第03話 村に訪れる危機
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魔法が使えるかどうか、教会の神官テオドル様に判定してもらい、適性アリと認められれば魔法使いとしての指導を受けたい。そう両親に希望を伝えたが、母には年齢を理由に却下されてしまった。
この国の魔法使いを管理する法によって、魔法の指導は少なくとも七歳を過ぎてからというのが定められているらしい。始めは好感触だった父も最終的には母の剣幕に逆らえなかった。
その話をした晩から明けて翌日、朝食が終わったあとに両親と三人で教会へ出向き、テオドル様に両親の決定をお伝えした。
テオドル様もよくよく考えれば自分がつい子供相手に口走ってしまったことがマズかったと反省したとのことで、両親に謝罪をしていた。どうも本格的に二年待つ必要がありそうだ。
「しかしレノ君は……同じ年の子と比べても随分大人びたというか、しっかりとした物言いをしますね。それも大人の口真似というだけじゃない。自分の考えを持って話をしている」
「そうでしょう! 上の子の時とはかなり様子が違ってましてね。元気で賢いのはいいんですが、もうちょっとヤンチャを控えてくれると親として安心なんですが。まあ将来は楽しみですよ!」
「あなた、そんなこと言わずにもっとちゃんと言い聞かせてください。何かあってからじゃ遅いんですよ」
「いやあ、彼のような子供は稀にいますよ。英雄、名将、名のある研究者、学者。幼い頃から目立つ者も多い。見込みは十分あると思います」
「神官様! そういうことをこの人に吹き込まないでください!」
この爺さん口が滑る人だな。大丈夫か。だがまあ、魔法はお預けにしてもやれることはある。
「お母さん、魔法はしばらく我慢します。代わりに僕も教会でみんなと一緒にお勉強したい。テオドル様もいいでしょ?」
「私はもちろん大歓迎だよ。ちょっと早いけど君なら問題はないだろう」
「……あなたが村の子供と一緒にいることは少なかったような覚えがあるんだけど。まあお勉強なら危ないことよりはいいか……。神官様、魔法は絶対ダメですからね?」
村の子供は五歳くらいから仕事の手伝いができるようになるまで簡単な読み書きや計算、国の昔話などを教会で学ぶ。もちろん信仰の対象である神様、聖女様についてもだ。
教会が学校の役目を持つ所は珍しくないらしい。戦や魔物の被害がある地方では孤児院にもなっているとか。
今の自分にできることの内、必要なものの一つはこの世界について知ることだ。このまま村で麦を作って生きていくことも可能だが、幸い兄がいる。村長を継ぐ必要がなければ実力次第で違う生き方ができるだろう。
前世の子供の頃の自分では思いもしなかったことだが、学ぶ時間と環境があるというのは幸せなことだ。知識や情報は今後必ず力になってくれる。
厳しい冬を越し、春になった。
麦畑は緑鮮やかに色づいている。今日もいつもどおり、午前中は体力づくりを兼ねて農作業の手伝いを進んでやる。思ったより体力がついているようで家族も驚いている。
……そろそろ労働力としてあてにされるようになるかもしれないな。
昼食後は森で身体を動かしてから教会に向かう。先生であるテオドル様がみんなに教えてくれる基礎的なお話はすでに全て記憶したので、今では他の子供の勉強を見たりしながら教会にある本を読む。
他の子供たちが帰った後、テオドル様の時間ある時は読んだ本の内容に関する質疑応答という形で知識を深める。先生はもう完全に俺を子供扱いすることはなくなり、色々な話をしてくれるようになった。
そんなある日。日暮れも近くなって人気の少ない教会に、扉を激しく叩く音が響いた。
突然の音に落としそうになった水桶を床に降ろし、掃除を中断したシスターが入り口の扉を開ける。
弾け飛ぶように転がり込んできた男は何かを包んだ毛布を抱きかかえている。
「……助けてくれっ!! はあはあ、テオドル様は!? 娘がっ! ぐはっ!」
全速力で駆けてきたのだろう、苦しそうに包みを抱きかかえたままの男は床に膝をつく。震える腕の中のそれは半ばまで赤く染まっていた。
青ざめたシスターはすぐに奥の部屋へ教会の主を呼びに走った。
……毛布の中に覗く青白い顔は、よく知る同じ村の少女のものだった。三歳年上の、いつも元気な彼女の見たことの無い表情に驚いた俺は声をかける。
「ミハル姉ちゃん! モリスおじさん! これは!?」
「……ああ、レノか。沢に落ちて倒れているところをライが見つけてくれたんだ。ひどいケガをしている! 目を覚まさないんだ!」
ミハルの髪の毛は水に濡れ、唇はいつもの鮮やかな色を失っている。どのくらい水に浸かっていだのだろうか。
