第18話 奴隷の少女
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「……待てと言ったのに。坊主、お前さんは獣人って種族の話を聞いたことがあるか?」
幌馬車の荷台の小さな檻の中に、手足を縛られた少女が転がされている。
……この寒い季節に薄汚れた袖無しのワンピース一枚だ。突然現れた俺を警戒して睨んでいる。
黄色く日に焼けた幌はそれほど外の光を遮ることはなく、荷台の様子がよくわかる。こんな扱いでも他の荷物と同じく商品なのだろう。糞尿の匂いはない。
獣人……。テオドル先生からこの国の歴史について習った時、俺が生まれるずっと前に起こった戦争の話を教えてもらったことがある。
それは人間族と獣人族の戦争。東からやってきた獣人の群れに対して我々人間の住む領域を守るため、大きな戦いが起こったらしい。
「……そうだ。戦争……戦いってのは、奪い合いだ。お互い欲しいものを求めて争う。負けた方は持っていた物を失う。それだけの力を持ってる坊主なら理解できるだろう?」
荷馬車の外の冒険者のおっさん、エリックが諭すように話を続ける。檻の中の少女はこちらの会話がわかるらしい。黒い髪の上に二つ、人間の頭部には無いものが俺達の話に反応して動いている。
……ここでこうして自由を奪われている彼女は負けたのか。それは本当にこの女の子が求めて争った結果なのか。
目を背けるようにエリックの方を見る。胸の奥に湧き上がる感情を抑えきれない。顔に出ているのだろう。彼の眉毛が八の字になっている。
「落ち着け。わかるさ。中央の、特に平和な田舎じゃ獣人は珍しいからな。……さっきもオルビアを助けてくれたし、昔お前が魔物を倒した時も詳しい報告書を書いたのは俺だ」
八年前のあの後、俺が眠っている間に事の顛末は先生に聞き取りをしたらしい。
「……見た目はこのとおり子供だしな。お前さんの気持ちは理解できるよ。だがコイツは奴隷だ。そこでくたばっちまった行商人の財産なんだ。俺達冒険者にとっちゃそこの麦の袋や毛織物と同じものなんだよ。触れることはできない。通すべき筋があるんだ」
奴隷を初めて見たというわけじゃあない。平和で豊かだったラタ村でも借金を背負って働く者はいた。罪を犯したために鉱山へ連れて行かれる者、魔物の領域の開拓へ駆り出される者達が村に立ち寄ったこともあった。
……しかしその中にこんな少女はいなかった。彼らのそれは自業自得とも言える。
「……盗賊が、小鬼族が根こそぎ持ち去った! 馬車は打ち壊された残骸だった……」
「ん。商会はまあ諦めるかもな。手前の懐じゃねえし。じゃあその子はどうするんだ? この辺じゃ素性の不確かな獣人は目立つぜ? 逃がしたところでそいつは逃亡奴隷だ。人間の領域で一人でどうなる?」
……先生からは奴隷や獣人に関することは詳しくは教えてもらえなかった。他の大人からもエブール領には獣人は両手で数えるほどしかいないということ以外は言葉を濁された。
あまり子供に事細かに教える話ではないだろうということも想像がつく。
「連れて行くってんなら町には入れねえ。衛兵に見つかったら商会から調べがついてお前は強盗殺人犯だ。助けてもらっといて何だが……そこまではつきあえねえ」
「…………ッ」
この男の言っていることはおそらく正しい常識なのだろう。俺にわかるようにも話をしてくれている。少女に対して同情がないというわけでもない。
…………しかし低レベルな文明だな。やっぱり中世は糞だったか。
生まれ育ったラタ村には獣人はいなかったし、両親も村の大人も優しい常識人だった。聖人君子ばかりでもなかったが、吐き気を催すほどの邪悪な人間もいなかった。……領主になんか会いたくねえなあ。
「…………この子は口が利けないんですか?」
猿轡をされているわけではない。移動中だった馬車の異変に気がつけば何らかの反応をするはずだろう。今もこうして目の前に知らない男が乗り込んで来ているのだ。
「あ、ああ。それは奴隷として命令で制限されているらしい……ッ! 待て、説明する!」
村では得られなかった奴隷の扱いに関する話を聞く。胸糞悪い話だが、これも大事な情報だ。
