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ねこキラーの逆襲  作者: AK
第9章   ── 悪の双子──
35/45

bonus truck 2009-08-29.wav

作成日時:2009年9月8日  

更新日時:2009年9月8日  

(以下録音内容を記述)


(最初の四分間ほどは無音。やがて、機材か重い椅子を動かすような音。コンコン、と何かを叩くようなくぐもった音、そして咳払い)

(さらに三十秒近く無音)

(酔いを含んだユサの声で)これを撮っている今現在、「それいゆ」の解散は決まっています。でもそれは、本当に最近になって決まったことでした。少なくとも前回の録音の時にはそれはわたしたちの共通認識にはなっていなかった。本当にそれは、急に、いつの間にか決まってしまった。気づいたらわたしたちは、もう戻れない場所まで来ていた。

 それについてを、今、この録音でしゃべるつもりはありません。わたしはわたしとねこの関わりについて話をするだけです。今話したことは、その前置きですらありません。ただ区別をつけるために話しておくべきだと判断しただけなのです。わたしは、「それいゆ」の解散を、残念に思います。

(一分ほど沈黙、そして何かをすする音)

 父親の転勤にともない、わたしたち一家は愛知県の地方都市に引越しをしました。五年生に上がる少し前のことです。しょぼい街に来ちゃったなと、最初の印象はそんな感じでした。駅前には古い路面電車が走っていました。それはわたしにとってはマイナスの風景でしたが、両親は何故か嬉しそうにわたしに見せてくれたのです。駅から割と離れた場所に、最近建ったというずいぶん背の高いホテルがありました。その見た目はそこそこに近代的なのに、それが建っている辺り一面はほとんど田んぼと畑でした。何だか見ているとわたしのほうが恥ずかしくなるような気がしました。

 新しい同級生たちも、何となく田舎くさいガキというふうにわたしには思えました。それが実際そうだったのか、それともわたしの目が色付けされて彼らを見ていたせいなのか、はっきりと判断はできません。ともかくわたしは、多少軽蔑する気持ちは持ちながら、もちろんそれを表に出さないように同級生たちと付き合っていました。それはそんなに難しいことではなかったです。わたしはもともとそういうのが得意でした。すぐに一定量の友人はできて、それ以上手は拡げず彼らとの仲を深めるように方針を決めて行動しました。とりあえずこの人たちとつるんでいれば大丈夫だろう、という打算がありました。そういうドライさは以前からの性格でもありましたし、もうひとつには、やっぱりユウコちゃんのことが忘れられなかったからだと思います。わたしにとって本当の友達は、ユウコちゃんだけいれば良かったんです、たとえそれが叶えられていなくても。

 男子との付き合いは前と比べて少なくなりました。相変わらず男の子っぽいという評価は続いていましたけれど、わたしは今度はほとんど女子グループの中で時間を過ごしました。面倒くさいしがらみは同じようにありましたけど、そのときのわたしにはある種達観している部分もあったんです。つまり、どうせまたそのうちに転校することになるかもしれないんだから、どうでもいいやと。何か面倒に巻き込まれてもそのうちにもう会うこともなくなる人たちだ、そう考えるとわたしはむしろ安心するのでした。すぐにリセットできる。十年後に彼らと会いたいとは少しも思いませんでした。むしろ、十年後にわたしのことを憶えている人がいたらと考えると、それはぞっとする気分でした、そんなの、うっとうしい。

(少し沈黙)

