第78話 のじゃして鬼(き)だがLOに非ず
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(……しくしく……しくしくしく)
…………。
(……しくしくしくしく。……ぐすっ)
…………幻聴、ではない。
目を開けて気配を探すが暗い宿の一室には俺とクロだけだ。
転生して十三年。魔物は存在を確認しても、幽霊やお化けの類に遭遇したことはなかった。
…………いるのか。いるということなんだな。
この世界に存在する魔物は今のところ常識の生き物だ。魔力という不思議な力は備えているが、喰って殖えて普通に死ぬ。
理屈の説明できない動く骸骨や物理の透過する思念体的なモノには、まだ会ったことがない。
しかし。ギルドに紹介してもらったこの宿は安くはないぞ。日当たり十分の広い二人部屋、ベッドもシーツも上等だ。
女の幽霊が化けて出るようないわくは全く想像できない。
(……恨めしやぁ……恨めしやぁ。あのような空言に謀られるとはのぉ……)
…………えらい具体的に語りだしたな。俺に聞けってのか?
何だ? この宿で心中でもしようとして自分だけ殺されたとかか?
(…………ちっ。……妾の支えであった可愛い子らも殺されてしもうたぁ……)
む。母親なのか……。それは何て惨いことを。
しかし、もうあなたはこの世の者ではなかろう。俺にできることがあるのならば何でも力になりたいが……それはないだろう。生者にできるのは祈ることだけだ。どうか安らかに眠ってください……。
「いい加減に気づけ。察しが悪いのぉ。わざとじゃったら性格悪過ぎるぞ」
ん? さっきまでは心に聞こえてたのか。今のは耳に聞こえる。
「全く怖がりもせんし。おぬしは死者の魂に対する畏れはないのか」
「……あんた幽霊じゃあないのか? 何だこれ、魔法?」
と思えば、手荷物に微かな魔力反応。
……ああ、やっとピンと来た。今度はケガしないように気を付けないとな。
「ちっ。……目の前で極上の美酒を床と雑巾に馳走する口惜しさは、おぬしの如き小僧にはわかるまいな」
「…………ってことは、話しかける以外にできることはないのか? 俺が寝入った隙にぶっ殺して美酒を奪わない理由は、ないよな?」
あっ。あと魅了か。人間を操ることもできるのか。男女の別はあるのかな?
「ほお、全くの阿呆でもないか」
おっと、言葉に発してない内容も悟られてるな。じゃあ、えーと……
「…………ぬぬ? こりゃ、心を閉ざすでない。わからんじゃろが。器用な真似をしおる。妾の魅了も全く効かんし、おぬしナニモノじゃ?」
おお、やってみればできるもんだ。全部が全部筒抜けだったらやりにくいからな。基本、心の絶対不可侵領域は張ったままでいこう。
向こうで寝てるクロを起こすのもかわいそうだから会話は小声だ。
「で、何だよ。どういうつもりだ。交渉する気はないぞ?」
「くっ、さっきは何でも力になると言っておったであろう?」
かわいそうな人の幽霊であればだ。魔物は滅べ。
しかしどうするか。さっきのギルド職員のように、触れた人間が操られるのならこのまま手放すのは危険だ。
水に沈めても魚や蟹を操るかもしれん。破壊するにしても魔法や魔力は使わないほうがいいかな。大金槌でぶっ叩くか、より硬いものですり潰すか。
「やめよ! せめて聞こえぬように考えよ! おぬし本気か? これは妾の母方の家より伝わる至宝じゃ。俗人の財なぞで手に入る代物ではないぞ? 着けておれば身代わりに砕け散ってあらゆる死の危機から救ってくれるのじゃ」
「……身に着けてなかったから、その状態が精一杯ってことか」
「うむ。存外魔力を吸うゆえに、着けたまま養生するにはちと重い。あの滅びの際、遠く離れたこの石に魂を移すほどの妾の知恵と業、欲しくはないか?」
…………力はともかく話が本当ならその石は便利だ。形が残ってるならまだ効果あるよな。首飾りだけ欲しい。性能を保ったまま魂だけアンインストールできないかな?
