第56話 果樹園へ
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東への旅の路銀を稼ぐため、フルクトスの町の冒険者ギルドで南の果樹園に発生する雀蜂の魔物、緋蜂の巣の探索依頼を受けることにした。
知らない土地で二人だけではかなり危険かつ面倒な依頼になるところだが、町で知り合ったチンピラ冒険者のガストン一味の助っ人として請われての仕事なので、準備や情報などの協力は得やすい。
果樹園のそばにはそこで働く者達が生活している小さな集落があるというので、まずはそこを訪ねることになった。町を南に出てすぐに見える山の反対側にあり、歩いて一時間かからないくらいの距離らしい。
ギルド職員に依頼について聞いてみたところ、すでに何組かのチームが果樹園の周囲の探索に入っているとのことだ。
同じ場所にある巣の報告は当然早い者勝ちだが、万が一冒険者間でのトラブルになったとしてもギルドは一切関与しないとも言われた。互助組織よ。
場所の報告のみの場合はそれに従って駆除依頼が出され、事実の確認が為されてから報酬の支払いになるらしい。それだったら見つけた巣はもう取って帰ってきたほうが速いし確実に儲かるな。
しかし昼も近い今からでは、状況によっては明るいうちに町に帰れない可能性もある。一旦宿に戻って店主にその旨を告げたところ、旅の荷物は預かってくれるというのでお願いした。たぶんギルドより信頼できるだろう。
その間にガストンも仲間に声をかけ、装備を整えてきたようだ。昨日よりも服や革の防具を重ね着して蜂対策をしていたので、俺達も町を出る前にどこか道具屋でもう一枚厚手の革のマントでも買おう。……昨日のカトルさんの傷を思い出すに、気休めかもしれないが。
「レノは見たことないんだっけ。昨夜のあれはかなり大きいのに刺されてるけど、そんなんばっかじゃないから。小さいのは普通の雀蜂と変わらないわ。魔物だからかなり凶暴なくらいね」
簡単に言うけど、人を積極的に襲う雀蜂とか脅威以外の何者でもないからな? 普通の雀蜂でも人死にが出るのにあの毒はやべえよ。
「……カトルの野郎は運がよかったっスね。毎年この時期は刺されて死ぬ奴の一人や二人珍しくないス」
「俺らの馴染みにも命を落とした野郎はいるし、死にはしないまでも足が立たなくなっちまった、なんて奴らもおります」
マジか。それは何か根本的な対策を練るべきじゃないのか。
「巣も蜂も小さいうちに見つけて処理しちまえば、それほど面倒でもないんスよ」
「持ち帰った巣から緋蜂の幼虫が両手一杯でもとれりゃあ大銀貨ですからね。稼ぎ時だ、なんて奴も多いんです」
手慣れた奴ならコツを掴んでるんだろうな。小さい雀蜂なら生まれ育ったラタ村でも見た。この世界の人達にもある程度の対応策は広まっている。日が暮れた後が安全なのと色の黒いモノは身に着けないのはこっちでもセオリーだ。
もう昼時だが、今朝は動き出しが遅かったので食事はまだ必要ない腹具合だな。出先で食べるためにギルドの酒場で携帯に適した食料を見繕っていこう。
ここでも干した果物類は多数扱われているようだ。軽量で味が良く、調理の手間いらずで栄養価も高い。さらに保存まで利くのだからやはり冒険者にも大人気だ。
野菜嫌いのクロもこれなら喜んで食べてくれるので、好きな物を選ばせて多めに買ってやった。
ガストンとその仲間達の道案内で南門を抜けて壁の外へ出る。
町の南には緑豊かな田園風景が広がっていた。入る時に通ってきた北西側の街道とは全然違うな。
「この南側の見えるところはだいたい教会や、町の有力者達の土地でさあ。野盗共も相手が悪いってんで、この辺りには手を出しやせん」
南の山から流れる小川には水車小屋が設けられ、遠くの丘の上には小さな風車も見える。道沿いには色とりどりの花が咲き、蝶が舞う。春の柔らかい日差しが降り注ぐ野山とそこで働く人々の様子は、名画の題材にでもなれそうな美しい景色だ。
「魔物は作物や人を狙って出ますがね。さ、行きやしょう。果樹園はあの山のすぐ向こうです」
「おお! 冒険者の方ですか。私はここの管理を任されております修道士のニコルと申します。よかった、引き受けてくださる方はまだおられたのですね」
泥に汚れた若い男が俺達の訪問を歓迎する。……む。修道士がいるのかよ。
丘を越える道を回り込んだ山の南側は、手入れの行き届いた背の低い木々が整然と立ち並ぶ美しい果樹園だった。
その端に位置する山の裾野には村とも呼べない小さな集落があり、広場では大人や子供の男女十人くらいの人達が泥だらけになって仕事をしていた。
周囲に漂う匂いからすると堆肥作りを行っているようだ。
「ニコルさんちわっス。あれからどんな具合スか?」
「ああ、ガストンさん。園内ではまだ巣はできてないようですが、周辺の森は危険です。昨日も少し奥へ入った冒険者の方がお一人刺されました。意識を失う重症で町へ運ばれていきましたが……」
「ああ、カトルっスね。手当は間に合ったらしくて無事ですわ」
「ああ! それはよかった! 神は彼をお見捨てにはならなかったのですね。……最悪の場合、冒険者の方はもう来られないのではと考えていました。幸いなことに今も何組か森へ入ってくれています。やはり生息地に近い南西を重点的に確認しておられますが……」
……ん? はいはい。緋蜂の巣は、木の枝下だけじゃなく、地中に作られたり、崖下にできたりもする?
