第88話 sideチェンジはありません
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「……な、なんと……。それは、本当ですか? テリィ。催眠術とか眩惑魔法などでは……ないですよね?」
いやいや、そんなチャチなもん……ことはしませんよ。
治療に関わったティナ司祭と俺、受けたテリィさんの話を聞いたトラヴィス司祭が、事態を信じられずに失礼なことを言い出す。よっぽどのことか、いつもの余裕が消えててイケメンが崩れかけている。
「は、はい。……長いこと悩みだった、アレまで……治りました」
「いいなー。ティナ様あたしも後でお願いできませんか?」
「レノ様のご協力がいただけるなら、私はかまいませんよ。皆が元気になれるのであれば、旅の危険もうんと減るでしょう!」
さすがは大聖女候補様だ。テリィさん一人の治癒魔法でもかなりの魔力を使っていたはずなのに、全く平気な顔をしている。
その分攻撃魔法や戦闘向けの魔力の使い方は不得意とのことだが、そんなところも聖女様っぽい。
ちなみに完全回復かと思ったが、傷と病気、体力や体調までだった。切断や欠損はもちろん試せないから確認できていない。いけそうな気がするが。
回復することができなかったのは対象の魔力だ。ティナさんの膨大な魔力を他人に与えて補給する、といった使い方はさすがにできないようだ。魔力の回復はまた別の系統の魔法らしい。
ならば日々の暮らしにおいてより多く魔力を回復させるためには、ちゃんとした食事とリラックスした快適な睡眠が最も効果的だ。
今夜の宿として選んだこの岩山は雨を防ぐ屋根にもなるが、大きさもそこそこで上に登れば周囲の見張り台としても悪くない。
今日は休息メインで早めに野営地を定めたのでまだまだ陽も高い。
よし、みんなには治癒魔法を受けて終わったら、露天風呂に入って気分的な疲れも取ってもらおう。
「………………」
「……ほ、本当に、……浴槽です……」
「護衛の必要もありますし、もうすぐ陽も沈むのであんまりゆっくり時間をかけてくつろぐわけにはいきませんから、三人一緒で申し訳ないですけど」
この岩山は高い所で十五メートルくらいか。幅は縦横もっとあるな。
今までに何回もやったから岩の掘削はだいぶ速くなっている。良さげな高さまで登り道をつけて平らな場所に風呂場を作り、回復効果のあるお湯を張った。
先に入ってすでに上がった女性陣が七人いるから、それくらいの人数が楽に足を伸ばせるくらいには作ってある。男三人なら超快適だ。さすがに内側をツルツルに研磨する手間まではかけなかったが、怪我はしない程度の岩風呂に仕上がった。
入る前に各自手拭いで身体を洗ってもらう。洗浄効果もあるから少し擦れば汚れも汗もさっぱりだ。まあ、お湯が汚れたところで魔力伝導を使えば集めて捨てるのは簡単だけどな。
成分的には、とっくにこの湯は聖女様の残り湯ではなくなっている。
ごくごくしても無駄だ。
「……、……おおっ。これはこれは……ふぅぅ」
「お二人とも温度の調節はできますよね。自分の周りで沸かしたり微温めたりしてくださいね」
「レノ君は、とんでもない魔法使いだね。さすがに今日のは驚くよ」
「……私なら万全でも水でこの量を出す前に倒れます。数日は寝込むでしょうね。それに加えて聖女様の治癒魔法を補助するなど……発想も、技術も凡人のそれではありませんな」
うん。この二週間強の旅でもかなりの魔力の成長を感じる。やっぱりどうしても緊張感の足りないトレーニングより、実戦で使うほうがより伸びる気がするな。
護衛の仕事中に無駄遣いはマズいが、ケチり過ぎてももったいないか。
「普通の家なら、水から沸かすのも複数人がかりだからね。岩を掘るのはともかく水汲みの必要も全くないって便利だよね」
「いやいや! レノ様のような使い手を、風呂の召使いなんぞにしていてはお家が傾きますぞ?」
お。トラヴィスさんもトムさんも、道中には見せなかった笑顔だ。
熱い湯に浸かると気持ちがいいのは中世文明の人でも同じのようだ。まあ入浴の風習は前世でもけっこう昔からあるようだしな。
