第93話 旗立ててたらなんか楽しくなってきた
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大陸の過半を領土とし、貴族諸侯がそれぞれの各領地を統治しているというこの王国。その中央部で王都の近くに位置しながら、東西を横断する長い山脈を挟んだ北側の麓にある小さな田舎コリンズ子爵領。
そこを出発して東方領域へと向かう俺と犬獣人クロの旅は、セルスロー子爵領、デイモンド男爵領を経由してやっとのことゴズフレズ侯爵領の西隣、間に挟まれた三つ目の領地であるブラウウェル伯爵領へと入った。
……思えば、遠くへ来たもんだ。
えーと、エブールを発って……もう十八日目? かな。
確実に目的地に近づいてはいるのだが、何かまだまだ先も長そうだ。ゴズフレズ侯爵様はそんな立場ならお忙しいだろうから、俺のことなんかもう忘れてたりするんじゃないのかな。
領境の川を渡ってしばらく進むと風景には緑が増え始める。荒れた岩山は徐々に姿を消して視界は広大な平野になった。
すでに人家も目に入るようになったここは、今まで通って来た農村の風景というよりは、もうちょっと規模の大きい農場といった雰囲気だ。麦や野菜の畑の周囲には魔物の魔力反応もほとんどない。
「へええ。すっごいですねえ。一面真っ平な畑だ。民家も大きい! ……ああっ、倉庫なんかもいーぃのがしっかりしてるなぁぁ」
片田舎の小さな農村の次男の目には、ここの土地の景色はとてもまぶしく映る。たぶん生活水準がかなり違うなー。
「ここは他の領地よりも治安が良くて豊かだからな。やり手の伯爵だよ」
「聖女派教会にも手厚い庇護をいただいておるようです」
「あそこがフォートって町ですか? ずいぶん立派な市壁ですね」
農地の向こうに小高い草原の丘、緑の森にも隣接した美しい城壁の町が見える。
中世文明には違和感のあるデカい壁だが、肉体労働者も魔力で身体強化ができるような世界なら難しくはないか。まあ前世でも魔力なんか無いのに造りのおかしい建造物はいっぱいあるけど。
「昔、戦があった頃はこの町は伯爵領西側の防衛拠点だったんだ。今は平和だが、デイモンド領にいた貴族とは険悪な時期もあったらしい」
ほう。ひょっとしてアキュレイさんはその戦にも混ざってたりするんですか? とは思いついても口には出さない。
「今じゃ周りに大きな農地が広がってて、それを守るために駐在の領主兵が定期的に魔物を駆除しているんだ。だからもう壁としての役割はほとんど果たしていないけど、町の人達にとっては誇りらしいよ。冒険者の仕事もかなり少ないから、組合も小さな出張所程度しか置かれていないしね」
へえ。小さくはない町に見えるけど、それでうまく回るのか。治安と経済が安定しているのなら、普通の仕事が多いから木札も鉄札も必要なくなるのかな。
「西への長旅だったら、積荷や護衛なんかは遠くもないトレドからしっかり備えてくるからな。人や物はそっちの領都のほうがケタ違いに集まる」
他所の領地を初めて旅する俺に、先輩冒険者であるアキュレイさんやトラヴィス司祭が観光ガイドのように事細かに説明してくれる。
本来ならトラヴィスさんが乗っているはずの前を行く大きな馬車は、御者台からも中からも修道女さん達のおしゃべりが騒がしい。これまでよりも安全な伯爵領に入ったので、彼女達にも旅を楽しむ余裕ができたようだ。俺と齢が近いと思われるチェルシーさんなんかは巡礼の旅が初めてだったりするのかもしれない。
「クロには、あたしからちょっと臨時報酬を出さなきゃな。今朝は危ねえところを助かったぜ。ここでもメシはかなり美味いぞ。お姉さんが奢ってやるからな」
「!!」
嬉しそうに俺の顔見てないで喋れよ。もっと頑張って会話しろ。礼を言え。
俺の師匠だから失礼のないようにって話しにくいのか? 返事しないことのほうがどうかと思うぞ。
「……お高いんじゃないですか? コイツめちゃ食いますよ」
