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ねこキラーの逆襲  作者: AK
第2章   ── ねこを殺したことはある? ──
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ホット・ディスク・イン・ザ・レイン

作成日時:2009年8月21日 

更新日時:2009年8月31日 

(以下本文)


 雨は粒としてではなく細長い線として頭上から降り注いでいた。それは切れない糸のように絡み付いて街を濡らした。昼過ぎから降り始めて陰気な暗さで夕刻を包んでいた。本来ならまだ十分に明るい時刻の、街は暗い。通りを走る車はどれもヘッドライトを灯らせている。雨脚は強まりもせず弱まりもせず、まるで未来永劫この調子でやり続けていくと主張しないばかりに同じ音を続けている。誰かが絶望して叫びだしたとしても、不思議には思わない、それは似合いのサウンドイフェクトになるだろう。俺はもちろん叫ばない。それでもきっと、こんな日には叫びだすほうが正しい。

 差し迫った仕事もなかったから、風邪気味と偽って早引きした。「お大事に」という課長の言葉はさして威圧的でもない。会社を出て、車に乗り込むときには確かに自家用車のキーの無線でドアのロックを解除した。それなのにシートに腰を沈めてエンジンを掛けるために差し込もうとしたキーが間違っている。鍵を回してもエンジンは何の反応もしない、つまり差し込んだキーが間違っているのだ。鍵の束が触れ合って不快な金属音を立てる。束には実にたくさんの鍵がくくりつけられている、自家用車の鍵、営業車の鍵、自宅の鍵、会社の鍵、引き出しの鍵、トランクの鍵、会社の金庫の鍵。一体どうしてこんな数の鍵が必要なのか分からない。鍵の数だけ我々は何かを拒む。鍵の数は病の数だ、きっとこれからも、鍵の数は増え続けていくのだろう。

 ようやく正しい鍵を差し込まれてエンジンを起動させる車は、不服そうにではあるがゆっくりと前へ動き出す。雨は執念深さを衰えさせることもなく厭世的に降り続けている。こういう日にはきっと事故が多い。通りを走る車はどれもヘッドライトを点け、そしてせわしくワイパーを動かしている。例外はない、ただのひとつも。それが不思議でならない。時刻を見ると、まだ四時を少し過ぎただけなのだ。確かに街は暗い、明かりを点けたくなる気持ちも分からないではない。でも何か間違っている。午後の四時に車のライ(・・・・・・・・・・)トを点けるなんて(・・・・・・・・)間違っている(・・・・・・)

 ため息が出る。例えそれが間違っているにせよ、俺はワイパーを動かさないわけにはいかないしヘッドライトを点けないわけにもいかない。間違っていることを間違っていると主張して我を通すほど、俺は強くない、そしてそのことを恥じる気持ちもない。雨に濡れた国道は、そういう凡人たちを載せてはるか彼方までそのアスファルトの肌にヘッドライトの光を跳ね返している。この道はいつも混む、それが雨の日ならばなおさらに。

 だから目当ての店の看板が道の先に見えても、そこへたどり着くまでに時間がかかる。こういうとき、イライラしながら煙草に火を点けるのがひとつの作法なのかもしれない。だが俺は煙草を吸わない。さして嫌煙主義を貫いているわけではないのだが、まず必要にも迫られない。遠くの赤信号のためにただでさえゆっくりと流れる車の列が止まる。俺はバックミラーをこちらに向けて前髪をいじる。車に乗り込む時に雨のせいで少し濡れた、大したことではないがそれが何とも不快だ。どこかでクラクションの音が聴こえる。再び車列はゆるゆると流れる。アクセルを踏みそれにならう、傾けたままのバックミラーを、横目を使って元の位置に戻す。

 ようやく店の駐車場の直前まで車は進む。背の高い店の看板のライトは一部分が消えかけて点滅を繰り返している。後車一台分前に進んでくれれば駐車場へ入れるのに、列は再び固まってしまう。左折を示すウィンカーの、カチカチ鳴る音が陰湿に車の中にこもる。ブレーキを緩めてゆっくりと前の車との距離を詰めても、警告するようなテールランプの赤色は少しも前に進まない。ブレーキをきつく踏んで、視線をすぐ真横の店に向けると、傘を片手に差した大学生ふうの男が自転車を停めて店の中へ入っていった。揉み上げを不精に伸ばしたままの汚らしい横顔と不機嫌そうな表情にとても純粋な形の嫌悪感が湧き出てくる。ゲームマニアを差別するわけではないが、あんな風体の男はどうせゲームを買いに来たに決まっている。でも、それならどうしてあんなに不満そうな顔をしてショップへ入らなければならないのだろう? ゲームは楽しむべきもののはずだ。あんな憎しみをこめたような表情で買いに来るなんて、間違っている。