風呂は東の進行方向から見えないように岩山の中腹に西向きに作ったので、夕日に照らされていて景色も悪くない。
「レノ君達に、旅の事情があることはすでに聞いているよ。けれどもどうだろう。問題が片付いたらレーメンス領の教会に来ないかい? ……南方領域は、王国の中じゃあ、おそらく最も獣人が暮らしやすい土地だよ。東や中央、王都ほどの迫害もなく、西のように商品扱いも少ないはずだ」
…………まあ。あの業を見せたら、そうなるよな。
「我々、聖女派の教会に素性の知れぬ獣人達が逃げてくることもありますな」
「……君は若い男にしては珍しくティナに近づかないしね。本当に賢そうだ」
へえ。ぶっちゃけたね。……正直な話、ティナさんが俺に話しかけてくる時には、他の誰よりも鋭い視線を感じたものだ。この人、兄や司祭としてではなく本気でティナさんが大事なんだな。
ま、俺も護衛としての心得は、ばっちりエブールで先輩冒険者のエリックさんに教わってるからな。価値の高い荷物に不用意に近づくのは……護衛としては三流の振る舞い、李も桃も桃缶のうちってやつだ。
「ティナ司祭に限りませんぞ。彼は他の修道女とも接し方を弁えておられる。以前の冒険者どもとは違いますな。お齢を聞いて驚いたものです」
「でも、アキュレイ様に対しては古馴染み以上のいい顔を見せるよね?」
「えぇ!? そうなのですか? でもあのお方は私よりもお齢が……」
「いやあ、魔力の高い女性はホント若いよねー」
「ちょっ! なんか話がおかしな方向に変わってませんか!?」
このおっさんらホントに聖職者か? 修学旅行じゃねえんだぞ。
「あなた方は、神の教えと聖女様を信仰する信徒でしょう? そういう、異性との好いた好かれたなんてお話はご法度では!?」
「ああ……。それね。主神派の、一部過激な教派の人達にはそんな教えもあるね。でも、ウチら聖女派なら、確実に大丈夫。入信してても結婚もできるよ。もちろん相手が獣人であっても、齢の差があっても全く問題なしさ」
「レノ様も聖女派の神官の教えは受けられたのでは?」
マジか! 俺の知ってるそれっぽい宗教とは違う?
ダメだった記憶があるけど。
「産めよ、愛し育め、地に満ちよ、ってね。一部に否定するような教派も存在するけど、人間の営みとして間違ってはいないはずだよ。……まあ、ウィプサニア様の伝説は、はっちゃけ過ぎだけど」
「いや、司祭様。そこは今でも様々な解釈の余地がございますぞ。そもそも……」
ええ? ウィプサニア様何したの?
トラヴィス様の言い方からしたら子供向けの話じゃないっぽいけど、大聖女様のキャラちょっと濃過ぎじゃない?
「ちょ、あの、そろそろ下の皆さんが食事の準備をしてくれてると思いますので、上がりませんか? もうずいぶん暗いですし」
「……あぁ。ははっ、そうだね。まあ入信は自由だから無理にとは言わない。……特に不都合がなければレーメンス子爵様の領都を拠点に冒険者として活動することも考えてみてくれ。君も、クロ君にも、絶対に悪い話じゃあないよ?」
「ま、まあ、今は護衛の仕事に集中します。無事に終わったら考えておきますよ」
風呂から上がると、やはり女性陣によって夕食の準備が完了していた。
ティナ司祭の治癒魔法に俺の補助を受けて体調を回復させていた彼女達は、風呂で全身さっぱりしたこともあってとても元気になっていた。用意された食事も少し手が込んでてすごく美味そうだ。
……アキュレイさん。見張りをクロに任せてすでに一杯ひっかけてるのはさすがにどうかと思いますよ? え? こんなの飲んだうちに入らない?
あっ? トムさんあんたもか!
呼ばれて断りつつもしっかりカップを持ち出してんじゃないよ!
…………おや?
みんなが気分よく賑やかにこれからご飯だというのに、修道女マリエルさん一人だけが浮かない顔だ。……何か心配事でもあるのかな。
ああ。彼女は他の人より魔力がかなり多いせいか、俺が補助しても回復の効きが悪かったからな。まだちょっと疲れてんのかもしれないな。




