第100話 半角ズレ全部に0を入れたいが面倒くさい
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「身体の怪我はいくつかの打ち身くらいで、深刻なものはないそうです。お疲れの症状は魔力付与で少し無理をされたようですね」
運び込んだ施療院の一室にて、たまたま治療が終わって居合わせたティナ司祭と付き添いの修道女ターナさんが、クロにベッドの世話をしてくれた。
コイツの人見知りにしっかり配慮してくれたようで贅沢な個室だ。
「…………だるい。……なんにもしたくない…………ねる……」
「しばらく休めば、元通り元気になるってさ。ひと眠りしたら元のあんた達の部屋にも戻れるでしょ」
「そうですか! 良かった……」
ふう。丈夫な獣人のクロがぶっ倒れたから焦ったわ。
「悪かったな。調子に乗っちまった」
「いえ師匠。僕らの未熟です」
交易都市トレドの聖女派教会に到着した日の午後。敷地内の聖騎士団の練兵場をお借りして軽くトレーニングのつもりが、少々熱が入り過ぎてしまった。
以前にチラ見せした俺達二人の本気が見てみたいと言いだしたアキュレイさんに、素の地力勝負では勝てなかったクロが対抗心を燃やし、魔力による身体強化MAXで勝負を挑んだのだ。
結果は瞬殺でクロの惨敗に終わったが、見た目ほどどうしようもない実力差でもないと勝った師匠は言う。
「あんな開けた場所じゃあれしかねえだろ。森や岩場、狭い屋内なんかじゃ獣人のあの速さはヤバい。たいしたもんだ」
(――うむ。さすが妾の僕をも屠るほどの娘よ。しかもあれは獣人の使う業の一端に届いておる)
……え? シグさん、何ですかそれ。
(昔、我らのような魔力を持たぬはずの獣人の中にも、稀に魔力で強化を施したかの如く、膂力を何倍にも引き上げる者がおった)
ほお。
(生命力、とでもいうのかの。他の種族よりもそれに優れる獣人が、我々が魔力の無い者の血液から得るそれを力と換える業が確かにあるのじゃ。この娘はお主からもらった魔力以上の力を使おうとして己が命まで削ってしまったのじゃろ)
おおう。命を削るなんて物騒な……。
でも休めば回復するっぽいなら、そこまで深刻でもないのかな。
あー。MPのない戦士がHPを消費してスキルを放つ――的な、あんな感じかな?
……しかしコイツの負けず嫌いは知ってたが、これほどとはなあ。
そんなにしてまでアキュレイさんに勝ちたかったのか……。
人見知りもなく懐いてるように見えてたが、何か気に入らないことでもあったのかな?
「……つーか、さっきの爺さんがこの教会の治癒魔法使いなのかよ。ヨボヨボじゃねーか。あんなんフォートの町まで連れて来てたら死ぬぞ?」
「ちょっ!? アキュレイ様、声大きい!」
「ま、まだお近くにおられます!」
師匠の言には同感である。俺は思ってても口には出さなかったけど。
すでに部屋を立ち去った後だが、倒れたクロを見てくれたのは何人もの付き添いを引き連れたご高齢の神官だった。
足取りもずいぶんと不安な状態だったが、そんなに偉い人だったとは。治癒魔法を使えるほど高い魔力を持ちながらあの様子ということは、齢はいったいおいくつなんだろう。
「……私もレノ様に助けていただいて本当に良かったです。無理にお呼びして、あの方にもしものことがあれば私の命とて償えません」
「引退した前の司教様なのよ。今は名前だけ施療院長をしながら、限られた治癒の依頼を受けているらしいわ。お怪我をされたのがティナ様だったから、来る準備はしてたみたいよ。実際目の前でお会いしたら、ホント呼ばなくてよかったわねぇ」
状況によっては十分にあり得たという怖い話に、当事者ティナ様とターナさんがそろって冷や汗をぬぐう。
「はっはっは。まぁ、それは良かったとしても……まいったな。クロがこんな調子じゃあ今晩のメシは連れてけねえか。せっかくトレドのお町に着いたってのによ」