 そう、うっとうしい、うっとうしかった。何でだろう、わたしがドライな関係を築こうとすればするほど、わたしの周りの子達はわたしと親密になろうとした。わたしは学校にいる時間だけの付き合いでよかったのに、何故かそれ以上の時間を共有することをあの子達は求めた。一緒にプールへ行ったり、夜に泊りがけで流星群を見たり、部屋でゲームをしたり。わたしは楽しいふりをしなくちゃならなかった。嬉しい顔を作らなくちゃならなかった。また遊ぼうねって、心にもないことを言わなくちゃならなかった。それが本当に辛かった。わたしはドライな関係を築こうとは思っていたけれど、でもあの子達を気軽に落胆させられるほどには強くなかった。がっかりした顔の後で、寂しそうな笑顔でまた遊ぼうねって言われるのが、耐えられなかった。それなのに一緒に遊んでいる最中は、心の底からあの子達のことを見下してた。頭の悪いガキども。下品なガキども。そんなふうに思ってた。お前らなんかユウコちゃんに比べれば、ブサイクで頭の悪い田舎のガキじゃないか! 汚い言葉を思い浮かべてるとき、そういうときに限って、あの子達はわたしにすごく無邪気な笑顔を向けてわたしを焦らせるんだ、本当に、いつも、うっとうしい。

(長い間。そして何かをすする音)

 あの子達と十年後に顔を合わせたとき、本当にどいつもこいつも凡庸な人間にしかなっていませんでした。大して可愛くもなくて、バカみたいな仕方の化粧を覚えていて、頭の悪い喋り方をして、キラリと光るものは何もなくて、ひとりはブサイクな赤ん坊を抱いていて、振袖なんて全然似合ってなくて、未だに大きすぎる声でおしゃべりをして、どうでもいい昔の話を繰り返していて、そしてもう十年も経っているのに、わたしのことをしっかりと憶えていて。

(二分ほど沈黙)

 ねこについて話します。

(再び、一分間ほど沈黙)

 遠く離れてしまったユウコちゃんのことを思うとき、きっとそれはかなり美化されて思い出されていたのだと思います、今わたしが思っているほど、ユウコちゃんは可愛くなかったのだろうと、今のわたしは打算的な余裕を持たせています。この録音でもわたしはそんなふうな態度を採用して、話をしています。でもそんな知恵は当時のわたしにはないから、そのときのわたしの思い浮かべるユウコちゃんは、完全無欠の美少女でした。テレビにも、漫画にも、ユウコちゃんほど可愛い女の子はいない。どこにも隙のない、付け入る隙のない完璧に美しい女の子でした。わたしはよく寝るときに布団の中でユウコちゃんのことを思いました。過去の出来事を思い出したり、タラレバの話を空想したりしました。頭の中のユウコちゃんと手を繋ぐだけで、わたしは自分の体がぼんやりと火照るのを感じました。ユウコちゃんがわたしに微笑みかけるだけで、胸が高鳴るのを感じました。わたしは眠りに落ちるまでずっと、そんな妄想を繰り広げ続けていました。眠りに落ちるのが悔しくて、寝る前にこっそりとインスタントコーヒーを飲むことも覚えました。そういうふうにしてしっかりとユウコちゃんのことを考えてから眠ると、ときどき夢の中でもユウコちゃんと会えるときがありました。夢の中でわたしは、なあんだ、良かった、と思うんです。ユウコちゃんと仲が悪くなって、もう会えなくなるだなんて、あれはただの悪い夢だったんだ。本当のわたしはこうしてユウコちゃんと楽しく遊ぶことができるんだ。本当に、どうしようかと思ったよ。

 目覚めるとわたしは現実ではどうしようもなくなっていることを思い知って、ひとり泣くこともありました。

(一分間ほど沈黙)