奴隷に落ちた者は奴隷環という装飾品を身につけさせられて身分を周囲に知らせる。普通の人間がつけているのは立場と所属を示す程度の物だが、一般人ではない者、その理を越える存在に対しては魔道具による拘束具とした物が使われる。
奴隷環に詠唱言語による魔法式を刻みつけ、身に付ける者の魔力、生命力をエネルギーとして、魔法式の内容を発動する。より強力な拘束や、複雑な魔法式を行使するためには奴隷環の材質を希少な金属に変えたり、魔法式を刻み込んだ宝石を組み合わせて作成される。
魔法使いや獣人などを奴隷として拘束する際の基本的な魔法式は、魔力の吸収と拡散だ。主の意に反した場合は、奴隷環が排水口のような役目を果たし、装備した者の魔力を吸収して空気中へ拡散させる。
付けた者の魔法の使用不可から戦闘不能、生命維持の危険な状態に陥らせることも、刻む魔法式によって主の望むままである。
……特に人間を上回る身体能力を持つ獣人を奴隷として使役する場合には必須の魔道具となっている。
また、そういう高機能の奴隷環には同じ材質、宝石を用いた対になる魔道具が作成される。奴隷の使役者が着用して魔法式を発動させたり、二つの魔道具の距離によって作動させれば奴隷の反逆や逃亡を防ぐことも可能だとか。
「……で、この獣人は主の許可無く喋らないように命令されていると思う。あと、常に弱らせてるから暴れる心配はまず無い、とも言ってたな」
「対になる魔道具ってのは? あの死体が持ってんのか?」
「あ、あるよここに! 落ち着けよ!」
エリックが差し出したペンダントをひったくる。紐付の小さな金属製の丸い板の真ん中に歪な石が嵌っており、金属には表裏にびっしりと文字が刻まれている。指先に意識を集中するとほんの少し魔力が流れていることがわかる。
見覚えのある文字がいくつかあるから詠唱言語だろう。詠唱言語に関しては先生の蔵書に一冊だけ本があったが全く理解には至らなかった。ここに書いてある魔法式も解読することはできない。
少女の様子を見ながら少し自分の魔力をペンダントへ流してみる。彼女に反応はない。
「こんにちは。言葉はわかるかい? 僕の名前はレイノルド。君は?」
ペンダントを彼女に見せながら名前を訊くが、口を開いた彼女は苦しそうに目を伏せる。ダメか。権限の設定みたいなものがあるんだな。魔力を流した程度では命令はできないか。
しかし、石も金属もそれほど価値の高そうな物には見えない。所有者でない俺が魔力を流しても特にセキュリティ的なものは発動しない。
……所有者が魔法攻撃を受けたら支配下の奴隷が魔道具によって傷を負う、なんて資産価値を減らすような魔法式は組み込まないよな?
「……おいレイノルド君。それは行商人の物だけど、行商人だけの物じゃあ、」
馬車を飛び降りてエリックさんからも距離を取り、全身に身体強化と耐熱魔法をかけてペンダントを放り投げる!
『右手の魔力よ、炎の槍となって焼き尽くせ!!』
上空で魔力の炎に包まれたペンダントは跡形もなく消え去った。かなり多めに魔力を込めてぶっ放したら少しスッとした。すぐに荷馬車に戻る。
「身体はどう? おかしなところはない?」
「……………………ない」
お、口を利いてくれた。警戒心はあるようだが、最初の射殺さんばかりの視線は和らいだように思える。
「おい坊主!! ど、奴隷環の魔道具ってな、貴族からの借りモンなんだぞ!?」
「魔物との戦闘で事故により紛失しました。小鬼族もろとも灰です。奴隷の方は無事でした」
「おいおい……。俺らはあんな魔法は使えねえからな。知らねえぞ」
「オルビアさんを運ぶ必要がなければこんなクソ野郎の荷物、丸ごと灰なんですけどね!」
……貴族の所有物か。早まったことをしたかもしれん。しかし魔道具で拘束しておきながら手足を縛って檻に入れて口も塞ぐなんて奴隷の扱いにしても酷過ぎるだろう。
そんなに獣人ってのは恐れられてんのか? そんな手に余るようなものでも商売になるならリスクは惜しまないってか。
……この奴隷環のシステムもそのために改良されてきたんだろうなあ。




