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第71話 古城に棲む魔物

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『死ねッ!』


 速い! だがその攻撃は見えないほどではない。

 一瞬誘いを入れて次の軸足の踏み込みに合わせる!


 ……ここだッ!


『ぃギッ!? ……ァッ、がふッ!』


 読み通りの蹴りの初動に俺の肉厚の片手剣が弟狼の脇腹を貫く。

 逆の手で(つか)を押し込むと(アバラ)を断ち割る手応え。


 おらっ。これで(しま)いだ! 寝とけ。これで立てるなら常識の生き物じゃあない。


『フ、フウガぁッ! よくも弟をッ――ガッ!?』


「ぉしっ! はあッッ!」


『ごッ! ぶゴァっ!!』


「ふうっ、けっこうヤバかった。……ま、同情はするわ」


 拮抗していたあっちの肉弾戦も決着だ。

 耳に届く悲鳴に冷静でいられなかった兄狼は、隙を見逃さなかったクロの蹴りで左膝を砕かれて崩れ落ちた。そこにあのアッパーを食らってもまだ意識があるのは凄いな。


 膝をついて立てない相手に止めを刺そうとクロが逆手にナイフを抜いた時――


『そこまでにしていただきたい。我らは降伏を申し出る』


『ひ、姫様ッ!?』


 突然、森の古城跡に威厳のある女の声が響く。どこからだ? ……城か。

 狼が完全に俺達から目を切って建物の入り口を気にしている。


「クロ待てっ。今の声はまいった、だとさ」


「仲間……女?」


『姫様! その必要はありません! 私はまだ戦えます!』


『控えよ。お前まで失っては、(わらわ)の先行きはどうなる。この者との話が終わるまで口を挟むでない』


『くっ』


 おお。いまいち言い回しが尊大でわかりにくいが、この狼が従うからには本当に偉いんだろうな。


『……どうやら妾のことは知らぬようじゃ。この少年は追手ではなかろう。ならば交渉の余地があろうというもの。部屋まで案内せよ』


『……なっ!!? それはなりませんッ!!』


「ねえレノ。すごいうるさいんだけど。なんて?」


「ああ。なんか偉い姫様が顔を見せて謝りたい、みたいな。んで狼がそれを必死に止めてる」


 もう会話が早口であんまり聞き取れない。しかし狼は逆らえないようだ。


「すまぬな人間の少年、獣人の少女よ。本来ならば妾が表へ出向くべきではあるが、それはままならぬ」


 あ。今のはクロにもわかる言葉だ。と同時に城の主塔(しゅとう)の地下に濁った魔物の魔力反応が現れた。魔力量は大きいが弱っているような印象を受ける。


 罠でないとすれば、手の内を晒して真摯に交渉に臨むつもりか。


「その狼は殺められては本当に困るのじゃ。口喧(くちやかま)しいヤツ(ゆえ)、外でその娘の(しち)でよい。そなただけ降りて参れ。……心配せずとも今は妾のほうがその狼よりも力がない」


 ……うむ。嘘を言っている様子はないか。


「怪しい動きをしたらやっちゃっていいからな」


 念のため狼は二匹とも拘束する。魔力でかなり丈夫めの大きな鉄の手錠を作り、後ろ手に()めさせた。受けた傷が超スピードで回復している、なんて様子もないので、これなら何か企んでもクロのナイフが喉を掻っ切るのが先だろう。


 大半が崩れつつも何とか建物の体を残す城の入り口。よくよく見れば鉄の両扉は新たに備え付けられたもののようだ。


 前に立つと扉の向こうに小さな魔力反応が現れ、ゴトリと開錠の音が響く。

 力を込めて押すと重い扉は開いた。


 城の中の窓は全て完全に塞がれていて入り口以外の明かりは一切入ってこない。


 ……しかし掃除は行き届いているようでカビ臭さは全く無いな。ここまで清潔な部屋は領主様の館くらいしか記憶にない。


 部屋の隅へと移動した微かな魔力反応は青い小さな炎だった。地下へ向かう階段を案内するようにふわふわと浮いている。

 害意はないようなので先導に従い、付いて降りると足元を照らすように明るさが増した。


 ……魔力による暗視強化があるから、別に点けてもらわなくても周囲の見え方は外と変わらないけどな。この火に頼ってもし急に消されたりしたら隙が生じるし。


 降りた先の部屋の中央には大きな天蓋のベッドがあり、周囲はやはり同じ青い炎で照らされていた。


 ベッドの上で身を起こしてこちらに顔を向ける女性は明るい色の長髪だ。非常に美しく、若いと思われる顔立ちは見えるが髪の色までははっきりしない。


「……まずは刃を(おさ)め、聞く耳をお持ちいただけたことに御礼を申し上げる。(わらわ)の名はシグブリット。病の身故床(ゆえとこ)すらも離れられぬ無礼を許されよ」


 ……病気だから布団から出られないか。他にも理由あるんじゃないか? これはもしかして俺の知っている種族ではなかろうか。


 しっかし滅茶苦茶美人だな。これは、あんまり目とか見ちゃダメな気がするぞ。ちょっと気をしっかり張っておこう。


「あの二匹の狼は妾の(しもべ)である。妾の身を守るためにこの城に近づく者には容赦をせぬ。この辺りの魔物には周知の理なれど、旅の人間にはあずかり知らぬこと」


 ふむ。ウチらの縄張りに入ってきたのはアンタらやけど、知らんかったらしゃあないわな、と。俺達にも非がないわけじゃないけどそれは問わないってことか。


「妾はこの地で療養中の身。そなたらに手を出したことは全面的に謝罪する。(わず)かばかりではあるが差し出せる人の世の財もある。……このまま我らのことは忘れて立ち去ってはもらえぬじゃろうか?」