 それが夢の中だったのか、それとも空想の中だったのか、イマイチはっきりしないんだけど、わたしの頭の中にはこんな風景があります。わたしはユウコちゃんと離れていくきっかけになった、あの雨の日にタイムスリップしています。わたしはひとりで坂道をのぼっていくユウコちゃんの後ろ姿を見ています。また同じことになる、とわたしは強い焦りを感じます。これじゃまた、わたしはユウコちゃんと疎遠になってしまう。わたしは傘を放り投げて、ユウコちゃんを追いかけます。雨の坂道は走りづらくて、わたしは何度も足を滑らしそうになります。ユウコちゃんはこちらを振り返らないで、静かに歩き続けています。わたしは必死で追いつこうとしました。でもユウコちゃんはいつの間にか見えなくなっています。まだ道は真っ直ぐ続いているので、どこかの角で曲がったのだとは思うのですが、それがどこなのか分からない。わたしは青ざめて、きょろきょろとあたりを見渡します。雨に包まれて、その雨音以外に耳に入る音は、わたし自身の荒い息づかいだけ。傘を捨ててきたわたしは全身ずぶ濡れで、孤独に立ち尽くしています。それでもわたしは泣き出したりしないで、また走り出します。どこかにユウコちゃんはいるはずなんだから、必ず見つかる、そう信じて走り続けました。走って、走って、走って、走って。夢にしろ、空想にしろ、結局はわたしの脳みそが作り出した幻想だから、これがわたしという人間の程度の低さだと思うんだけど、わたしはついにユウコちゃんを見つけます、入り組んだ路地の隙間のような場所で、地味な色のレインコートを着たユウコちゃんがしゃがみこんでいます。全ては終っています、思ったよりも少ない量の血を流した小さな生き物が、地面にへばりつくように倒れています。血の赤は雨に薄められて足許に拡がっています。ユウコちゃんは首をひねってわたしを振り返ります。空っぽな、これといって表情のない顔で、静かにわたしを見つめます。わたしは何か、冗談めいたことを言ってユウコちゃんの心をほぐしてあげようと、口に出す言葉を考えます。それで、笑いながらこんなことを言いました。なあんだ、取っておいてくれれば良かったのに。

(一分ほど沈黙、何かをすする音がして、再び二分間ほど無言)

 この幻想はわたしの中でヒットで、これ以降の空想はだいたいこのプロットを踏襲していました。あの雨の日にタイムスリップし、ユウコちゃんを追いかけ、一度見失い、そして再会を果たす。最後の再会のシーンだけ、その都度いろいろなアレンジがなされました。空想の中でわたしはユウコちゃんと一緒にねこを殺すこともありました。むしろわたしが先導して、ユウコちゃんを感心させるパターンもありました。でもどのようなパターンであれ、必ずねこは殺されました。そのことについてわたしはずいぶん麻痺していたと思います。頭の中でねこを殺すシーンが繰り返されることによって、わたしにとってそれは珍しい出来事でも特別嫌悪感を起こさせるものでもなくなっていきました。だからこそ、ユウコちゃんと仲良しで居続けるためにはねこの一匹くらい、なんて思うようにもなったんです。きっと。

(十秒ほど間を開けて)

 こんなこともありました。ある日学校から家に帰ると、母親の様子が少し変なんです。そわそわして、落ち着かない様子で、どことなく上の空な感じのままわたしにおかえりと言いました。顔色が少し青白くて、何かに怯えたような表情をしていました。どうかしたの? と訊ねると、見間違えかもしれないんだけど、と前置きをして母親は話を始めました。精神的な不安定さというよりも、それがもともとの話し方なんですが、母親の話は断片的でまとまりがなく、意味のない脱線が多かったのですが、それらを繋ぎ合わせるとこういう内容の話でした。買い物から帰る途中、田んぼの片隅のあたりでやけに騒がしく鳴くカラスがいる。目を向けてみると、その大きなカラスはちょうど飛び立つところで、両足で何かをしっかりとつかんでいた。何を捕まえたのかと目を凝らしてみると、それは小さな仔ねこだった。

 母親としては、わたしも一緒に怖がったり、仔ねこを可哀想に思ったりすることを期待していたのだと思いますが、わたしは冷淡に、カラスもよっぽどお腹が減ってたんだねとか、そんなようなことを答えました。母親は、口には出しませんでしたが腹を立てたみたいでした。わたしから目を逸らせて、頬杖をついてテレビの画面を見つめながら、きっとお母さんねこは心配しているのに、とぼんやりつぶやいて、その話を終わらせました。わたしは心の中で、いなくなった仔ねこのことなんか、すぐ忘れるよ、と答えました。そんな言葉を自然に思いつくくらい、あの頃のわたしはねこに対して冷淡だったのだと思います。

(一分ほど間。機材を動かすような音)

