第51話 春になったのでそろそろ行こうか
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「……ぇ。ねぇ。……レノってば」
……、……ん。
「起きなぁ、よッ」
「ぅぐっ!?」
ぉ……おぅ。お前、か。
腹にけっこうな衝撃を受けて目が覚める。何事かと思った……。
部屋の窓の板戸は開け放たれており、朝の光差し込む寝台の上では俺を見下ろすクロの顔がよく見える。髪伸びたなお前。自分のは適当に魔法で短くしてるけど、こいつのは気にしてなかった。
「や、宿で寝てる時は無警戒だから痛えよ。下手したらケガするからやめてくれ」
「起きないから。ねえ、今日は組合の仕事しないで久しぶりに一緒に訓練するって言ってたでしょ」
物言いの割に機嫌は悪くないようだ。マウントポジション的な馬乗りの体勢で、ぱさぱさと音を立てる尻尾の感触は毛布越しでも心地よい。
「あぁ、はいはい。……起きるから降りてくれ」
お前絶対見た目より重い。さすがに十五歳程度の女の子の体重を体で感じたことはないが、その違いは明らかだ。獣人というのは手も足も人間とは筋肉や骨の密度が違う気がする。
甘えるくらいなら可愛いもんだが、あんなんでぱかすか殴られたらたまらんな。こいつが粗暴なタチじゃあなくてよかった。
いつものように部屋着を替えて出かける準備をする。この宿での相部屋暮らしももう慣れたもので、お互い着替えのタイミングは何も言わなくても外へ出る。すでに着替えを終えているクロは今朝もやる気に満ちているようだ。
そういや朝に肌着になっても、もう辛いほど寒くはないな。
「今日は西の川向こうの森へ行ってみるか。飯はどっか通りでテキトーに買おう」
扉越しの遠慮のない会話も聞いているのは一階の女将くらいだ。今も俺達以外に泊り客はいない。だいたいこんな調子なので宿の朝飯は前もって頼んでおかないと出ない。
……連泊してて気が付いたが、どうも昼過ぎから夕方にかけて少人数で利用する人が多く、そういう宿のようだ。この前隣の声が聞こえて気まずい思いをしてからはその時間帯にはなるべく部屋にいないようにしている。
「森なら何か獲る?」
「今週分は終わってるからやめとこうぜ。今日は訓練するんだろ」
考えた末、食用肉採取の指名依頼は全部断ることにした。やはり大量に来たのでそればっかりもやってられないし、選んで受けるのもカドが立つ。そのかわり毎週決まった量は獲ってギルドに納めるようにしている。そこから後のことはクレールさんにお任せだ。
それにクロがやりたいだけ連日獲ってたら、この町の他の猟師さん達にも迷惑がかかる。森で獲る時もできるだけ奥でやるように言い聞かせている。
「そっか。よし早く行こう!」
狩りじゃなくても外で身体を動かせれば文句はないようだ。
「おはようございます。レノ様、クロ様」
「おはようございます」
「お、はよう……ござい、ます」
「先日は我々にも差し入れをありがとうございました。皆大喜びでしたよ。私も今までに食べたことのない味で感動しました」
「それは良かったです。兵士の皆さんではちょっと足りなかったんじゃないですか? また次もたくさん獲れたらお届けしますよ」
「おぉ、それは楽しみです。今日はだいぶ暖かくなりそうですよ。お気をつけて」
「ありがとうございます。西の森を散策して日が暮れる前には戻るつもりです」
南門の若い衛兵の見送りを受けて市壁の外へ出る。一緒に戦った領主兵達とは顔見知りになっているが、クロも挨拶を交わすようになったことに少し驚く。
まあ俺が一緒にいない時でも、普通に町中で一人で問題も起こさず過ごしているようだしな。友達もできたみたいだし。
エリックさんと約束の剣を作りにあの武具屋を訪ねた時、クロは店主のサイモンさんから床にめり込む勢いの謝罪と感謝を受けていた。どうやら俺達が救ったタブ村には彼の親類や知り合いが大勢いるらしい。
その時にサイモンさんの娘さんとも仲良くなったようで、齢は少し離れているがヒマな時は一緒に遊んであげてるみたいだ。
