第94話 虚言
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何ということだろう。
ステファン様ほどの方が、このような光も当たらぬ、裏の仕事につきあって命を落とすとは。
信じられない。
あれほどの御方が……家族にも、慕う信徒にも言葉も残せぬまま。
髪の毛一本残すことすらも許されぬとは。
故郷の教会においては……おそらく遠隔の地、海を越えた遥かな異国へと布教の命を受けて旅立ち、不幸にも命を落とした。とでもされるのだろう。
殉教者として、教会と領地を挙げて盛大な葬儀は執り行われるかもしれないが、それは主の教えにも背き、咎めを免れ得ない欺瞞だ。
しかし……今はそれに囚われている時間はない。
ここまでの旅の全ては、交易都市トレドの聖女派教会、カペリーニ司教様の下に報告されてしまった。
フェデリーニ司教様とも昵懇のあの方ならば、トレド以北の、リューンベリへの往復は都市教会の聖騎士団選りすぐりの精鋭を大勢護衛につけかねない。おそらく交易都市以降には目的を達する機会は訪れないだろう。
それでは私の願いはかなわない。何としても明日のトレドに到着する以前に事を成さなければならない。
最後の望みは……あのお方だ。
すでに我々を先回りして、この町に入っておられるという。
他に泊り客のいないこの宿で、誰の仕業と悟られぬように標的のみを始末するというのは、私一人にはさすがに荷が勝ちすぎる。
「――はい、アキュレイ様は何とか床に着いていただきました。ティナ様は何事もなくすでにお休みです。……今のところ、私どもの部屋では変わったことはございません」
「全くあの人は……。いや、ご迷惑をおかけしました。やっぱり最後までつきあうべきでしたね」
何故この子供は平気で素面で酔っ払い達に混ざることができるのだろう?
「ふふっ、お疲れですね。昼間は大変だったんでしょう? 僕は皆さんがお仕事の間、しっかり休ませてもらいましたので。後は任せてください」
「……では、お言葉に甘えさせていただきます。失礼いたします」
朝までの見張りをお願いし、交代した護衛の少年と別れて部屋に戻る。
あのあどけない表情から、その内に秘めた実力を誰が見抜けるだろうか。
部屋の中で寝ている護衛の冒険者を起こさないように静かに扉を開ける。
まあ心配はいらない。さっき部屋を出た時と同じ、酒の臭いの混じった品のない高いびきのままだ。……好都合としか言いようがない。
…………。
今ここでこの憎い標的に、直接手を下すことは至極容易い。
だが、それでは私も言い逃れはできなくなる。それにあのお方の指示では、今晩はあの少年にもステファン様の仇としてその命で償ってもらわなければならない。
「……ティナ様。ティナ様」
「……、……ん。どう、しました?」
「お静かに願います。……少々面倒が」
……躊躇うことはない。もはやあの方の指示に従う他はない。
「…………レノ様が……見回りの折、賊と見間違えて宿の人間に大怪我を負わせてしまいました。事を荒立てたくないのでティナ様だけを呼んできてほしい、と」
「まぁ! それは大変! アキュレイ様は……、あら……。仕方がありませんね。よほどのことでしょうしすぐに行きましょう、案内してください」
「こちらです」
今頃外から忍び込んだあの方が、手筈通り物音でも起こして予定の場所へ少年をおびき出しているだろう。
ともに広い屋敷のような宿の廊下を駆け、一階へ降りて庭園へと出る。
月明かりの下に……いた。
「レノ様!」
「ティナ様!? えっ、なぜ?」
「怪我をされた方はどこに?」
少年に駆け寄ろうとする標的。
私は後ろをついて走るのをやめ、射線を遮らないように身をよける。
何かを察知した少年の顔と目が合ったのは一瞬だった。
一筋の極小の魔力の光が二人の胸を同時に貫いた。
「……犠牲は大きかったが、よくやったと労っておこう。随分手こずらされたが、これで仕事は上がりだ」
属性変換をしない純粋な魔力の光の矢。魔力智覚があったとて躱すのは不可能な速度だ。治癒と並んで教会において秘され伝わる魔法の一つ。ごくわずかな魔力によって、結界内でも人を死に至らしめることを可能とする禁術である。
……少年の即死を最優先に狙ったためだろう。倒れたティナには辛うじてまだ息があるようだ。
「自分でやるか?」
「いえ。何が手掛かりになるかわかりません」
黒衣の男は彼女を見下ろし、至近からその首に狙いを定める。
「これでお前の欲しいモノは二つとも手に入る、か――ッ!?」
「!?」
突然の爆風! 抗えず逸らした視線を異変へと戻す!
「なッ!?」
目に映る状況が、理解できない。
弾き飛ばされたロベルト司祭は利き腕の肘から先を失っている!
「…………はッ。……生、きてやがる、だと? ……しかも、この状況で隙を突くまで完璧に狸寝入りたぁ、ガキの胆力じゃぁねえな……!」
「……はぁ、はぁっ! ぐッ、ロベルトさん……」
「ち……。顔を合わせるつもりはなかった、んだが」
少年!? そんな馬鹿な! 確かに当たったはず。どうやってあれを防ぐ!?
「マリ、エルさん……あなた……!」
足元にティナを庇うレイノルドの、痛みに歪む表情からは無傷でないことは窺い知れる。ならばまだッ!!
「やめろ。すぐに奴らが来る。コイツは簡単にはいかん。退くぞ。俺の腕を拾ってこい」
「!」
レイノルドの魔力に事態を察知したか、宿の屋敷の上階が騒がしくなる。
……くっ。
「おいおい! 観念して捕まろうってんなら別に止めやしねぇが、最低限の仕事は済んでるぜ。ガキにはバレてんだから、どぉ転んでも元の居場所はねぇだろ」
ティナの首からは夥しい出血が見える。意識が戻ることはないだろう。治癒を使える本人がこの有様ならばまず命は助からない。
投降した場合、ロベルト様にその気がなくても、他の主神派の上の方々は絶対に見逃してはくれない。
……あの人と離れたくはない。が、もうそんなことを言っていられるような状況では……ない。
腕を拾った私を見てロベルト様は地を蹴った。最悪の場合に落ち合う場所は指示を受けている。
レイノルドや他の連中はあのティナを置いて追ってくることはできないだろう。