 ようやく駐車場へ入って車を停めようとするが、平日の夕方にもかかわらず多くの車で埋まってしまっている。おそらくそのほとんどは一階のレンタルビデオの利用客なのだろう。やっと見つけた空きスペースは、店の入り口から離れている。仕方なしにそこに停め、二三度呼吸をしてから決意して素早い動作で車を出る。駆け足で店の入り口まで向かう、その短い間にも糸のような雨は俺の髪や肩をいやらしく濡らす。ショップ出入り口の庇にたどり着いてハンカチでそれを拭う俺自身の表情は、先ほどの男のそれと大差なかっただろう、間違っている。間違っている。

 ショップは一階がレンタルビデオ店で、二階がビデオゲームを売っている。俺は特に陳列されたCDやDVDに目を向けることもなく、真っ直ぐに二階へ上がる階段を目指す。発売された、あるいはその予定のゲームソフトのポスターが、螺旋階段にいくつも貼り付けられている。特に興味を引かれたわけでもないのに、俺は立ち止まってそのひとつを見つめる。「壮大な冒険」という文字が目に飛び込む。好評のシステムを搭載したシリーズ最新作、いよいよ登場。発売日を探していると、さっき見かけた大学生ふうの男が相変わらず不機嫌そうな顔をして上階から降りてきた。すれ違うときに目が合う、向こうは不快そうにすぐに目を逸らせた。俺は自分自身の姿を客観的に想像し、虚脱感に近いものを味わってすぐに残りの階段を上り始めた。本来ならばまだ明るい時間だ、そんな時間にスーツ姿の会社員がゲームショップのポスターに目を凝らしているなんて、間違っている。

 階段を上った正面に展開される平台には、そのポスターのゲームが大量に陳列されている。どうやら今日が発売日のようだ。取り付けられたモニターにはゲーム画面を織り交ぜたプロモーションビデオが流れている。俺はしばらくそれを見続ける。主人公の役を与えられた声優が、過剰な感情の味付けで叫び声を上げて、映像は終る。黒一色の画面に発売日や希望小売価格などのインフォメーションが無表情に並ぶ。俺は平積みされたパッケージのひとつを手に取って、裏面の細かい文字を仔細に読む。だがそこに俺の望む情報は書かれていない。斬新なシステムも感動的なストーリーも俺の知ったことではない、俺が知りたいのはプレイ時間だ。このゲームは一体何時間かければエンディングまでたどり着けるのか? それを明示する言葉もほのめかす言葉も見当たらない。間違っていると俺は思う。それでどれだけの時間をつぶせるか、それが一番大切なことのはずなのに、プレイ時間を書かないなんて、間違っている。

 手にしたダミーのパッケージを元の位置に戻して、店内を見渡す。俺以外に客はいない。レジの店員は手許のテーブルの上に視線を落として黙々と何か作業をしている。先ほどのプロモーションビデオが改めて最初から再生される。華々しい平台を離れて、俺は奥の陳列棚に向かう。そこではカテゴライズの名の下に虐殺めいた整理がなされている。対応ゲーム機、新品か中古品か、そしてジャンル。集められたパッケージたちは窮屈そうにひとつの棚に押し込められ、救いの手が差し伸べられるのを待っている。それは確かに便利だ、ゲームを購入したいものは所有するゲーム機や好きなジャンルに合わせて棚の中から探せばいい。条件に合うゲームはきっとすぐに見つかるだろう。でもそれは、間違っている。問題なのは都合の良さじゃない。それは何か大切な視点を見失っているのだ、例えばプレイ時間の長さ。だがおそらく、俺の意見を聞き入れてくれるゲームショップなんて世界中どこにもないのだろう。

 結局最初の平台に戻って、発売されたばかりの真新しいパッケージを取りレジに向かう。うつむいてチェックリストのようなものを処理していた若い女の店員が、慌てて顔を上げて「いらっしゃいませ」と言う。俺は黙ってダミーのパッケージを差し出す。それを受け取ると店員は、背後の棚からダミーでないパッケージを探し始める。目が回るほど莫大な数のパッケージの背表紙が、そこには詰め込まれている。これじゃ探し出すのも大変だろうと心配していると、店員はあっさりと目当てのものを見つけ出して、レジに戻る。彼女はパッケージのバーコードを専用の機器で読み取る。レジディスプレイには¥5900という文字が表示される。

「5900円です」と店員は言う。「当店のポイントカードはお持ちでしょうか?」持っていないと答えると、失礼いたしました、と店員は詫びた。五千円札と千円札を手渡す。レシートとお釣りの百円玉を返してくれた後で、無理に俺と目を合わせて作り笑いを浮かべながらその女性店員は訊ねる。

