第19話 焼いたり片付けたり何だかんだ時間がかかった
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遠く西の草むらに沈もうとする夕日が、まばらに立つ木々の影を長く伸ばしている。辺りが暗くなり始めたため、気温は昼間よりもぐっと下がった。
赤から青に変わる綺麗なグラデーションの空にも、月がささやかにその姿を見せている。この夜の冷え込みを想像すると気が重くなるが、今日明日のところは雨にはならなそうなのが救いだ。
「……お、俺はもうこれで十分だ。それは食えよ」
エリックさんが獣人の少女に睨まれて鍋のおかわりを放棄する。使っている食器は大きくないのでアラサーくらいの冒険者男なら足りるはずはない。
料理してくれたのは彼だし、肉以外の食材は行商人の荷物から彼の奢りなのに。
エブールの町で行商人が所属する商会に遺体と荷物を届けた際には、食べた物や使った消耗品も報告して清算する予定だ。ゴブリンから助けた礼ということで支払いはエリックさんが持ってくれる。
積荷の一部である獣人奴隷の少女はそんなことは全く意に介さず、鍋を抱え込むように焚き火の前に陣取って煮込み料理をかきこんでいる。その鍋ができるまでに炙ってた何本もの肉は、とっくに全て骨だけになっていた。
街道の林でゴブリンを魔法で焼却して後始末をつけた後、俺達四人はエブールに向かうことに決まった。
しかし陽のあるうちに町に入るのは無理だという時間になってしまい、林を抜けた先の川の傍で野営をすることになった。荷馬車はもちろん俺が引っ張った。
オルビアさんはしばらく目を覚まさないだろうから今も荷馬車に寝かせたままだ。止むを得ず遺体も一緒に乗っけている。
……出来るだけ離してあげたので我慢してください。魔力伝導で暖かくはしてあるから、安静にして回復を図れるはずだ。馬車自体も燃えない程度には焚き火に近い。
「……けっこうな大物を獲ってきてたつもりなんですけどね」
「獣人だからなぁ。あの行商人もろくに食わせちゃあいない様子だったしな。……お前のほうは、身体は何ともないのか? 俺達と会ってからだけでもかなり魔力を使っているだろう。……オルビアのやつなんかは戦闘中でも魔力をケチって危ない目にあってんだが」
「今日はさすがにいつもより腹が減りましたね。ありがたくご馳走になってますよ」
「……それで済むのかよ。俺も色んな魔法使いを見てきたが、お前ムチャクチャな部類だな」
エリックさんと会話しつつ、少女の視線は無視して遠慮なしに鍋に匙を突っ込む。野菜も香草も新鮮ないい品だ。そして重要なのはそれを生かす料理の腕。
さすがベテラン冒険者の仕込んだ鍋はうまい。その彼は何故か少女とは距離を取って座っているので、焚き火からも俺からも遠い。
「……晩飯食わしてやってんだから名前くらいは教えてくれないかな?」
「…………クロ」
やっと二言目を喋った。一緒に町に行く話には何とか頷いてくれたが、会話にはならない。話ができないってわけじゃなさそうだが。
しかし獣人ってのはそんなネーミングセンスなのか。偽名か? 黒髪黒目のこの女の子、耳は……ぴんと立ってて厚みがあるから、なんか犬っぽいか?
……それにしても人間の頭に獣耳がついているのは不思議だなぁ。それもパーティーグッズなんかの飾り物じゃなくて血の通っている動物の耳だ。髪が肩まで伸びてるけど人間の耳はどうなってんだろう?
