご存命なことバレるんじゃないですか?」
「バレるっつってもお前、向こうの司教様からしたら手配しないわけにはいかねーだろ」
おそらくすぐに都市へと届けられたであろう続報の内容は、ティナ司祭も護衛の俺も重傷、襲撃犯の二名は逃亡に成功して行方をくらませた、って感じだろう。
ここフォートから隣のトレドまでは半日程度の短い距離とは言え、そんな危機的な伝令がやってこようものなら、そら迎えはしっかり寄越すわな。
……しかし聖騎士とはまた凄い字面だな。
「交易都市トレドの聖女派教会くらいデカくなると自前の武力も備えてるからな。力のある修道士達で部隊を組織し、領内はもちろん外へも魔物討伐に出てる。そのうち隊長格の何人かが騎士身分をもらって聖騎士を名乗ってんだ。……どいつも恐ろしく腕が立つぞ」
「アキュレイよりも?」
「やったことはねーが……前にちょっと一緒に仕事した奴らなら、順番に並べて下のほうにはサシで勝てる、かも? あぁ、上はマジでやべぇ」
おおう、アキュレイさんクラスが上下に並べて十人くらいいんの? それぞれに部隊を率いて? ……そんなんを聖女を害した罪で敵に回したら絶対死ぬやん。
トラヴィス司祭と修道士トムさんには、約束通り全力で守ってもらわないとな。
「――はっはっは、そんなに畏まらなくてもかまいませんよ。我々も詳細な状況はお聞きしております。護衛の冒険者の皆様についても、カペリーニ司教からは丁重にお迎えするようにとのご下命です」
「聖女様の盾となってその身命を投げ出したと伺っております。尊い行いです」
「お、恐れ入ります……」
午後の安息日定例の礼拝の後、顔合わせと言うことで夕食を共にした聖騎士団の皆さんは普通に立派ないい人達だった。
ピシッと着こなされたその揃いの正装の下にも鍛え抜かれた肉体がわかる。聖女様の護衛として実力も人柄も選りすぐりを揃えたというのは本当だろう。
さすがにトップの団長さんはトレドを離れられなかったらしいが、志願した団員から上位の者を選抜してやってきたと言うから、指揮官プラス小隊二つで十一名と言えどその頭数だけでは測れない強さを持つに違いない。
今この教会の広い食堂では俺達と合わせて二十人が一度に会食している。
お互いの顔が見えるよう大きな一つの長テーブルに向かい合わせで座り、こちら側は中央部にトラヴィス司祭とティナ司祭、右手側に修道士トムさん達で左手側が護衛の俺達だ。
ちなみに冒険者の俺達三人も、さすがにこの場では教会に用意してもらったそれなりにパリッとした格好をしている。と言ってもお貴族様なひらひらピッチリではなく襟付きのきれいなシャツと上等なズボンなので抵抗はない。
……食事の場だというのにクロは史上最高に空気と化しているようだ。いっつも思うんだが何かの特殊なスキルなのかそれは。せっかくのおめかしなのに。
「ここまでの聖女様の旅は……並々ならぬ試練であったとも。皆様素晴らしい信仰をお持ちです」
「全ては大聖女様のお導きです。苦難の時こそ主はそばにおられます」
答えるティナ様とトラヴィス様はもちろん、過酷な旅路をともに乗り越えてきたトムさんや修道女さん達に対しても、騎士団からは尊敬の眼差しが向けられているようだ。
トラヴィス様と和やかに歓談している真ん中の隊長らしき人は、副団長も務めているという大物らしいが、見た目には普通のおっさんだ。この食事の場ではとてもアキュレイさんを上回るような武人には感じられない。場に応じて弁えた振る舞いができるってことも実力の高さなのだろう。
「いやしかし、西の男爵領の流行り病が虚報であったとは……」
「フェデリーニ司祭殿からの便りが届くまでは、司教様も気を揉んでおりました」
「それは……申し訳ありません。ご心配をおかけしました」
「いやいや。それも敵の手によるものと。事情を知れば、何とも恐ろしき念の入れようです。フォート近辺は領主様の兵達が捜索に当たっておりますが、依然として刺客の頭目は行方知れずです。我らも油断はなりませんな」
頭目だろう髭の神官ロベルトも、内通者だった修道女マリエルさんも、魔法使いとしてはかなり高位の実力者だ。あれくらいの魔力持ちが全力で逃走を図ったら、手がかりを見つけることすらも難しいだろうな。
「……話によれば、レイノルド殿もそのお齢ではかなり魔法の業を高めておられるとか」
「い、いえ、そんな……、まだまだ未熟です」
「機会があればお目にかかりたいものです」
「おいおい、明日は聖女様がご一緒なのだ。それは望むべからざる事態だぞ」
「ははは……」
愛想笑いはあんまり得意じゃない。それに不吉なことは言わないでほしい。
……しかし。この護衛チームのリーダーは大人のアキュレイさんなのに、何故に子供の俺が前面に出て会話させられてるんだろうか。こういう社交はさすがに師匠の仕事では?