「お買い上げのゲームソフトは温めましょうか?」

 正直言って、そんなのはどちらでも良かった。ゲームソフトが温かくても冷たくても、俺にとってそれは大した関心事ではない。だが何故か断りきれずに、俺はそれを依頼する。

「かしこまりました」

 そう言って、店員はビニール包装されたゲームソフトのパッケージを専用の電子レンジの中に入れた。手際よく扉を閉め、ボタンを操作して起動させる。ぶーんという音を立てて、機械はゲームソフトを温め始めた。表示された残り時間は、小さすぎて読み取れない。どれくらい時間がかかるのかと訊ねると、「五分ほどかかります」と店員は答える。

「長いね」と俺はつぶやく。「コンビニ弁当はすぐ温まるのに」

「申し訳ございません、お弁当と違って、ゲームソフトはデリケートですから」

 俺はあいまいにうなずく。「温まったらお呼びしましょうか?」という彼女の提案を、俺は断る。ここで待っているよ。「かしこまりました」と店員は言って、先ほどのチェックリストらしいファイルに目を落とす。人差し指で項目をなぞり、ところどころ指を止めて右端のチェックボックスにボールペンでレ点を入れる。そしてまた、人差し指を下へ滑らす。

「今温めてもらってるゲーム、面白いのかな? 評判はどう?」

 手持ち無沙汰になって、俺は店員に話しかける。「うーん」と店員は考え込む仕草をする。「少なくとも売れ行きは、まずまずのところですね。前作と同じくらいじゃないでしょうか。評判は分かりません。それにゲームって、あんまり評判っていうのはあてにならないですよ。大事なのは好みです。自分の好みに合うかどうかが重要です」そして人懐っこく笑って、職業的でない親しみやすさで言った。「わたしはこのシリーズの前作にはまりました。だから今回の作品も、購入予定です。早くシフトが終らないかなって、そわそわしてます」

「いいことを聞いたよ」と俺は言った。女性店員はまた、手許のチェックリストに戻った。電子レンジは鈍い稼動音を立て続ける。縦に細長い窓の向こうに見える、国道の様子を俺は眺める。相変わらず切れない糸のような雨は降り続けるし、渋滞に巻き込まれた車の列は間違った時間にライトで進行方向を照らしている。間違った光景は、変わらず俺の前に提出されている。

 冷蔵庫に残っている缶ビールのことを思い出す。いつだったか知人が訪ねてきたときに飲み残したものだ。家に戻ったら、それを片手にゲームをしよう。壮大な冒険と、好評なシステム。ブザーが鳴って、電子レンジの音が消えた。店員がゲームソフトを取り出して、注意深く袋に入れる。「お待たせしました、はいどうぞ」差し出された袋の中身の熱が、じんわりと伝わる。「ありがとう」と俺は礼を言う。ひと足先にプレイさせてもらうよ。彼女は笑って、どうぞ、と言った。そしてまた視線を落としてチェックリストに向かった。

 階段を下りて、店の外に出る。気配のような雨の音と国道を埋める車の群れのエンジン音が耳に届く。左手に提げたレジ袋からは白くもったりとした湯気が立ち昇る。車を停めた場所まで、小走りで向かう。雨はまたいやらしく俺の髪と肩を濡らす。冷えた缶ビールのことをまた思い出す、それは俺の心をとても落ち着けてくれる。遠くクラクションを鳴らす音。それさえも邪魔にはならない。さあ、家に帰るのだ。

 車を停めたはずの場所に何もない。視線をめぐらせてみるが、別の場所に停まっているということもない。駐車場の中に俺の車がどこにもない。俺はポケットに右手を突っ込んで、車のキーを探す。でもそれはどこにも見つからない。反対側のポケットにも、尻ポケットにも、上着のポケットにもない。内ポケットにも、胸ポケットにも、どこにもない。

 車が停めてあったはずのスペースに立つ。隣に停めてある車には見覚えがある、自分の車を降りるとき、確かにこの車を隣に見たのだ。俺はため息をつく。間違っている。左手に括られたレジ袋からは、まるで真下に落ちる雨に対抗するように白い湯気を立ち昇らせている。間違っている。世界はこんなにも間違っているのに、少しもそれを是正しようとはしない。間違っている。

 間違っている。

 傘を差した大学生ふうの男が、自転車に乗って去っていく。左手だけでハンドルを持ち、途中バランスを崩して自転車は大きく蛇行する。誰かが絶望して叫びだす声を聴く。それが俺自身の声でない保証は、おそらくどこにもない。

次回更新は6/13(月)を予定

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