第48話 越後屋に下された沙汰
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「…………。……お腹空いた」
「お。起きたか。調子はどうだ? ……食欲戻ったんならあそこ行くか? 今からならまだ座れるだろ」
「……うん」
宿の階段を降りてカウンターで店番をしている女将に外出と夕食が必要ないことを告げる。愛想はないが、機嫌は直ったようで助かった。全て元通り以上に綺麗にしたし、世話をかけた分は宿代も先払いで奮発したからな。
宿を出る前にクロのマントについているフードをかぶせる。俺も目立つ黒い毛皮のコートは部屋に置いてきた。
昼の捕物が片付いた後エルミラさんがくれたこのマントも負けず劣らず暖かい。上等の生地に小さいが領主様の紋章も入っている。これはこれで目立つ装いだが、着ていれば面倒事にはまずならない。
タブ村の戦いの話はすでにエブールの町中に広がっている。町の人達の主な話題は騎士のイグナスさん率いるコリンズ騎士団の活躍だが、獣人を連れて毛皮を着た冒険者も指を差されるくらいにはなっている。
……町の東側であるこの辺りだと特にだ。
通りを行けばマントのおかげで人は避けてくれるが、朝のように道の真ん中を堂々と歩く気にはならない。気にしなくていいとは言われたが、紋章がついているからこそ余計に謙虚にならざるを得ない。
町に行き交う多くの人々の姿は、皆まぶしいオレンジ色に染め上げられている。見上げた夕焼けの空にちょうど西から響く鐘の音は五の刻を教えてくれる。
「今日はまだ脂と味の濃いのはダメだからな」
「…………怒ってない?」
「ああ。気にすんな。魔法があるから洗濯と掃除は楽勝だよ。具合が悪い時は仕方ないだろ」
「……前はたくさん殴られた。馬車も商品もダメにする気かって。宿の人は怒ってたし」
ああ、嫌なこと思い出したのか。……様子がおかしいのは腹痛のせいだけじゃあなかったんだな。つーか奴隷の体調管理は主の仕事だろうが。そんなだから捨て駒にされてタゲ逸らしに使われるんだよ。
「大丈夫だって。特に今回のはお前は悪くないから。それより領主様からは元気になったら次は連れて来いって言われてるんだ。行きたくないだろうけど今度は仕事だと思って諦めてくれよな?」
「……わかった」
「フィガロは……あの日の移送中に自害しました。いずこかに毒を隠し持っていたようです」
「えっ!! では取り調べは?」
「本人からはできていません。押収した倉庫の荷物には彼が持ちだそうとした金品と、件の奴隷環の使役章が六個発見されました。……いずれも古く高価なものでエルブランド家の紋章入りです」
ほう。使役章は破損してしまうと奴隷環が効力を失うから、仕掛けを打っている間は大事に保管しておく必要はある。しかし事が露見してしまったらさっさと処分して証拠隠滅するべきじゃないかな。
「気絶していたホルダンは?」
「領主様にそのようなことを!? 信じていた部下に裏切られた。何十年も本性を隠していたとは。全く気が付かなかった。恐ろしい男だ。だそうです」
ええええ。お前らそんな程度の関係じゃないだろ絶対。こないだ会ったばかりの俺でもわかるわ。
「ふざけたジジイだよ。役者やってたんじゃないかな」
淡々と説明するエルミラ様と憤りを隠さないウィルク様。その供述を真実とは誰も思っていない。
東の倉庫でフィガロ達とホルダンを捕えてから五日後、俺とクロは領主様の館に呼び出され、いつもの執務室で事件の結末を聞いていた。
俺の後ろのテーブルにはクロのために甘い物が用意されているが、彼女は入口の扉の傍に立っている。ウィルク様は座って食べててもいいと言ってくれたが、話が終わるまでは待つつもりのようだ。
「ま、こうして証拠も見つかって、逃亡も企てている。出頭を促した僕の名代とも言えるエルミラに害意も見せた。主犯として死人に口無しだよ。ホルダンの極刑にまでは至らない」
たぶんあの倉庫で俺達が全滅してたらそれこそ領主家の力を大幅に削いで領外へ逃亡、大成功って感じだろうな。
あのジジイくらいの商人ならたとえ賞金首でも素性を変えて呼び戻すくらい楽勝だろう。