 ある日わたしは本当に殺されたねこの死体を見つけました。

(三十秒ほど無言)

 下校途中でわたしは寄り道をしました。普段は歩かない場所です。特に用事か何かがあったわけでもないのに、わたしは何かに導かれるようにその道を歩いていました。雨は降っていませんでしたが、どんよりと曇っていました。雲が異様に低くて、街の音を全部吸い込んでしまっているみたいに、静かでした。普通だったら、雨に降られないうちに早く家に帰ると思うのに、わたしはひとりで知らない道を歩いていました。そして気がつくとそこにいました。それは、小さな用水路沿いに民家の隙間を通っていった先にある、小さなスペースです。使われていない朽ちた小屋があって、それを隠すようにコンクリートの塀で囲まれています。潰したダンボール箱が敷いてあって、その上にねこの死体が横たわっていました。毛皮は泥で汚れて、上顎と下顎の隙間からだらりと舌を垂らしていて、無数のハエにたかられていました。お腹を切り裂かれて、隙間からずるずるっと内蔵をはみ出させていました。それは大人のねこで、体格も割に大きかったです。わたしが空想の中でユウコちゃんと殺すねこは、いつも小さな仔ねこでしたから、わたしには大きなねこが殺されている姿というのがとても新鮮に思えました。それはわたしにある種の達成感を予感させる光景ですらありました。毛虫のような小さな生き物から始まって、仔ねこまで来た。そして大きな大人のねこへ、という進歩の過程は、少しのほの暗さもなく健全な技術革新の様子として感じられました。だからわたしは、少しの嫌悪感もなく、まじまじと死んだねこを見続けていたと思います。やがてポツリポツリと大粒の雨が降り出して、すぐにどしゃ降りの大雨になりました。わたしは名残惜しくその場を後にしましたが、わたしの胸の中には空想の世界の新しい種になるわくわくさせるプランがしっかりと根付いていました。空想の中でわたしとユウコちゃんは、ゆくゆくはあれくらいのねこを殺せるように、レベルアップをしていかなくちゃならない。そのためにふたり手を取り合って、ねこを殺すスキルを高めていく。そういうプロットを、わたしは思い描いていました。わたしとユウコちゃんは空想の中で持続的に仲良くしていく。わたしは寝る前の空想の時間が楽しみで仕方ありませんでした。これでユウコちゃんと、もっと深く関わることができる。そう思って。

(十秒ほど間)

 その日の夜と次の日の夜、こっそりコーヒーを飲めなかったこともあって、わたしは満足に空想を楽しむ前に眠りに落ちてしまいました。

(一分ほど無言、何かをすする音、さらに一分ほど沈黙)

 ねこの死体を見た日から二日後の朝、教室に入った瞬間に異変を感じ取りました。わたしはいつも登校時間はぎりぎりなので、すでに教室にはほとんどの生徒が集まっているんですが、彼らの何割かの人たちの、特に女子たちの視線が、教室に入るわたしに一斉に向かって、でもすぐに意識的に逸らされるのを、はっきりと感じました。わたしはとてもギクリとしました。どんな原因かは知らないけれど、確実にわたしが何かの標的にされていることを、はっきりと悟りました。わたしの学校生活は、そういう事態に陥ることを避けることを何よりも優先して来ましたから、わたしは目ざとくそれを察知できたのだと思います。彼らの間に何かわたしに対してネガティブな情報が出回っているのだとわたしは考えました。でもそれについて見当も付きませんでした。イロコイの話は縁がないですし、バレたら教師から注意を受けるような悪戯もしていませんでした。ともかくわたしは、何も気づいていない顔をして自分の席に座り、前の席にいる友人におはようと声をかけました。おはよう、とぎこちなく挨拶を返す彼女の様子を見て、こいつは何かを知っているなとアタリをつけました。でもそこですぐに問い詰めたりはしませんでした。すぐに担任の教師がやってきて、ホームルームを始めました。それに続く一時間目の授業までの間の休み時間は短いもので、そのときも特に何もしませんでした。一時間目の授業が終わり、二時間目の授業までの休み時間に、わたしは前の席の友人を何気なくトイレに誘いました。歩きながらわたしは、何か今日みんな少し変だよね、と探りを入れてみました。彼女は少し迷った後、黙ってわたしの服の端を引っ張って、人気のない廊下の隅にわたしを連れていきました。彼女はクラスのある女子の名前を出して、その子がこんなことを言いふらしてるんだけど、とひそひそ声でわたしに伝えました。ユサちゃんがね、ねこを殺したなんて言うんだよ。そんなわけないよね?

