第103話 驚きの報酬額
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(…………甚だに、お早いお帰りじゃのお?)
「おぅ!?」
(そなたが……少なくない魔力を妾に寄越して、犬娘の護衛を頼むなどとは……。どういう風の吹き回しぞと訝っておったが……)
「脅かすなよ。どうやって出してんだ? そんな声」
昼前に帰ってきた教会本部、エクレシア大聖堂の施療院の個室。
いきなりボスっぽい声が寝不足気味の脳内に響く。
犬の獣人ならば部屋に入るはるか手前に気配で気が付きそうなものだが、ベッドのクロは上掛けを纏い、こちらに背を向けて身体を横たえたままだ。
まだ具合が良くないのかと心配した瞬間、話しかけてきたのは枕の下に仕込んであった首飾りに憑く魔物からだ。
(晴天の霹靂……とはこういうことを言うのじゃろうなぁ……)
……吸血鬼なのに、その慣用句がするっと出てくるのか?
(フッ。……しれーっと、童のような面を晒しておきながらのお。飛んだ食わせ物よ。いや、寝業師と言い換えようか?)
うまいこと言おうとしなくていい。
確かに流れによってはコイツが邪魔になる可能性は最初から頭にあったし、実際に目論見通りの展開は成功したが。
「何のことだよ……と言いたいけど、ひょっとしてわかるものなのか?」
(…………豚を畜養する者なら、顔色肌艶を観て具合の良し悪しくらい見抜けぬでどうするぞ)
お前さんは家畜を飼育するような下っ端の立場とは、確実に違うよね。
「……別に俺がどこで何をしようがお前の許可を取る必要はないだろう? お前は俺の言うこと聞く約束だろうが」
(くっ……。それでも不服くらいはこぼすわぃ)
めんどくさい奴だな。まあ作った借りは小さくないから聞くだけ聞くか。
(ふぬぬっ! この犬娘でのうて、あやつでえーのんなら、なーんで妾は許されんのじゃー!? この小娘と比してならば好みの違いでまだ合点がいくが、あやつと妾なら妾のほうが嬋娟窈窕であろーがー?)
なんだ、ただのやっかみか。つか、何を言ってるのかわからん。
「うるせ。そんだけ長生きしてるんだったら、男女の機微くらいわかるだろ。……あっ、あれじゃないか? そういうコトをしてしまうと、もう俺の血には前ほどの価値はなかったりするんじゃないか?」
(……いんや。そなたらの魔法は心胆の構えようでもその威が変わるであろう? それと同じくじゃ――)
……へえ。経験者かどうかで血の味が変わるわけではなく、そういうコトに臨む時の気持ちの高ぶりが、魔力や生命力に与える影響で味が変わるのか。
そういう意味でならスレたベテランよりは、青臭い夢が膨らむ若者の方が美味いのは間違いないだろう。
(そなたのは……普段の病的に細かい食生活やら、身体能力の日々の研鑽などの、弛まぬ努力の成果なのかのう? とにかく元の素材の質からして他と一線を画す、類稀なる逸品なのじゃ。……そんなお主をその気にさせたら、果たしてどれほどの…………ぐっ、昨夜のそなたを想像するだに口惜しいわっ)
うん。まだまだこの中世文明の世界では、栄養学とか子供の健やかな成長に本当に必要な食事、なんて考え方はないからなあ。ということは……。
……いかんいかん。魔物の生態は興味深いが、人間を良い餌にするような考え方を深めるのはまずい。
この世界独特の吸血鬼に関する面白い話ではあるが、今は実験のしようもそんな時間もない。教会にバレたらさすがのティナ様もお怒りになられるだろう。
それは置いとくとしても、やはりこいつも研究者気質なのだろうか。流暢な理屈を聞いてやってたら少し機嫌が良くなった気がする。
「クロがまだ調子戻らないなら、シグさんまたしばらく一緒に留守番しててくれるか? 午後は組合に行かなきゃならないんだ」
(この部屋に出入りするのは、共に旅をしておった修道女どものみじゃが、護衛の必要あるのかのぉ? 町歩きなら妾も連れて行ってほしいんじゃが……)
「このまま一人では放っておけないから頼むよ。それにもしクロが目を覚ましたとしても、やっぱりあんまり町中は連れ歩かないほうがよさそうだし」
(……ふん。是非も無しかぁ)
午後に何とか時間が取れたというトラヴィス司祭と修道士トムさんと共に、交易都市トレドの冒険者ギルドへと赴く。この町で彼らと別れることになる俺とクロには、ここまでの護衛の報酬の支払いが必要だ。
「アキュレイ様、体調が優れなければお部屋で休まれていては? 町中はそれほど危険もないかと思いますが……。その男もいますし」