「……」


 慰謝料も払って五体投地で謝るから、誰にも言わないでください、か。


 ……消え入りそうな声と、青い炎に照らされた伏し目がちな表情は不思議な魅力があるなあ……。


「…………。……どうであろう?」


 いや、でもここへ来たのは近くの村からの調査依頼だからな。


 荷車を取りに村には帰らなきゃならないし、「何の成果も得られませんでした」なんて報告をしたら俺の冒険者としての沽券に関わる。


「ああ。それならば案ずるには及ばぬ。あの村の長は、我らのことは知っておる。全く、これほどの手練れを見抜けぬとは目利きのできぬ人間よ。……しかし、このような年若く見目のよい(おのこ)であれば、無理からぬことか」


 何だって!? ……いや、待て。話の流れも変だぞ。


『妾の願い、もしも聞き入れてもらえるのであれば……そなたの望みも。でき得る限りを叶えよう。思うことを……申してみよ?』


 あっ。この表情(カオ)はあかんやつや。今急に前世の思い出してはいけない何かが頭をよぎった。


「ええ? い、いやあ。そーいうのは困るなあ。……じ、実は村長さんからはこの古城に住むのが魔物とわかれば、討伐することも頼まれたのですよ。なのにあなたのことを知っているというのはおかしい話ですねえ」


「ふふふ、それは名目よ。妾の身を癒す薬となるは人の命。魔力なら最上、持たぬであれば血でもよい。そのために(しもべ)が村を他の魔物から守る代わりに、旅の冒険者をここへ寄越すのじゃ。人の世の騒ぎにならぬよう素性は()るように言うてあったがな」


「へええ」


 おおう。あの村長、完全に手先かよ。魔物に人の命を捧げるだと。


「故にそなたの名誉が傷を負うことはない。……どうじゃ?」


「……わかりました。あの狼達に襲われたことは忘れましょう」


「おお! 許してくれるか! そうかそうか!」


 シグブリットと名乗る女は微笑みながらこちらを見つめる。


『…………ほりゃ、望みのほうも申してみよ? あるじゃろ?』


「な、何のことかわかりませんが、お詫びの財宝とやらを出してください。それで手打ちです」


「ちっ。なんじゃそっちか。…………まあよい。欲を張ってはろくな事にならぬ。ここは寛大なお心に感謝するぞ」


 いやいや。ベッドに入ったが最後、そっちの思うツボだろう。最初より土下座感なくなってきてるし、魅了的なアレには引っかかってないからな。




「あ。出てきた。……何もされてないわよね?」


「ああ」


「だいたい聞こえてたけど、見逃すの?」


「いや。そんな約束はしていない。放っておけば別の人間が犠牲になる」


『なッ!? 姫さ――』


 俺が剣を抜いたのを見て、手錠のまま折れてない足で立ち上がろうとした狼の首を落とす。弟のほうはすでに失血で意識も魔力反応もないが同じくだ。


『き、貴様ァッ!! 話が違うではないかッッ!?』


「うるせえ。交渉中に小細工しかけやがって。バレてんだよ! 人の命を餌にする魔物は捨ててはおけない。その城、穴開けて空気を入れ替えてやろう」


 ヤツの潜む主塔は大きくはない。辛うじて残っている一階部分も西側の壁を少し崩せば、日差しに向かって瓦解する。


『ばッ、やめよ!! きゃあっ!』


 たっぷり時間をかけて練り上げた風の魔法は、円筒形の石壁の低い位置を広範囲にガラガラとこそぎ取る。直後、視界を真っ白に奪う土煙の中、隙間を埋める程度の処置でただ積み上げられただけの石組みの主塔は轟音とともに崩れ落ちる。唇に粉っぽい砂の匂いが鼻をつく。


 ……ぺっ。もう一発だ。床をぶち抜く。

 潰れて死ぬか、陽を浴びて灰になるかどっちだ?


 再び舞い上がる煙幕と森に響く崩壊の音。それに混ざる甲高い女の悲鳴。


『ひぎッ! ひっ、光が! ひいぃィっ』


 ……おっとうまいこと下敷きにはならないように避けたか。おお、日陰になっててもダメージはあるみたいだな。


 砂埃が落ち着くと、ぽっかりと大きな口を開けた地下室に陽が当たっていた。雪崩(なだ)れ落ちた瓦礫のそば、小さな影に身を押し込んで女が青白い顔を歪めている。


 日光に触れたらしい両足の先はすでに無く、這いずって逃げたために長い銀髪もネグリジェもボロボロだ。全身からは白い煙が幾筋も吹き上がっている。

 狼の血は赤かったがコイツは煙以外に出血は見えない。明らかに普通の魔物ではないな。


「ま、待て! 死にとうはないのじゃ! 従属しよう! 我が一族の誇りにかけてそなたらに服従を誓う! 縛る方法も教えよう! わ、妾を従えておけば絶対に損はないぞ!?」


「いらん。真っ当なのが間に合ってる。塵になれ」


 女に影を落とす頭上の床板を風の魔法で打ち砕く。


(オノレ)ッ! (クソ)人間風情がアアァァァッ!!』


 ……本性を現したな。魔物はしょせん魔物。

 人の命を貪り喰らって濁ったその不愉快な魔力の持ち主と、俺達が相容れることは絶対にないのだ。



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