領地の一大事だったタブ村の戦いの一部始終は、政治的な意味もあってやや誇張気味に町の人達に広められている。エブールの町で獣人を快く思っていない連中も、この黒い犬耳尻尾の女の子が何をしたかは知っているのだ。
「……こうして一緒に出かけるの、久しぶりな気がするわ」
「仕方ないだろ。昨日まで野良仕事の依頼がかなり長引いたんだ。雇い主の老夫婦がそろって腰やっちまってな。約束の期間終わったからってほっとけねえよ」
うむ。確かにちょっと木札仕事に熱中して修行はサボり過ぎたな。魔力と身体は十分動かしてたつもりだけど、時間が取れなくて素振りは減らしてるし模擬戦闘もしばらくやってないわ。
町の南から川に架かる木造の橋を通って対岸に渡り、森の小道を奥へと向かう。あまり人が来ないようなところまでは行こうか。ゴブリン騒ぎや盗賊の噂があったせいか、最近はエブールでも旅の冒険者が少し増えたような気がする。
お、森の中でもこの辺は樹が少なくていい感じの広さがあるな。下草もまだまだ小さい。陽当たりもいいしここにするか。
……うん、いい天気だ。もうすぐコートはいらなくなりそうだな。手荷物を近くの樹の根元に置き、分厚い上着を脱いで身軽になる。
「じゃあ、前と同じで身体強化無しから行くぞ」
「うん! かかってきなさい!」
素手で行うクロとの組手はいい接近戦の対人訓練になる。魔力を使うかどうかで二人の力関係が大きく変わるので、無しだと俺が獣人の身体能力に翻弄され、有りだとクロが魔力と魔法の多様性に完封される。
お互いが太刀打ちできない格上に稽古をつけてもらえるので双方が少しずつ強くなれるはずだ。まあ、癖読みに慣れ過ぎると良くない点もあるが。
「……ちっ! このぉッ!」
「おっと、そんなに突っ込み過ぎると!」
「ひゃっ!?」
捻じりこむような右拳の突きをかわし、手首をつかんで捻る。身体強化していても食らいたくはない威力だ。丁寧に力の方向を変えてやるとクロの身体はくるりと宙を舞う。獣人は受け身も見事だが背中が地面に着いたら俺の勝ちだ。
「……もー! 何なの魔法使い! インチキよ。納得いかないわ!」
そりゃさっきまでの俺のセリフだ。しかもお前の頭から落とすバックドロップは危ないだろうが。訓練だからこうやって勝つんだよ。殺す気かよ。
「もう一回よ! 背が違うから距離を取られると面倒ね……対策考えたのに尻尾も取りに来ないし!」
「それ口にしていいのか」
素手の殴り合い掴み合いだったらリーチの差を活かすのは常套手段だからな。懐に入られるとうっとうしいのは確かだが、理由はそれだけでもない。
久々に模擬戦闘をやって間近で見て気付いた。朝も少し思ったがこいつやっぱり太っている。打撃の威力も前より増しているし、全体的に肉がついて逞しくなっているのだ。
……もうそろそろ二ヶ月になるか。ずっと食いたいだけ食って寝て遊んでやがるからな。
出会った時はまんま薄汚れた痩せの野良子犬という印象だったが、今では毛ヅヤも顔色も体格もよくなってさらに可愛らしくなっている。
ちょっと、前のように気軽に触ったり掴んだりは躊躇してしまうなあ。
クロのほうは獣人としての性質なのかそのへんはかなり無頓着だ。慣れてからは日常的に俺に対して接触が激しい。その様は前世で親戚の家にいたでかい犬を思い出す。
……犬だったら全く問題はないんだがコイツは女の子だ。
「なにぼーっとしてんの。行くわよ?」
「……素手はそろそろこのへんにしようか。得物も練習しとかないとな。お前狩り以外で小刀あんまり触ってないだろう?」
「えー! 取っ組み合いのほうが楽しいのに」
俺も楽しいから色々とマズいんだよ。
クロのぼやきは無視しつつ樹に立てかけてあった棒を拾う。
「ほら構えて。こっからはまた魔力無しでやるから付き合ってくれよ」
こっちも久しぶりだからな。勘を取り戻すために今日はみっちりと時間を取ってやろう。気候もよくなってきたし、こんな日々もそろそろ終わりだな。