「現在も調査中ですが、商会の中でも今回の事件に関わっていたのはフィガロだけのようです。店に踏み込んだ兵士から事を聞かされた跡継ぎのハロルドなどは寝耳に水といった様子。大慌てで帳簿類を全て開示してくれました。……あれはどうも父親には似なかったようですね」
あー。あの人はな。……むしろこうなった時の保険みたいなものかもしれん。
「……あの商会も潰してしまうと領内への影響が大き過ぎるからね。幹部の単独犯じゃあ、そこまで強行もできない。結局のところ、悔しいがホルダンは監督不行届までだね。息子ハロルドに身代を譲っての領地追放と決まったよ」
それが限界かな。さらに恨みを持って悪いこと考えなきゃいいけど。
しかしハロルドのほうは身内が領地を滅ぼしかけた罪悪感と、にも関わらず家と商会が存続できたことに強く恩義を感じているらしく、事件の捜査と今後についてもコリンズ家に全面的な協力を申し出ているらしい。
色々と口やかましかったエブールの古い反領主勢力は中心人物であるホルダンを失って大きく力を落とすことになったとか。
「ありがとう、レノ。そしてクロも。今回の件は本当に、君達二人の尽力のおかげだよ。もう一回聞くけど二人ともウチで働かないかい? クロもそんな所に立ってないでこっちおいで。ここでは獣人も大歓迎だよ。ねえ?」
領主様に名指しで礼を言われたクロはおずおずと前に出て来る。が、ウィルク様に対して俺を盾にするように背中にくっついた。おい隠れるな、失礼だぞ。
「……お話は光栄です。が、やはり僕はまだ未熟者です。期待ほどの働きができる自信がありません。もっと腕を上げたいと思います。やりたいこともありますし」
「ええぇ。ダメかい?」
「申し訳ありませんが、ご容赦願います」
「……んんん。そうかぁ。本当に残念だよ。強いだけじゃないってことはエリックから色々と聞いたんだ。……君を職人組合の長に会わせたかったなぁ」
今回のウィルク様は心底残念そうだ。聞くとどうやら地元愛の強い親父らしく、他所者のコリンズ家とは何かにつけてソリが合わないらしい。ラタ村の村長の息子で、仕事のできそうな俺を緩衝材にしたかったようだ。
……うん。この領地で文官をやるのは胃に悪そうでやっぱりダメだ。
「ははは。まあ、僕が役に立てそうなことがあったらいつでも呼んでください。すっ飛んで駆けつけますよ」
そうだ、クロの口説き文句でもないが獣人さんは同じこの部屋にいるんだった。彼女が呼ばれているのもそれと無関係でもないだろう。話題を変えるためにもそこの爺さんについても聞いておこう。
俺の意図を見透かしたのか、苦笑するエルミラさんが離れて立っているマントの男に自己紹介を促す。
「この子達なら大丈夫よ。心配ないわ」
「……ギンという。縁あってこの家に厄介になっている」
フードを取った男は、青みがかった灰色の髪を後ろで無造作にまとめた老武士のような顔立ちだ。右が少し欠けた頭頂部の耳と鋭い眼光は即座に狼を想起させる。
手入れ無しで伸び放題のもみあげがカッコイイが、顔の横の耳はやっぱりないんだな。
「お嬢から大部分は聞いている。お前も変わった男らしいな」
「はい。そうらしいです。それと、先日はありがとうございました。この子がクロです。もしかしてお探しでしたか?」
いつまで背中に隠れてんだ。この人は獣人だろ? お前、ひょっとして人間嫌いじゃなくてただの人見知りじゃないだろうな?
「いや、そういう訳ではない。人間の商人に連れられた同族がいると聞いて気にはなっていたがな。ふふふ、その様子なら心配はいらんか。……親元へ返すというのは本気なのか?」
「それが、幼い頃に別れたきりで覚えてないそうなんです。郷で暮らしていたとは聞きましたが」
「……もうない。誰が生きてるかもわからない。みんなバラバラ」
突然口を挟むクロ。ってマジか。
「ああ、孤児ならもしかして、シロガネの郷の生き残りか? いつだったか、人間に焼かれたんだったな。あの時は大変だった。……ま、あいつは簡単に死ぬようなタマじゃないからどこかに逃げ延びているとは思うがな」
「……うん。たぶん」
おお。親がいなくても保護者代わりくらいはいるだろうと思ってたが、シロガネさんと言うのか。知り合いみたいだしギンさんなら何か手がかりを知っているかもしれん。