「ふふふふっ。考えは読めんが欲は見えるぞ。そうであろうそうであろう。そなたにも人並みの若者の欲があろう。うむうむ躰を戻してくれれば、それも許そうではないか。過日の慮外も特別に水に流すぞ?」
こいつが今になって会話できるようになったのは、たぶんさっき俺の血から魔力を得たからだ。
魔力が無くても宝石の中に魂を保持することはできるのか。どうにかして身体に戻す以外に魂を排除する方法を見つけないとだな。
「魔物と交渉する気はないと言っただろ。お前はそのままだ。首飾りは他人の手に触れさせないようにしてどこかに封印する方法を考える」
「ぬっ! ならばそれまで毎夜毎夜貴様の耳元で大声で哭いてやるぞ。ふふふっ、人の身は夜眠らねばすぐに死ぬるであろう?」
ちっ。俺に最も効果的な嫌がらせだ。こいつの残存魔力はいつまで持つんだ?
「うむ。心を読めずとも答えよう。そなたの血は稀に見る上物じゃ。五百年に一度の出来と言われた九十八年産のあの童貞を上回るふくよかな甘みとほどよい酸味。試飲程度の量じゃったが、このままでも半年は夜伽をしてやれるぞ」
「うるせえ。人を葡萄酒扱いするんじゃねえ」
ダメだ。確実に睡眠不足とストレスで倒れるな。それほど電池が持つなら手放すのも絶対に危険だ。
自然のままに放し飼いにしてやったほうが味が良くなるが、管理が甘いと勝手に番うとか聞いてねえよ。ワインなのか鶏なのかどっちかにしろよ。
「…………俺の命令に従って、役に立つのなら……考えてやらんこともない」
考えてやる、だからな。
「うむうむ! 立つ立つ! 妾のほうこそできることは何でもするぞ! まあ妾が話すのにもそなたの魔力という糧はいるがな」
「人狼どもを殺したことは恨まないのか?」
「ん? ああ、困っておるし残念ではあるが、あやつらも兵よ。妾も含めて落ち延びた時より野垂れ死には覚悟の上じゃ。戦って敗れたのなら本望であろう。妾もまだ滅びてはおらぬでな」
ふむ。そんなもんかね。魔物の理屈は理解が難しい。
俺は……クロが死んだら割り切れないだろうな。
「お前の身体だったモノは念入りに燃やして土に埋めて来たんだけど、どうやって復活するんだ?」
「ふっ。その手は食わぬよ。大事にしてくれておったではないか。知っておるぞ」
ち。昨日までの状況も把握してるのか。まあ全量完璧には集めてないし、ギルドに預けたから研究素材に使い過ぎてしまっても責任は持たんが。
「元に戻るには頭蓋と腸ほどの量が残っておれば何とかなる。無いなら無いで、時間はかかるがやりようはある」
おいおい。そんなに情報出していいのか。本当っぽいぞ。……胃腸があったほうが復活が速いってことは血液は消化吸収するのかな?
「心を閉ざしておっても感情の色くらいは見えるぞ。そなたは好奇心丸出しじゃ。そのわかりやすさは若いというより、やはり幼いのぉ」
くそっ。いかんな。
話にまともに取り合ってしまった時点で、負けだったのかもしれない。人類の敵とは言え、やっぱり不思議モンスターはちょっとワクワクしてしまうよ。
「……とりあえず、寝るのを邪魔するのはやめろ」
「承知した。……実のところ、人間なぞ滅多に来んような狭い廃墟の中で横臥するのに飽き飽きしておったのよ。この様は不本意ではあるが最悪でもない。人好しの元にこうしておれば追手にも遭うまいし、陽に灼かれる躰もないのでの」
「ふーん。俺はレイノルドだ。シグブリットだったな、確か」
「おっ! 覚えてくれておるではないかぁ。よしなに頼むぞ? レノ殿」
こいつが身体の復活と俺の魔力目当てなのだったら、差し当たっての危険はそれほど大きくないか。まあ、確かに人間を超越した美女ではあったし、こうグイグイ来られると、色々とやぶさかではないという気分にもなってしまうな。
「あっ。その尖ったとこちょっと削って刃を落としていいか? 危ねえよそれ」
製造物責任法があったら確実に抵触するアクセサリーだ。有名ロボットのプラモのアンテナだって見た目より安全性重視だろう。あんなもんで事故でちょくちょく血を吸われてはたまらんからな。
「ならんならん! 妾が中から気を張って防ぐゆえ堪えよ。絶対にならんぞ?」