へえ、じゃあ奴らの気に入る条件次第ってことだから、南西とは限らんよな。東でも北でもどこに作ってるかわからんね。集落の柵の外に見える範囲の畑だけでもクソ広いから、その周囲の森となると大変だなこれ。
「ニコルさん、こちらがレイノルドさんっス。若いっスが、腕は抜群に立ちやす。カトルを治療したのもこの方です」
あ。お前それ言うなよ。……口止めしとかんといかんかったか。
「まさか! あの腕を!? それはもしかして神より賜りし力、神の御業では!」
「……え、ええ。生まれた村では神官様に教えを乞いましたので。それよりも時間が惜しいです。我々も森の探索に入ってもよろしいでしょうか?」
「素晴らしい! もちろんです! お願いいたします。ガストンさん、ギズモンドさん達が畑を回っています。緋蜂の出る場所については彼のほうが詳しいです」
「わかりやした。探してみます」
話を切り上げつつ探索の許可を取り、集落を離れる。ガストン一味には今後教会関係者に余計なことを言わないように釘をさす。果樹園で働いているのは奴隷達と聞いていたから修道士がいるとまでは考えが至らなかった。
「で、ギズモンドさんとやらを探すのか?」
「へ、へい。とりあえず南に向かいやしょう。蜂の見回りをしつつ、園内の草刈りや枝の剪定をやってると思いやす」
集落は小さな山の麓にあり、南側に広がる畑は広大だ。陽当たりの良い森を切り開いて作られたこの果樹園。その周囲は平坦でもなく、畑の外には川や谷、高台や崖などの複雑な地形もあるという。
こりゃ蜂の巣なんか簡単には見つかりませんわ。……普通の人には。
畑の間を抜ける道をガストン達の後をついて歩きつつ、意識を集中して魔力智覚の焦点を調節する。
……うおっ!
「なあ、ガストンよ。この辺に緋蜂以外の魔物ってのはどんなのがいるんだ?」
「蜂以外だと、毒蛇や大鼠、土竜や蝙蝠なんかも出やす。ですがこの辺じゃ大物はほぼ討伐済みです。小さいのは人間を襲うことはめったにないっスから、緋蜂に比べたら怖くはありやせん。畑には害があるんで見つけたら殺しますがね」
……うわ、面倒くせえ。これ魔力を持つ虫も違うのがいるなあ。
半径一キロ以内にある小さな魔力反応は、脳内の認識範囲に無数に広がる。
これではどれが蜂かわからんし、この精度で探索を続けると魔力消耗も精神疲労も半端ない。
通常の感度でも感知範囲に巣が入ればわかるかな? あとはカトルさんを刺したようなデカい個体か。とりあえず魔力智覚で小さな蜂を探し続けるってのは馬鹿のやることだわ。素直に詳しい人を頼ろう。
少し歩いたところで前方に、小さくない魔力反応が複数現れる。
これは魔物じゃなくて人だな。……ギズモンドさんか。この道を向かってきてるようだから、このまま進めば会えるな。もうガストンにはいろいろ黙っておこう。
「レノ。前から人が来るわ。……獣人も何人かいる」
え!? それはホントか! 匂いってそんなこともわかるのか。
……ん? この果樹園は教会の所有で管理下なのに、獣人奴隷は普通に使われているんだな。
背の低い緑の木々の向こうに見えたのは、高齢の農夫と大荷物を背負った小作人といった四人の集団だ。大量の草や枝を背負子で運んでいる。
農夫に比べて後ろの三人はなかなか過酷な肉体労働をやらされてるから、クロの鼻が確かならあいつらが獣人ってことだよな?
……エブールの町のベテラン魔法使いのエルミラさんの話では、獣人は身体能力が高い分、魔法適性は無いというのが常識と聞いた。獣人のギンさんも魔力を扱う獣人は見たことがないと言ってたな。
まあ悪魔の証明だから、この世に絶対に居ないとは言い切れないんだろうけど。
あいつら全員から魔力反応があるのはおかしくない? そんなレア獣人が三人もこんなトコで奴隷労働してるかね?