 わたしがそのときに思ったのは、あれ、あのねこはわたしが殺したんだっけ? という純粋な疑問でした。空想の世界でユウコちゃんと何度もねこを殺し、わたしにはその光景と現実との境が驚くほどあいまいになっていました。もしかしたら自分があのねこを殺したのかもしれないとさえ思ってしまいました。それでもわたしは、あいまいな認識のまま、わたしはねこを殺していないと否定しました。どしゃ降りの雨の日に、ねこの死体を見つけたことを正直に話せばよかったのかもしれません。でもその返事では、拡がりつつある噂を打ち消す力はないと分かっていました。つまりそのときのわたしは、自己保身の気持ちが残っていたということだと思います。わたしは嘘をつきました。矛先を変えることで、それをやりすごす方法を選んだんです。本当の犯人を知ってる。わたしはそいつが殺したねこを見つめていた、それをまた別の誰かに見られて、誤解されたんだと思う。そいつに仕返しをされそうで、ずっと怖くて言い出せなかったんだけど。

 誰なの? と息を詰めて訊ねる友人の目は無邪気にキラキラしていました。それで、この嘘の成功を確信しました。誰にも言わないでね、と表向きは言いつつ、この嘘が一瞬で同級生たちに拡がることを思い描いてわたしは耳打ちしました。わたしは隣のクラスの男子生徒の名前を告げました、彼はその少し前、国語の授業で現代詩を自作する課題で「にんげんの標本」というグロテスクな内容の詩を提出したことで、噂になっていました。それについて一度職員室に呼ばれていたこともあり、男子生徒たちからは子供っぽい英雄視をされていましたが、女子生徒たちからはただ気持ち悪がられていました。わたしは彼と全く面識はなかったのですが、その一件に便乗して、彼をねこを殺した犯人にでっち上げて話しました。わたしの友人はとても納得した顔で、そうなんだ! とつぶやきました。あいつならやりかねないと思ってたんだよ! わたしは注意深く、誰にも言わないでね、と念を押しましたが、彼女の返事は少しズレていて、狙い通りにことが進むことを十分に期待させるものでした。大丈夫、ユサちゃんが言ってたなんて誰にも言わないからさ!

 効果が上がるまでに少し時間はかかりましたが、わたしに向けられた居心地の悪い視線は、ある瞬間を境に消えました。その切り替わりはとても鮮やかで、そしてそのすぐ後に、噂を広めていたと言われた女子生徒が、わたしのところに来て謝りました。危うく誤解を広めそうになって、と彼女は表現しましたけれど、わたしはいちいちそれに突っかかることもしないで素直に許しました。それから思いつきで、殺されたねこのお墓を作ろうと、その子に提案しました。これが彼女の少女趣味に上手に作用したみたいで、わたしたち「有志」は校庭の隅に土を盛って簡単な「ねこの墓」を作り、お祈りをしました。たぶんもう誰も憶えていないでしょうけど。

 そんなこともあったおかげで、わたしたちは結束して隣のクラスの男子、わたしがねこ殺しに祭り上げた哀れな男子を「叩いて」いました。でもそれは男子グループと女子グループの自然な距離感で、表立って非難するわけではなく、ただの陰口に終始しました。だから問題が表面化することもなく、つまりわたしの出まかせが浮き彫りになることもありませんでした。それでもその情勢をより確かなものにするため、わたしはずいぶん注意深くその男子を非難していました。その材料に、彼の「にんげんの標本」という詩を手に入れて、そして読み込みました。あいつは自作の詩にこんな危ないことを書いている、だからねこに酷いことをできるんだ、そういう論調です。たぶんわたしは調子に乗って、半分くらいは本当に彼がねこを殺したのだというつもりになって責め立てていたと思います、そういう行為に対する怒りをこめながら。でもそこに存在する矛盾、つまりユウコちゃんはどうなんだというポイントからは、全く目を背けて。

