第45話 指輪の謎
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エブール領は王国の中央部に存在するが、南にある王都とは大きな山脈によって隔てられているために交通の便が悪く、田舎の小さな町といった評価の領地でしかない。
そんな素朴で平和な農村地帯を襲ったゴブリンの群れ。魔物が存在するこの世界としては特段珍しい出来事でもない。……しかしつぶさに見ればその規模を始め、色々と腑に落ちない点が目立つこの事件。
タブ村への襲撃を退け、最後の後始末と廃鉱山の巣の掃討に向かった俺達は……そこで今回の騒ぎが偶発のよくある魔物災害ではない、と考えるに足る手がかりを見つけたのだった。
「……まで確認し、生き残りはいないと判断しました。その上でこれを一刻も早くご確認いただくため急いで戻って来た次第です。先ほどのレノ様のご説明も含めまして、詳細は後ほどまとめたものを提出します」
「うんうん、お疲れ。さすがだね。……とりあえず領内の魔物はだいたい片付いたってことかな」
「魔物は、ですね。……ご苦労様でした。下がって休んでください。それと調査が全て終わるまでは、この指輪については他言無用に願います。他の三名にも伝えておいてください」
「はい。すでにそのように指示はしております。では失礼いたします」
報告を終わらせた隊長さんは、こちらに向かっても丁寧に頭を下げてから領主様の執務室を出て行った。
部屋にいるのは領主ウィルク様と魔法使いのエルミラ様。冒険者のエリックさんと俺の四人、……と、ウィルク様の後ろにフードを目深に被ったマントの男が一人控えている。
この館へ来た初日にもその姿は見ていたけど、ほぼ気配が感じられない。会話に集中してると居ることも忘れるくらいだ。この人がエルミラ様の言ってた腕利きの護衛か。
隊長さんと入れ替わるように入ってきた侍女さん達により、俺達のテーブルには軽食が用意された。ウィルク様に着席を許されたので座っていただく。
今は……もうおやつの時間には少し遅い頃合いだが、まともな食べ物は久しぶりなのでとてもありがたい。
一昨日の昼に廃鉱山の町で指輪を発見した後は、周辺に隠れたゴブリンがいないかの探索を必要最低限行ってから大急ぎでエブールの町まで帰ってきたのだ。
荷馬がいたので岩山拠点の大荷物も楽に回収できたのはかなり助かった。
ちなみにクロは領主館への同行を頑なに嫌がったので、小遣いを渡して中央広場に置いてきた。宿は町の東の、前と同じ所を取ったので日が暮れる前には戻るように言ってある。
「……まずはレノ。タブ村を救ってくれてありがとう。エルミラからの話じゃあ、もし君達がいなかったら犠牲者は二桁では済まなかったと聞いている」
そうなのか。でも村に被害は出ているし、俺の行動もいきあたりばったりのゴリ押しなところも少なくなかった。もっとうまいやり方があったはずだ。
「いや、俺の知る限りどうやっても二人で百五十は無理だわ。お伽話か英雄譚だ。組合に耳全部持って行っても絶対信じてもらえねえぞ? 坊主」
「小鬼族とは言え、三百超の魔物を退けて死者ゼロというのは私も聞いたことがありません。村人はおろか兵士達もケガ人で済んでるのですから」
まあ、それは本当に良かったよ。皆が必死に協力してくれたおかげだ。
「それでめでたしなら良かったんだけどね」
目を閉じるウィルク様のため息がでかい。
「……この指輪。奴隷に嵌めるヤツだねえ。しかも安物じゃない」
「明らかに作為的なものだわ。胃の中にあったのならまだわかるんだけど……」
ウィルク様の机の上に置かれた木箱の中には、指輪がついたまま折り取ってきた肋骨が一本入っている。
「はい。というか今回の小鬼族の群れ、気になる所がいくつかあります」
俺は駆け出し冒険者なのでゴブリンの生態に詳しくはない。これまでの違和感もまあそんなものなのかな、と思っていたが、さすがにこの指輪が見つかった状況を考えればスルーできないことには思い至る。
俺はベテラン冒険者のエリックさんに確認する形で、これまでゴブリンについて思ったことを報告していく。
まず、あれほどの数がいながら何故ぎりぎりまで人里に現れなかったのか。
盗賊を警戒していたタブ村にも目撃情報はなかった。街道で旅人を襲い始めたのも最近の話だ。飢え死にするモノが出るほど増えてもなお、村を避けて身を隠そうとしている。
次にゴブリンの年齢層だ。廃墟で最後に戦った奴らの顔を見てからよく思い出すと、タブ村の片付けで魔力に任せてかき集めた死体は若いものばかりだった。
鉱山町の民家で隊長さん達が戦うまでもなく止めを刺して回った小さいモノの数も考えれば、年寄りの割合が少なすぎる。探索した周囲には死体も埋めたような跡も、それらしいものはなかった。