「仕方ないですよ。一日二日休めば治るんだったら、どうせまたお腹減ったーって言いだします。それからでいいんじゃないすか?」
寝てる顔色もそれほど悪くは見えないし、身体強化覚えたての時にやってた気力が尽きたのと似たような症状だろう。休む他はない。
……むしろアキュレイさんのほうが何故か深刻な顔つきだ。
「…………いや、……うん。クロには悪いが、時間がねえ。今晩行くぞレノ。ここへ来たら、浴びるほど飲みたかった酒があるんだ」
ええっ? ……いやまあ、行くってんならもちろん付き合いますけど。
じゃあ、クロには何かうまいもんテイクアウトでもしてもらうかな。
「――ッか~~っ! これだこれ! ……染みるぜェ」
アキュレイさんが喉を鳴らして一息に飲み干した金属製の酒器には、うっすらと露がついている。どうやらあれもかなり冷やした酒のようだ。
「これも美味しいですよ。想像してたのよりずっとです」
今日は依頼を完遂した祝杯ということで、俺も飲みやすい甘めの果実酒を頼んでいる。アルコールも強くはないはずだが、この身体にはけっこう効く。前世と同じ感覚で飲むのはまずいな。
アキュレイさんはセーブするつもりなさそうだし、俺まで一緒に潰れるわけにはいかん。
今このテーブルには俺と師匠の二人だけだ。
ティナ様達もご一緒にとお誘いはしたが、やはり今夜も明日の朝も教会の仕事は多く、外へ食事に出かける余裕はないらしい。
それに町中でも外出となると別に護衛の手配等も必要になり、面倒をかけることにしかならないのでと残念そうに断られた。
そしてティナ様を置いては遊びに行くわけにいかない修道女さん達が、寝ているクロの面倒を交代で見てくれるというので世話をお願いした。
彼女達ももうすぐクロとお別れになるのがとても名残惜しいとの話なので、一緒に過ごせるのは迷惑ではなくご褒美だそうだ。
ま、俺もこの身体だと酔っ払ってどうなるかわからん。もしもあいつの前で痴態を晒せばまたしばらくイジられるだろうから、いないほうが飲みやすいというのもなくはない。
「……初めてだっつうのに、妙に落ち着いた飲み方しやがるな……。が、呑兵衛の素質がありそうなのは悪かねえ。獣人ってのもだいたい酒には強えしな。今日こそは飲ましてやろうと思ってたんだがなー」
「あいつにかかるメシ代で、酒まで覚えられたら恐ろしいんですけど」
クロもまだ酒にはそれほど興味を示さないので、護衛の仕事中だったここまでも飲まされてはいないらしい。
しかしどこを見てもこの店には獣人の客の姿はないんだけど、連れてきても問題にはならないのだろうか?
「……そのために押さえた席だったんだけどな。どうだ? 下のうるせーのよりは落ち着いて飲めるだろ?」
ここはトレドの平民街にある大衆酒場だ。さすがは交易都市。今まで入ったどの店よりも格段に大きい。店は広いが当然に町でも有数の人気店らしく、大勢の客でにぎわっている。
俺達がいるテーブルは少し追加料金の発生する二階席になっており、ロフト状に一階の喧噪を見下ろすことができる。隣の席との距離も余裕があり、やはり周囲もそれなりに落ち着いた客ばかりだ。
ひしめき合って大騒ぎしている階下の酔客を眺めながらする食事は、趣味は良くないかもしれんがすごく楽しい。
ふと上を見れば、天井から吊るされたたくさんの蝋燭のシャンデリアの並びも目を見張るほどの美しさだ。
その優しい光が白い壁にも反射して、店内が落ち着いた明るさになっているのもいい雰囲気を出している。
これで出てくる料理がマズいわけがない。
ここからは少し遠いが、一階の奥には多数の料理人が忙しなく調理にかかる厨房も目に入る。
店内に漂う脂の焦げるいい匂いや、香辛料の入り混じった不思議な香りも、それだけで十分に酒の肴だ。
…………うん。やっぱりどこの世界でも、旅ってのはいいもんだよなあ。