んー。薄暗くて焚き火の明かりじゃよくわからんな。これ以上は近づくと怒りそうだし。今こうやって飯食いながらチラ見してるのも冷や汗ものだ。
「………………チッ」
おっと。ばれてるか。……何だろう、少女に不機嫌な顔で舌打ちされるとか心が痛い。
町まで同行して行商人の財産としての処理を受ける、ということに納得はしたようだがやはり機嫌はよくない。同じ鍋でも囲めば少しは空気も良くなるかと思ったんだが。おっさんはあんな所に座ってるし。
「エリックさん寒くないですか? どうして火に当たらないんです?」
「……お前は強いし問題ないだろうが、俺は魔法も魔力も使えん」
「だから寒いでしょう」
「……昼まで荷物扱いしてた獣人が自由になってるのに近づくことができるか。ホントは飯を食わすのも反対なんだ。そいつが元気になっちまったら……」
「焚き火を囲むくらい……、恨みを買うようなことをしてたんですか?」
「そういうわけじゃない。商品にこいつがいるのは見せてもらってたが、積荷には不用意に近づかないのが護衛としちゃ当たり前のことだ」
「だったら」
「獣人は人間を敵視してる。戦争の前も後もずーっとだ。人間と仲の良い獣人なんて赤ん坊から育てられてる奴隷くらいだ。……見ろその顔」
今のはおっさんの例え話のせいだろう。
「話が全く通じないって訳でもなさそうですし、こんなかわいらしい女の子に怯え過ぎじゃないですか?」
「……若いってのはいいな。恐れを知らん。いや、知らないのはモノの方か。とにかく、さっきの話頼むぞ。そいつのことも一緒に見張っててくれよ。俺は先に休ませてもらうからな」
一足先に食事を終えたエリックさんが毛布を身にまとい、荷馬車を守るように背を預けて目を瞑る。さすがに荷台にはもう人は入れない。彼とは数時間毎に交代で見張りをする段取りになっている。
薄着だった獣人娘のクロは、今は荷物の毛織物を腰に巻きつけ、さらに上から羽織っている。焚き火の傍なら何とか寒さを凌げているようだ。
エリックさんからは汚したり焦がしたりしないように必死に頼まれていたが、本人は全く気を使ってはいない。……あ。もう鍋を空にしやがった。
こんな小さな欠食児童がそんなに強いもんかね? ……まあ経験を積んだ冒険者の言うことだ。見た目で判断してはいけないというのは魔法の存在するこの世界では当たり前のことだろう。……口の周りきったねえなぁ。
「…………ジロジロ見るな」
「見張りなもんで。まあそんな馬鹿なことはしないと思ってるけど」
見るなっつっても無理な話だ。獣人だぞ、獣人。魔法の時もそうだったが、前世の地球では有り得なかった存在だ。テンションが上がらないわけがない。
この子はいつからこんな生活してるんだろうか? かなり痩せてるし、背丈も俺より十センチ以上低い。服の様子からして後ろには尻尾があるようだが外には出てないのでどんな物かはわからない。見たいけど頼むわけにもいかない。
「クロは齢はいくつ?」
「…………」
話ができそうな雰囲気だったけど無理か。
「昼間も話したけど、逃げてもいいんだよ。積荷がなくなったって、あの小鬼族どものせいにすれば俺達は困らない。死体のものだけど靴や服もある。何だったら路銀も少しくらいならあげられる。あんまり行商人の金に手をつけると俺達が疑われるけどね」
「…………これ、外せないんでしょ? それに郷までは道もわからないし……」
さすがに獣人用の奴隷環は丈夫だった。魔法式で強化もされてるみたいだ。首についてるから魔法で焼くわけにもいかないし、彼女に影響無しに魔力伝導でぶっ壊す自信もない。
「追い掛け回されて野垂れ死にするよりかは、機会を待つわ。何があるかわからないもの。今日みたいに」
鍋の底の汁をを匙でかき集めて舐めるんじゃない。行儀が悪い。しかし腹が膨れたせいか機嫌がよくなったか?
「……食ったらそこの俺の毛布貸してやるから寝とけ。明日は町に入ったら忙しいから急ぐぞ。朝も早めに出発する」
「………………ふん。……変な人間。いいってんなら使うけど」
クロもすぐに焚き火の傍で毛布にくるまって寝息を立てる。結局何歳かは聞けなかったか。容姿は幼くも見えるが、考えはけっこう回るようだ。
見た目よりも上だとしたら俺と近いのかな? 獣人って寿命とか成長ってどうなってんだろうな……。
興味は尽きないが、調べる方法も今はない。……さて、食器と鍋を洗って湯でも沸かしておくか。茶の葉は安いものじゃないからエリックさんがかわいそうだ。白湯でも暖が取れるから問題ない。