護衛として師匠とエミリーさんも同行するつもりのようだ。
しかし、あくびを噛み殺してるアキュレイさんは少々お疲れの様子だな。相棒の黒髪ポニーテールの女性冒険者は着替えたらしく今度は身綺麗になっている。
「ん。面倒だが……組合にも顔くらいは出しとかねーとな」
この町なら昔の顔馴染みに遭う可能性もあるとぼやく。
「エミリー殿の怪我は、もういいのかい?」
「随分とお速いお着きでしたな。もしやまだ無理をしておられるのでは……」
「いえ。私の未熟でご迷惑をお掛けいたしました。以後このようなことのないように努めます」
……うーむ。一応依頼主である教会関係者に対しては、感じが悪いってほどでもないが、愛想や柔らかさなどももちろんない。
「…………」
うおっ……。俺を睨みつける目はなかなかに険しい。
まあ、今のは値踏みするような失礼な目線を送った俺も悪いけど。
交易都市トレドの冒険者ギルドは、教会のある上層地区からは少し離れていた。というのもこの町が交易都市として発展した理由の一つ、水運に優れた大きな河が南西にあるからだ。
領主兵士や教会騎士団が活躍し、魔物の少ないこの辺りにおいては。鉄札冒険者に対する依頼も、討伐よりは交易のための遠方への旅の護衛が必然的に多くなる。木札冒険者だったら荷の上げ下ろしや運搬、倉庫管理や事務作業に関連する雑務が増える。
それらを効率よく捌くため、ギルドは自然と船着き場や倉庫街の近くに置かれたらしい。これもまた他所の領地とはだいぶ趣が違っているな。
「……は? ……!!」
「はっはっは。驚かれましたかな? 間違いではございませんぞ」
「い、いや。本当ですか? こんなに……?」
「レノ君とクロ君の二人分まとめてだから、多くはないよ。僕としては倍払っても惜しくはない」
大都市に相応しい大きな冒険者ギルドの、中でも高級そうな一室。
依頼主であるお二人が用意させた部屋で、立派な応接テーブルを挟んでふかふかのソファを使う。中世文明などと侮ることなかれ、あるべき所にはやはりそれなりの家具も存在する。
腰掛ける俺達の周りにはギルドの職員複数名が恐縮して立ち並んでいるが、師匠とエミリーさんは少し離れて入り口の扉のそばに立っている。チームを組んでいるというわけではない彼女らは、この場では一応部外者か。
報酬はレーメンス子爵領、聖女派教会のトラヴィス・フェデリーニ司祭から鉄札冒険者の俺の名義への支払いとしていったんギルドに預けられたらしい。
そしてギルド長らしきおっさんから俺に差し出された明細には……
なんと金貨七枚!
現在の貨幣価値に換算すると……鉄骨を一本渡り切ったくらいである……!
おそらく。いや、現在つか前世の日本円ね。
人生の大半を費やして初めて積み上げられると言われたアレだ。
この町の物価はまだ確認できてないが、地元のエブールなら銀貨が五枚もあれば贅沢をしなければ一ヶ月生活できるはずだ。さすがに宿暮らしでは無理だが。
金貨一枚は銀貨なら百枚。それでざっくり計算している。
利根川先生もびっくりだわ。最後のほうは寝てたか馬車に乗ってただけで、実働にしたら一週間ないくらいだったけど、日当で金貨一枚かよ!
しかも端数が出ていないということは、税や手数料を差し引き済みの手取りでだ! ……この世界の教会も儲かってんなあ。そらギルド長さんも平身低頭だ。
……まあ。浮かれた気持ちを抑えて冷静に考えてみれば。
「お前が知っている諸々の事情や事実関係なんかを他所で吹聴すんなよ?」などの口止め料や、「今後ともヨロシクね」とか「何かの時にはまた頼むよ?」みたいなモノもこってりと乗っかっているんだろう。
トラヴィス司祭の言葉も本心には違いないだろうが、これほどの金額が旅の途中の一行からぽんと出てはくるまい。確実にトレドの大聖堂のトップである司教様のご意向も上積みで含まれている。
……うん。受け取って大丈夫なのかという心配はなくはないが、先のことは先で考えるとして、とりあえずもらっておこう。この場で即現金化だ。
お偉い貴族様に無礼を謝りに行くという今は、金はあるだけありがたい。
これで俺の全財産は、向こう十年は働かなくても食えるくらいにはなった。
ゴズフレズ侯爵様が詫び料を吹っ掛けてくるとしても、十代の駆け出し冒険者に金貨十枚までは言わないだろう。そんなもの常識で考えたら払えるわけがない。
金の話に持ち込むことができれば速攻でカタがつくぞ。




