第57話 農夫と獣人奴隷
57
「おう、ガストン。久しぶりじゃのう。お前らノコノコ顔を出せたってことは……わかっておるじゃろうの?」
「へ、へえ! その節はスンマセンした。後でお渡ししやすから。ニコルさんには見つからないように頼んますよ?」
「は! 知ったこっちゃないわい。わしは飲みたい時に飲みたいだけ飲む! 仕事はきっちりやっとるんじゃから、あんな若造にそこまで指図されとうはないわ!」
見渡す限りの緑に囲まれた春の昼下がりの果樹園。きれいに整えられた畑道は、収穫の時には荷車なども通ることのできる広さだ。その道の上で老人の大きな声がのどかに囀る小鳥達を追い払う。
修道士のニコルさんに聞いた、緋蜂の発生場所に詳しいギズモンドさんというのはこの爺さんか。その後ろには農奴か小作人か、大量の草や枝の束を背負って運ぶ者達が付き従っている。
クロが言うには後ろの大荷物を持つ三人は獣人らしいが、頭から足元まで全身に薄汚れたボロ布をまとっているために耳と尻尾はおろか顔も見えない。だいぶ厚めに着ぶくれているので蜂対策か。
農夫といった格好の爺さんは割と薄着で痩せた顔をあらわにしている。みっしりと貯えた白い口髭と顎髭は立派だが、逆に額はかなり広い。外で仕事をするのなら帽子くらいは被ったほうがいいんじゃないかな。
見た感じはかなり齢がいってそうだが、目つきと声は力強い。しかもこの爺さんの魔力量は明らかに魔法使いだ。
「なんじゃ? 知らん顔がおるのう。顔も見せんほうは……何? あいつもか」
最も少ない荷を背負う小作人が爺さんに話しかける。……小さいな。子供か?
「依頼を引き受けてくれた旅の冒険者っス。こちらがギズモンドさんっス」
「レイノルドと申します。後ろのは班を組んでる仲間です」
「……ふん。仲間、か」
クロの顔と名前はここではもう伏せる意味はないかな?
「……ガキのくせに背伸びしとると死ぬぞ。さっさと町へ帰って違う仕事を探せ。ガストン、貴様も賢いとは思っておらんかったが、こんなのを連れて来るほど阿呆なのか?」
「こ、こう見えても爺さんと同じ魔法使いですぜ。しかも、あのエブール領の小鬼族狩りっス!」
「なんじゃと!? こんなガキどもがか!?」
隣の領地とはいえ、噂ってのはこんな遠くの畑まで届くんだなあ。
「……は、なるほどのぉ。代替わりしてもコリンズの騎士団は健在ということか。大方討伐隊に紛れ込んで、部隊の端っこで雑用でもやらされておったんじゃろ? 伝え聞く話ってのは、太くなるものよ」
「じ、爺さん!」
……まあ、エブールを救ったのはエルミラさんの采配とイグナスさんの統率力、そして騎士団の実力で間違いはない。気難しいお年寄りの話は受け止めておこう。
「ギズモンドさんとおっしゃいましたか? 確かに僕らはまだ若輩ですが、自分達の身を守る術くらいは心得ています。依頼人のニコルさんからは森の探索の許可ももらいましたし、緋蜂の場所についてはあなたに尋ねるように言われましたが?」
「……ほお。はん、面白くないのう。……ま、ガストンよりはマシなようじゃな」
ふふん。やっぱり挑発も入ってたんだな。
快くとはいかないが、管理者の名前を出されては仕方ないらしく緋蜂がよく出現する所まで案内してくれることになった。
爺さんが大人の獣人達にはそのまま集落まで荷を運ぶよう指示したので、二人は俺達が来た道を北へと向かった。
荷を預けて身軽になった小さいのはついてくるようだ。
ギズモンドさんと獣人、ガストン達と連れ立って果樹園の道を南へと歩く。
人の手で森に切り開かれた畑は綺麗に整地されているわけでもなく、道は複雑に入り組んでいて起伏もある。知らない人間には迷路のようだ。
いまだ緋蜂らしき魔力反応も現れず、下り坂で広がる美しい畑の風景にはつい目を奪われてしまう。ウチの村のより何倍も広いから世話大変だろうなぁ、これ。
「もうすでに周囲の森には複数の巣ができておる。南西のほうからはいくつか持ち帰った冒険者もおるが、全く駆除が間に合っておらん。マズイ状況じゃ」
爺さん達は日常の畑仕事にも追われているため、飛んできた蜂は見つけ次第退治しているものの森の中にまで探索に入る余裕はないらしい。しばらく前からニコルさんに対しては冒険者への報酬の値上げを掛け合っているとか。
「まだ今日やることも山積みじゃ。ちと急ごうかの。ガキどもついて来れるか? ガストン、南の池の近くの樫の木じゃ。早く来いよ」
言うや否や、爺さんと獣人の子供は猛スピードで駆け出し果樹の間に消えた。
魔力反応からすると当然身体強化を使ってるんだが、あの速さで走り去る年寄りは気持ち悪いな。
まあ、俺達を試そうと言うのなら受けて立とう。
「……ぜぇ、ぜぇ……。はぁ、はぁ……。……いらんわい!」
寄り添う連れの子の差し出す手を爺さんがはねのける。
「……ふ、ふふん。息一つ乱さんとは、ちっとはやるようじゃの」
あんま無理すんなって。その子もおろおろと心配してるじゃないか。
「……はぁ、はぁ。そっちの獣人はともかく、ガキのくせに生意気な、魔力じゃな。うっ、ぷふぅ……」
おいおい魔力反応が弱くなって歩くのにも影響が出てるぞ。意地を張り過ぎだ。案内役なんだから倒れたりするのは勘弁してくれよ?