エリックさんによるとゴブリンの寿命は人間の半分程度はあるらしいから、食糧事情を考えても歪な構成の群れだと思う。
……しかし多産の魔物を放って置くのは恐ろしいな。適度には悪さをして存在をアピールしてもらわないとヤバ過ぎる。
俺とエリックさんの会話を黙って聞いていたエルミラさんの表情が少し変わる。指輪に落とした視線が怖い。
「……なるほど。よくわかりました。後はこの指輪の魔法式を解読すれば、全容が見えそうですね」
「エリック、レノ。よく見つけてきてくれたね。この小鬼族騒ぎは何者かの意図的な仕業のようだ。この指輪がなければ気がつかなかっただろう」
「いや、俺は特に何も。坊主の手柄ですよ」
「後はエルミラに任せて君達も部屋で休んでくれ。風呂も使うといい。夕食の用意ができたら声をかけるよ」
くっ。そうなるだろうとは思っていたけど……
「……すみません。僕は、連れを置いてきているので今日は帰ります」
「どうして連れてこなかったのよ?」
「……」
来るのを嫌がったとは言えない。エルミラさんの不思議そうな顔を見るに、クロも外面はちゃんとしていたようだ。賢い。
そんなやつを宿で一人寝かせて俺だけ美味い物を食うわけにはいかんだろう。
「まま! 野暮は言いっこなしですよ。坊主、宿はあそこだろ? 早いとこ帰ってやんな」
……おっさんか。おっさんだった。
え? 仕事とは言えずっと一緒で悪かったな? 何を詫びてんだよ、二人っきりになっても何もないよ。起こらねえよ。
「そうか。残念だね。次は連れて来てくれよ。指輪の詳細がわかったら、すぐ宿に人をやるよ。あと報酬の一部を先に渡しておこう。全部が終わったら正式に支払うからね」
ウィルク様は執事の爺さんを呼んで諸々を手配した。おお、金が今もらえるのは助かるな。エルミラさんによると指輪の調査は何日もはかからないらしい。少しはゆっくりできるかな。
……しかし夕食の誘いを断って帰るのは実に口惜しい。あいつも一回ここの飯を食ってみれば少しは人間嫌いもマシになると思うんだが。あ、せめてこの軽食少し包んでもらおうか。
「おはようございます。レノ」
「おはようございます」
「…………やあ」
ウィルク様は眠そうだ。酒も残ってるだろうな。しゃんとしてるエリックさんは今度はセーブしたようだ。
明けて翌朝、一の鐘と同時に宿に使いが来た。
エルミラさんの仕事の速さを忘れてた。彼女は寝てないんじゃないだろうか。あ、魔力があれば一日二日は平気か。
「指輪の魔法式の解読が完了しました。これは近くで魔力を使用するとそれを感知して装着したものに苦痛を与えるようになっています。遠隔で自動ですからかなり高度な魔法式です」
魔力伝導は、術者が触れていないと長い時間は持続できないし効果が落ちる。魔法の風の矢や炎の槍も距離が離れれば威力は減衰する。
俺が剣に槍の柄を作る時も状態を維持し続ける魔力が必要だし、手を離せば法則通り時間経過で消滅する。
離れた位置の魔力に反応したり作用する仕組みは色々な応用が利きそうだが……この奴隷環や、町を守る結界の他には見かけないからたぶんコストがとんでもないのだろう。
「……痛みはかなり強力なもので、これを身につけた者は魔法使いに近寄ることはないでしょう」
あー、あれだ。パブロフじゃなくて、学習性何たらでもなくて……なんだっけ。
いいや。そのゴブリンの近くで身体強化なり、火を点けたり魔法で仕事をするとクッソ痛いってことか。
そりゃもう腹が減っても人間なんか見たいとも思わないくらいに。
「着けられてたヤツは最も齢食ってたな。じゃあ、アレは人に見つかるのを恐れてずっとあんな廃墟に……群れごと引き籠ってたってのか、坊主」
「たぶん一匹じゃないですね。しかもどこかから勝手に流れてきたわけでもない。あの長老が親世代として廃墟にいたのは子、タブ村まで攻めてきてたのは孫です。人知れずあれだけに増えたということは、誰かが複数の番いをその状態であの廃墟に放置したんでしょう」
「はあ? いったい誰が何のためにそんな面倒臭いことを?」
エリックさんは全く見当もつかないようだ。
……この策は金も手間も時間もかなりかけてる。そんなに憎いのか? いや足がつかないようにか。だとすると。
「……数が増えれば、孫やひ孫は親ほどは人間を恐れないんじゃないかしら。齢を重ねて押さえ込むものが弱る頃には……食糧の限界が来るわ」
「気の長い話だねえ。……しかし突然まとまった数の魔物が現れたら、壁のない村は全滅する。その責めを負うのは領主の僕ってわけだ」
「奴隷環に刻まれていた紋章はこの町の前領主エルブランド家のものよ。……当時から残っている商会で奴隷を扱う店の主、ホルダンに事情を聞く必要があります」




