第29話 十割優しさ? 半分は下心だろ!
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「んーーーーーーーーー!」
店から外へ出たところ、人通りのない往来で突然クロが両手を広げて伸びをする。でかい声にちょっと驚く。
「お、おう。今朝まで大変だったもんな。痛いところとかないか?」
「……平気。昨夜は寒くなかったし」
腕を伸ばしてくるくると踊るような動きからは、昨日までの首輪や手錠からの解放を喜んでいる様子が伝わってくる。
行商人に連れられていた間は、ほとんど檻の中で拘束されていたようだしな。
エブールの町での二日目、領主様の館に泊まった翌朝のこと、俺は獣人の少女を仲間にするため奴隷商人の店を訪れた。
アポ無しだったので店主のホルダンさんは不在だったが、その息子ハロルドさんによって無事にクロとの奴隷契約を結ぶことができた。
……しぶしぶのようではあったが、拒絶はされなくてよかった。
「……で、これからのことだけどな。おーい」
どこまで行くんだ。楽しそうで何よりだが、あんまり離れるんじゃない。離れすぎると奴隷環が作用することは知ってるはずだが。お、戻ってきた。
「一昨日……お前が乗ってた馬車が、小鬼族に襲われただろう? あいつらを探すんだ。あの群れの残りがどこにいるのか? 見つけ出して全滅させる。っていうのが俺達の当面の仕事だ」
この世界の人間は、はるか昔から魔物にその暮らしを脅かされてきた。生き残るために魔物と戦い、奴らを駆逐して食料や土地を手に入れる。そのあたりは獣人の領域でもほぼ同じらしい。
争いはあっても、人間と獣人を含む亜人種族とは良くも悪くも交流がある。彼らは“人”に含まれているのだ。
その点、本能のまま人を襲って喰うだけの魔物との関係は、完全な敵対。殺るか殺られるかだけだ。
「なぁんだ。小鬼族か」
「へぇ。頼もしいな。何匹いるのかわからないんだぞ? まずは調査からだ」
余裕の表情はいいんだが……こいつのほっぺたや首を見るに、これまでの生活が祟ってて本当に細いんだよなあ。
戦闘はもうちょっと体調を回復させてからにしたいが、ゴブリンが待っててくれるワケはないよなあ。
……駆け引きなんかしなくても飯はたらふく食わしてやるつもりだ。好き嫌いは許さんからな。
「お。その前にだ。ちょっと手を出せ」
「?」
意外と素直に右手を出す。……荒れてて痛々しいなあ。でも指先は思ったよりも力強い。なんかやってたのかな?
「治療のために魔力を流すぞ。ちょっとの間我慢しろよ?」
「……へ?」
理解できないらしいクロが手を引っ込めようとするが逃がさない。
町の結界内で使える強さの魔力までだから効果は弱いかもしれんが、身体に魔力治癒をかけておこう。
これまで受けてきたストレスは想像を絶するモノのはずだ。身体に外からは見えないダメージがある気がする。
「ひぐっ!!?」
空いてる左手で後頭部から首、背中、腰へと魔力伝導でクロの身体を診察する。……やっぱり他人には通りにくいが、獣人だと人間よりはマシかな?
……おい、ちゃんと立っとけ。
「ちょ……、何……これ」
……あー。しまったなあ。昨日の昼飯は良くなかったかもしれん。胃腸がかなり荒れている。消化器系に治癒促進を施して、自律神経のバランスも整えておこう。やっぱり見た目ほど元気ではないな。
「……ッ! ……? …………!」
よし。まだ先生には及ばないが、何もしないより回復は早いはずだ。
……次からは外でやっちゃダメだなこれ。衛兵を呼ばれるかもしれん。
「あ。お前、昨日一緒にいたおっさん覚えてるか? あの人も仲間だからな。これからはちゃんと協力してくれよ? これは命令だぞ」
これまでの態度を見るに、人間が嫌いなのは一目瞭然だ。実力のほうは後で確認してみないとわからんが、獣人とはいえ病み上がりの少女が一人でゴブリン相手に無双とはいくまい。
コイツが嫌がっても、三人……いや、向こうの数によってはさらに他の人間とも連携をとって事に当たる必要が出てくるだろう。
「…………わかった」
「お? いい返事だ。ちょっと早いが飯にするか。おっさんとは冒険者組合の建物で待ち合わせだけど、確か近くに酒場があったはずだ。お姉さんにでも言付けを頼んでそこへ行こう」
「……いた。よお坊主。……おや、なんだもう一緒か」