年の功か魔力の扱いは上手く出だしはかなり速かった。感知しつつしばらく追走していたら、振り切ろうとしたのかさらに速度を上げた。
しかしそれも俺とクロが引き離されるほどではなく、無茶な加速が祟って徐々に遅くなり、最後には年齢相応の足取りに落ち着いた。
口と態度の割には持久力はないな。若い頃はやり手だったみたいだが寄る年波には勝てないようだ。ま、それでもガストン達は一キロ以上引き離したけどな。
森を望む道の脇には大きな樫の木が立っている。ここが畑の南端かな? 夏場の農作業にはこういう木陰がありがたいんだよな。
よし、近くに池もあると言ってたから少し休憩にするか。
うーん、昼飯用の食料や果物はもしもの備えにも多めに買ってあったが、獣人が二人もいるのなら確実に足りないな。
池の水を冷たい飲料水に変えて汲み、木陰で軽い昼食にする。
……しかしこの獣人の子供は、随分とギズモンドさんに懐いてんだな。
「その子も獣人なんですよね? なんか本当のお孫さんみたいですが」
「ん? ああ、こいつはネロと言う名じゃ。ほれ挨拶せい」
向こうが頭の布を解いたのでこっちもクロのフードを取らせて顔を見せる。自己紹介はしそうにないので名を告げようとすると――
「あ。クロ姉ちゃん?」
「ん。あんたアズキ? ここに買われてたの?」
「なんじゃお前ら、身内か」
ギズモンドさんの連れの獣人はクロよりも年若い男の子だ。たぶん。
しかしこげ茶色というか赤いような汚れた毛の、丸っこい耳はクロとは形が違う気がする。……そして首にはやはり見覚えのある金属の輪がつけられている。
「同じ郷に住んでたんだ。……あんまり匂いがしないからわかんなかった」
「この小僧が仲間じゃと言うとるからな。……首輪もしとらんし、お前らと違って毛並みも良い。随分大事にされとるようじゃ」
おおう。いきなり同郷の獣人見つかったよ。
詳しく聞くと郷ではアズキという名だったが、焼け出されて人間に捕まった後は果樹園の労働奴隷としてこの町フルクトスの教会に買われ、ネロという名を与えられたとのことだ。ここで働いている獣人奴隷は全部で五人いるらしいが、郷の出身はネロだけのようだ。
「教会の教えでは獣人は罪人扱いと聞きましたが、奴隷は普通に使うんですね?」
「……奴らにとっちゃ牛や馬と同じじゃよ。道具じゃ。奴隷として人間の役に立つことこそが、こいつらの魂の救済なんじゃと」
忌々しげに吐き捨てるギズモンドさんは、やはり教会の信者というわけではないようだ。それに爺さんの見た目なら、確実に戦争の記憶があるはずだ。でも獣人が憎いとかもないみたいだな。
「ここの果樹園のあいつらも、わしが何も言わんかったら目に余るほどのコキ使いようじゃ。しかも善いことをしとると本気で思っておるから質が悪い」
そう言いながら爺さんは俺が渡したパンと干し肉、果物のほとんどをネロにあげてしまった。
ふふ、ちょっと前のクロを思い出す食いっぷりだな。言うほど空腹ではないから俺のもやろう。普通の獣人奴隷なら満足な食事というのは難しいよな。森の動物も勝手に獲ることはできないだろうし。
おっ、クロも分けてやるか。よしよし、その分はまた町でうまいもん買ってやるからな。
「……すまんの。わしも立場としては、こいつらと同じ奴隷じゃから自由にできる金は少ない。戦でもないのに子供が腹を減らしておるのは忍びないもんじゃ」
え? ギズモンドさんも奴隷なのか。奴隷環がないからわからんかった。それに魔法使いだったらそれなりの仕事につけそうなものなのにな。
驚く俺の顔を見た爺さんは握り拳で自分のブーツの右足首をコツコツと叩く。
「ま、わしはこの果樹園の護衛でもある。魔法使いとしてそれなりの扱いを受けてはおるよ」
「爺ちゃん、昔は偉かったんだけど、お酒飲んでとんでもない失敗したんだって。死刑にはならなかったけど一生働いても返せない借金になったらしいっておじさんが言ってた」
「ネロ! いらん事を言うでない! さっさと食え。……レイノルドと言ったか。緋蜂が出るのはこの辺じゃ。おそらく南には巣がある。森に入るのなら気をつけるんじゃぞ」
「……ええ。多分こいつかな? だいぶ高さがあるので木の上でしょうかね。変な魔力の塊がありますよ」
「なんじゃと!? お主、それがわかるのか!!」
けっこうでかそうだな。持って帰るのはちょっと大変だ。
うん。今向こうの道を必死に走ってきてるガストン達には、悪いがもう一回集落に戻って荷車でも借りて来てもらおうかな。




