第76話 半濁点かと思ってたら濁点でも変換できるとは
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俺達が暮らしているこの国には中央部を東西に大きな山脈が横断しており、その南側に王様の住む王都があるらしい。
東西南北にはそれぞれ四方にででんと侯爵様が大領地を構え、その周辺には仲が良かったり悪かったりの数多の貴族が中小の領地を治めているとのこと。
さらに西の西、南の南は海だが、北と東は国の外と陸続きのようだ。
東の地には過去に王国と大きな戦をした獣人達の住む領域があり、俺が今連れている仲間、黒柴の犬獣人のクロはそこの出身だ。
習った歴史では勝利したらしいが、現在も小競り合いの続く獣人領と王国の国境を接しているのは東の守りの要、戦でも大活躍したという武闘派大貴族ゴズフレズ侯爵領。暮らしていた小さな郷を焼かれて人間に捕まったクロはそこで獣人奴隷に落とされたらしい。
冒険者としての旅の始めに奴隷商に連れられていたクロと出会い、詳しい事情を知らなかった俺は、彼女を解放しようとして貴族の紋章の入った魔道具を燃やしてしまった。
それからなんやかんやあってそのご無礼が当のお貴族様の耳に入り、呼び出しをくらったために東へ向けて旅をしているのである。あと、焼き討ちの時に行方不明になったらしいクロの保護者探しもあるか。
「……と、たぶん始末をつけた報告を受けに村の外へ現れたので、女の話とともにこの首を見せて問い詰めたところ自供しました。おそらく自分のように遠方からの旅人を中心に、行方不明になってる冒険者はかなりいるのではないでしょうか?」
ここはシェーブルの町の冒険者ギルド、その長の執務室だ。
魔物と取引をして冒険者の命を捧げていた西のケニエ村長の罪状を報告する。
「…………該当すると思われる人探しの依頼、……ありますね」
記録を取るギルド受付嬢のケイトさんが心当たりを口にする。
こんな物騒な世界の失踪者など、どこでどんな理由で行方をくらましたかわかるものではない。魔物どもも討伐隊を組織されないように慎重だったのだから、事件にはなっていなかったか。
「他の村人達は何も知らなかったようです。状況を考えれば、彼も村長として民を守るために半ば脅迫されて止む無く、のことなのでしょうが……捨て置くわけにもいきませんよね?」
「……え、ええ。もちろんです」
真剣な眼差しで自らも大量のメモを取るギルド長コーデリックさん。
細身の身体でこのきっちりした仕事ぶりは事務方上がりなのだろうか。
「本人も罪を認め、悔いているようです。逃亡するつもりはないとも言ってましたので、後はそれほど面倒もないと思います。捜査と領主への告発をお願いします」
ギルド長の執務室、まんま来客用の応接セットと言える座り心地の良い椅子に腰をかけ、値の張りそうなテーブルを四人で囲んで報告を行う。発言はないがクロももちろん同席している。
立場は奴隷であっても、冒険者ギルドの中ではクロも同じ鉄札のチームメイトだ。初対面の知らない人間にも顔を隠さず、堂々とした態度を取ることに慣れないといけない。
「……ケイト君。今日の終業後に上級職員達との会議を調整しておいてください」
報告が終わり手を止めてメモを元にしばらく思案していたコーデリックさんは、羽ペンを走らせ続ける隣の女性に指示を出す。
「は、はい。それにしても……人狼族が北の開拓地を越えて、こんな人間の領域の中にまで来るなんて」
「数が少ないのが幸いでしたね。本来もっと群れで動く種族です。……と言っても一対一でも決して楽な魔物ではありませんが」
ああ、狼ならそうだろうな。もし三匹いたらアウトだった気がする。
「主を名乗っていた女の魔物は逃亡の身だったみたいです。人の魔力や血液を糧にするようで、太陽の光を嫌い、実際に浴びせれば塵になって滅びました。組合にはこの魔物の詳しい情報などはありませんか?」
「……じ、実在したんですね。御伽話で語られるような魔物ですよ」
「建国の伝承で王の祖先が打ち払ったとか、ここでもそのぐらいです。……しかし話を聞くにどうやら貴人のようですね。ひょっとして遥か北の地には、そのような国が存在するということでしょうか」
若いケイトさんはにわかには信じがたいという顔をするが、ギルド長は現実的な脅威を値踏みする。
俺が話に出した吸血鬼という呼び名も一般的ではないみたいだ。特徴はそのままでも前世の地球のような知名度はないのか。夜にのみ現れて人を喰う恐ろしい大昔の魔物、程度の言い伝えしかないようだ。
「一応、陽の光に焼いた残滓は、荷に持って来てはいるんですけど。今見てもただの砂と見分けがつきませんが」
捨ておいてて復活したり、土地や触った生き物に悪い影響があっても不安だったので、然るべき処置を取るつもりで保管してあることを伝える。
「ええっ!!?」
「そ、それは貴重な。全部とは言いません、調査研究のために少し分けていただけませんか? もちろん報酬は上乗せします」
まあ、朝晩チェックはしてるが今んとこ魔力反応も無い塵だ。価値がありそうには全く見えないが、調べて何かわかれば人間にとっては益になるだろう。
少量を提供して、後はもしも値がついた時のために、俺の荷物として預けて保管しておいてもらうか。
欲しがる者が多いと思われることと、万が一に同種族や同勢力の存在などが回収を試みる可能性を考慮して、女の魔物の情報についてはしばらく公には秘匿されることになった。
「……確かにそれも大事ですが、まず何よりも早急な対応が必要なのはケニエ村長の問罪ですね。よくぞ知らせてくれました」
「ああっ! すでに抜け落ちてました! その件は他の町の組合へは……?」
「明日朝一で私自身が領都の組合へは向かわねばならないでしょう。ケニエ村にもすぐに人をやらないと」
「ではレイノルド様には、コーデリック様の道中の護衛と、捜査への協力を私どもから依頼ですね」
……何! それは断れないやつじゃないか。まじで困るぞ。
「……いいや。残念ながらそれは頼めません。確かに当事者の協力があれば、事は円滑に運ぶでしょうが……彼の東への旅は、彼自身の命に関わる旅です。数日ならともかく何週間もこの領内を連れ回すわけにはいきません」
「そ、そんな……」
お! この人えらい詳細に事情を把握してるな。これもエブールのギルド長からの情報共有か。
まあギルドなら組合員がしでかした対大貴族への不始末は、尻拭いをしくじれば大事になるわな。しかし何も言わなくてもこちらの意を汲んでくれるのは助かる。有能かついい人だな。
「レイノルドさん達にご協力をお願いしたい依頼はまた別にあります。それも彼の旅に不都合のないものがね」
「……ああ! アレがありましたか! はい、ちょっと苦しいですが班の最低半分以上が女性という条件も満たしています。素性も人柄も実力も問題ありませんし」
ん? 何だその条件? 女性っつってもそれ以前にこいつ獣人なんだが、そこは大丈夫なのか?
……あっ。コーデリックさんの力のない笑顔から「あなた達の事情は把握の上、精一杯慮りましたよ、まさか断るとは言いませんよね」的なオーラが出ている。
……有能なのは間違いないようだが、ただのいい人ではなかったか。