出血量とも合わせて状態は一刻を争う。俺が立ち上がって振り向くのとテオドル様が駆け寄ってくるのは同時だった。
「テリザ、お湯をわかしてくれ。レノ君は隣の物置部屋から薬箱を。モリスさんこっちだ、暖炉の前に」
「ああ! 神官様お願いいたします! ミハルを!」
指示よりも先に部屋を出て、包帯や薬などを入れている薬箱を取ってくる。暖炉の前にはシスターのテリザさんがミハルを新しい毛布の上に寝かせている。未だに止まらないミハルの出血は左足からのようだ。
テオドル様が左手で彼女の足を押さえ、右手は額に乗せる。……その時、暖炉の熱とは違う不思議な熱気が先生の身体から滲み出す。
「……左足は骨が折れている。太い血の管も破れていますね。頭は打ってはいないようだ。これは……」
何かが先生の身体の中で渦を巻いている。これが魔法を、魔力を使っているということか。テリザさんが清潔な布で拭った足はもう血が止まりかけている。
初めて目の当たりにする超常の現象に目を離すことができない。これは、回復魔法か。触れた手が起こす奇跡はまさに神の御業だ。
「……モリス! いったい何があった!? ケガ人はどうだ?」
教会の入り口から聞こえてきた声は父さんのものだ。目をやると兄と一緒に入ってくる。
「……ああ村長。ライ、呼んできてくれたのかありがとう。ミハルは今神官様に診てもらっている。昼に……お袋とミハルが山へ薬草を取りに入ったんだ……が、なかなか戻ってこない。それでさっき探しに出たらライがミハルを……」
「じゃあお袋さんは!? ミハルの近くにはいなかったのか! もう日が暮れるぞ!」
「とりあえずミハルを神官様に任せられたから俺はお袋を探しに行く。……足でも、挫いて、座り込んでるに……決まってる」
「今から一人で山に入るなんて無茶だ! ライ、村の男に事情を話して集めてくれ。手分けして探すぞ。レノはここで神官様の言うことを聞いてろ。父さんは家に戻って準備をしてくる」
眺める先は、教会の二階の客間の窓の向こう。暗闇の山の中ほどに松明の明かりがいくつかゆらめいている。日はすでに沈んだが、皆の懸命の捜索はまだ続いている。
ミハルの婆ちゃんは俺が森のトレーニングで傷だらけになって帰ってきても笑いながら褒めてくれた人だ。薬草の知識なんかもたくさん教えてくれた。
夏が近いとはいえ、あの年齢の人間が暗い夜の森でケガをして一人で一晩を明かすというのはかなり危険だ。考えたくない最悪の事態も頭に浮かぶ。
行けるものならすぐに捜索に加わりたいが……認めてくれる大人がいないであろうことは容易に想像がつく。
何もできない無力さ。そんな鬱々とした気持ちを抱えて俺は手桶の水につけた手拭いを搾り、ベッドに横たわるミハルの額に乗せてやる。
骨折の影響で熱を出した彼女はまだ意識が戻らず、うなされながら眠っている。足のケガは添え木とともに布で丈夫に固定され、擦り傷を負った腕などにも包帯が巻かれている。
先生が今回に限り、魔法について話をしてくれた。実は彼は回復魔法を使えるわけではないらしい。せいぜいが魔力をコントロールし、ケガ人の傷に触れて回復を促すくらいだと。
それでも長年の積み重ねにより、出血を止めることとずれた骨を合わせること、魔力を使って失った血液を多少増やすことぐらいはできるそうで、それによって何とかミハルは命をとりとめた。
しばらくは安静が必要。定期的に魔力による回復の促進を図るものの、基本的には人間の持つ自然の治癒能力に任せるしかないのだそうだ。
俺がイメージする回復魔法、瞬時に傷を完治させ、即座に元気に飛び跳ねることができる、というのは膨大な魔力とその制御を可能とする技を持つ、はるか上位の術者の成せる高度な魔法らしい。
テリザさんによるとテオドル様も魔法使いの全体から見れば一握りの技術の持ち主であり、こんな田舎の村には普通はいないそうだ。
テリザさんと同じく、俺も即座にそのへんは詮索しないという結論に至った。
そのテオドル様も今はさすがに魔力を使い果たし、テリザさんに後を任せて休んでいる。彼女がいつもそつなく神官様の補佐をしていたのはよく見かけていたが、今日は一段と凄かった。
……あの頼れる美人のシスターさんはもう片づけを終わらせただろうか。そんなことを考えていると、山の松明の明かりが村に戻る動きを見せ始める。
おっと、いかん。もう暗くなって大分経つ。中身はともかく外面は子供なのだった。俺もいい加減家に帰らないとマズい。
母さんは俺の性格を把握してるから、今頃は俺が森に行ってやしないか気が気でないんじゃないだろうか。いらん心配をかけるのは本意ではない。すぐに帰ろう。