酒場にやってきたエリックさんは店の奥、隅のテーブルで食事をする俺たちを見つけて声をかける。昼飯時にはまだ少し時間があるはずだが、すでに店内に空いている席は少ない。
「あ、おはようございます。……大丈夫ですか? まだふらふらじゃないですか。何か食べますか?」
「……ああ。領主様のところで済ませて来たからいらねえ。悪かったな、ついて行ってやれなくて」
言いながら、おっさんは俺の隣の席に腰を下ろす。
「いえいえ。滞りなく済みました。二日酔いに効くお茶でも頼みましょうか?」
「すまん、もらおう」
ここは冒険者ギルドの近くでも少し値の張る、お高い酒場だ。あまり広くはないが酒は良い物を多数置いているらしい。もちろん料理の味も抜群に良く、野菜の豊富なメニューや薬草を使ったお茶も出してくれる。良い店を教えてもらった。
「これやる。苦いからいらない」
「ダメだ。それはお前が飲むんだ。第一それは二日酔い向けじゃない」
店では場違いな子供が二人だけで大飯を食らっているので、隅にいても注目を浴びていた。しかし昼は客層がいいのか直接絡んでくるような者はいないようだ。
エリックさんが席についてからは不躾な視線もなくなった。周囲のざわめきを聞くと、彼がこの町で一目置かれている存在なのは間違いないみたいだ。まあ悪口も聞こえてこないわけじゃないけど。
「……なんだ、昨日とだいぶ雰囲気違うな」
「そうですか? クロはこんな感じですよ。エリックさん怖がりすぎでしょ。領主様も獣人との付き合い方は言ってたじゃないですか」
「……そうかもな。ま、話が通じるなら心強いよ。クロって呼んでいいのか? エリックだ。よろしくな」
返事のように無言で差し出すお茶を再びクロの元へ戻して、給仕のお姉さんを呼ぶ。ダメだっつってんのに。
……実際のところ、おっさんの実力は口で卑下しているよりも上だと思う。性格なのか、そういう立ち回りなのか。
「……ねえ、あっちのあの肉、あたしも食べたい」
「あれはまた今度だ。肉ならその汁にも入っていただろ」
「足りないし食べた気がしない。腹いっぱい食わせるって言ったでしょ」
「おま、それだけ平らげといてか。それで我慢しろ。今日の昼飯とは言っていない。今度だ今度」
俺の返事に話が違うと呆れた様な顔をする。……腹八分目なんて言葉はクロには理解できないだろうが、今日は六分目くらいにしといてほしかった。
食事についてクロ本人に確認したところ、人間の食材で食べて具合の悪くなるような物は特にないらしいから、飯は俺たちと同じでいいだろう。なら野菜や薬草も俺が知ってるもので大丈夫だ。
「こんな喋るヤツだったか? ……しかし坊主、お前年寄り臭いな。女の扱いも何か違う気が……」
「そんなことより!」
おっと。俺の声におっさんが目を閉じる。ツラいですよね。わかります。謝らないけど。
「仕事の話をしましょうよ。小鬼族の巣を探しに行く前に、僕とクロに武器がいります」
「……あー、そうだな。坊主は長いのがいいのか? そいつには武器と……上から下まで一式買いそろえなきゃならんな」
給仕のお姉さんが持ってきてくれたお茶をすすりながらおっさんが言う。熱いお茶がうまそうだ。俺も温かいもの、もう一杯もらおう。
「エリックさんなら、いい武具の店知ってるでしょう? もちろん顔の利くところです」
「なくはねえが……質は結局、金次第だぞ? まあ、坊主なら組合でも領主様でも喜んで貸してくれるだろうけどな」
ふっふっふ。そういういらん借りを作りたくないから、村で地道に金を貯めて来たんだ。小金だけど駆け出し冒険者二人分の装備くらいなら相応の物が買えるはずだ。……お、お茶が来た。
「じゃあ、飲み終わったら行きましょうか」
「そうだ、金で思い出した。坊主に渡す銭がある」
おっさんが財布と思われる袋から出した金は銀貨七枚と大銅貨二枚。一昨日二人で倒したゴブリンの耳を換金したものらしい。全部くれると言うが、そこは俺が折半を譲らなかった。仕留めた数は俺が多くても、エリックさんがいなければそうはなっていない。
「そうか? ありがとよ。……そうは考えねえ奴がいっぱいいるんだよ」
その後、酒場を出るまでにおっさんから冒険者としての心構えや周辺の地理などを教わる。この町に出入りしている他の冒険者の情報なども確認し、十分な今後の打ち合わせができた。
……ちびちび舐めてないでぐっと飲んでしまえばすぐに済むのに。