「はッ。ナメんな? 駆け出しのくせに先輩に生意気言うんじゃないよ。……まあたぶんあそこだ。あたしも馴染みの宿だろうから、もしもの時は顔も利く」
あっ。ツケにする気ですね。
「僕も以前この町に来た時は小さかったからね。今日は楽しみだよトムさん」
「おお。思い出してみれば、そうでしたな。ここまでしばらく気の休まらない日々が続きましたから、休める時に心身をしっかりと癒すことも長旅を成功させるコツですぞ?」
「全くだ。おっさん話がわかるじゃねえか!」
むう。大人どもは酒を飲む気満々だな。その口ぶりからすると、この領地はお酒も当然に美味いんだな。
「僕らが引き受けた護衛依頼の目的地はまだ先なので、あんまりハメを外し過ぎるのもマズいですからね?」
……自分が飲めないのが悔しくて言ってるわけじゃないですよ? その浮かれる気持ちと、どういう結果になるかは十分に想像ができるから心配なのだ。
ちゃんとした大人として何か言ってやってくださいと、後ろの馬車で御者をやるマリエルさんを振り返る。
……御者台に一人ぼっちのせいかちょっと寂しそうに見えるな。でもトラヴィスさんとトムさんが並んで歩いてくれてるのに、護衛の俺達が馬車に乗るのはマズいだろう。
うん、今夜は俺達二人だけでもしっかり気を張っておきましょうねと、マリエルさんと目が合ったので微笑んでみた。
このブラウウェル伯爵領、そしてここフォートの町は、本当に聖女派教会の力が強いらしい。
通過した城壁の大きな門は他に一緒に通るものは誰もいない豪華な特別製のようだったし、トラヴィス様にフードを被らなくていいと言われて、耳を出したままの獣人クロに対しても全ての衛兵が整然と隊列を正したまま素通しだった。
町に入ってからは教会のシンボルマークを馬車と旗に堂々と掲げ、大勢の衛兵の先導で人の多い大通りも悠々と通過する。
町の規模はエブール以上、フルクトス未満といったところか。しかしその通りに立ち並ぶ建物はフルクトスよりも上かな? ちょっと建築様式の雰囲気が違うので俺には単純な比較ができない。
フルクトスの大聖堂とやらは目にしていないが、到着した教会の建物はエブールよりも確実に大きい。
着いて早々にトラヴィス様とティナ様、一行の皆さんは俺達護衛三人といったん別れる。
地元の司祭や神官達との挨拶に始まって、諸々の手続きやここまでの旅の過程と最重要案件である暗殺者の報告について、また親交の深いという司教様がおそらく待ちわびているであろう交易都市トレドの教会への連絡の手配などを行う。
その間には俺達は控えの部屋へ案内されて昼食をいただき、ゆっくりとくつろぐことができた。部屋の居心地がいいのは派手な家具や華美な調度品などがないからだろう。明るくて広い清潔ないい部屋だ。
「……心配しなくても今夜の宿はここじゃあない。晩メシも寝床もこんなもんじゃねえぞ」
ええっ? ここでの扱いだって、僕らにしたらたいがいな好待遇ですよ?
それに宿泊はたぶんタダであろうここにお世話になっておいて、その浮いたぶんで食事はさらにお高いトコロで美味しいモノを楽しむってのが賢い旅では?
「はははっ、そりゃあいい策だな。しかしその心配もいらねえよ」
そうか。確か聞いた話によると聖女様と呼ばれるような存在なんて、王国全土においても数えるほどしかいないんだったな。
地元の聖女派教会としては巡礼の来訪なんかがあった日には、ふだん贅沢は敵としていても可能な限りの全力でもてなす以外にないか。今夜は宿も食事も基本ここの教会持ちなんだろう。
自慢げに語るアキュレイさんによれば、その宿は庭園付きの金持ちの屋敷のような建物らしい。
俺が利用してきた町の通りに建つ集合住宅みたいな安宿とは確実に違うな。
…………そんな貴人御用達の高級宿なんかで、個人的に獣人に腹いっぱい食わせようなんて、アキュレイさんの顔で本当にそんなツケ利くんですか?