(二十秒ほど間)

 その後、予想していた通り六年生に上がるときにわたしは再び転校します。両親はわたしに、もう一度学校が変わるのは嫌かどうか、訊ねました。その返事次第では父親は今回の転勤を断ったかもしれませんし、あるいは単身赴任を選んだかもしれません。どちらにしても、わたしは転校するのは別に構わないと伝え、そしてその通りになりました。積極的とは言わないまでも、転校することを拒まなかったのは、あるいはわたしが貶めた男子生徒に対する後ろめたさがほんの少しは手伝ったのかもしれません。でもその時のわたしは、表面的には彼に対して申し訳なく思う気持ちはありませんでした。それが未だにユウコちゃんの勢力圏内に取り込まれていたからなのか、わたし自身の歪んだ性格によるものなのかは、想像にお任せしますけれども。

(十秒ほど間)

 ユウコちゃんの勢力圏から離れていった経緯は、月並な、凡庸なお話です。わたしはその後も転校を繰り返して、段々と、しっかりとした友達というものを作らなくなっていきました。もちろん表面的な軽い友人関係は必要に応じて形成しておきましたけど、その必要に応じた範囲もどんどんと狭いものになっていきました。そしてそれに合わせて、わたしは太っていきました。もしも太り方にもいいものと悪いものがあるとしたら、わたしのそれは確実に悪い方法だったと思います。何とかしなきゃな、と頭では思いながらさらにぶくぶく太る、そういうパターンでした。当時の写真はできる限り見ないようにしています、中学校の卒業アルバムはすぐに捨てました。もともと自分の顔が好きではないので、あまり写真も撮らないようにはしていましたけれど。

 中学のとき、それなりに仲の良かった友達から、CDを借りることがありました。さっそく家に帰って聴いてみましたが、その友達が熱心に勧める程には、わたしは夢中にはなりませんでした。それでもMDに保存をしておいて、CDを返してからもときどきそれを聴きました。日本の、スリーピースのバンドです。今のわたしには大好きな、大切なバンドのひとつですが、当時のわたしにはその良さがすぐには分からなくて、火がつくまでに一年ほど時間がかかりました。その間にわたしは転校してまた別の学校に通うようになっていました。夕方家に帰ると、わたしはときどき自分の部屋にこもって、ポータブルのMDプレイヤーを使ってその曲を聴いていました。CDを貸してくれた友人を懐かしがっていたからかもしれませんが、今のわたしには彼女の名前さえうまく思い出すことができません。ともかくそういうふうに聴いているうちに、わたしは何となくクセになって、その曲を繰り返し繰り返し聴き込むようになりました。曲の奥で何かがわたしに呼びかけているような、心を急き立てる何かがあるように思ったんです。もちろんこういうふうに言葉にできるのは、今のわたしがその正体をしっかりと理解できているからなんですが。不思議な引き込まれ方で、わたしはその曲にのめり込んでいきました。それまでは学校に持ち込まなかったMDプレイヤーを、休み時間に熱心に聴くようにもなりました。他の音楽にも手を伸ばしてみるようになりました。学校帰りにレンタルショップへ立ち寄るのが習慣になりました。いろいろと聴き比べてみて、それぞれに良さがあることは分かりましたけれど、やっぱり最初に貸してもらったあのスリーピースのバンドが一番わたしの心に馴染む音を作っていました。ときどきわたしは、寝るときにヘッドフォンをつけたまま布団に潜ったりもしました。起きている状態と、眠りに落ちる状態の隙間のところで聴く彼らの音楽が、不思議な引き伸ばされ方をして好きでした。音楽は眠りの時間にまで侵食してきたんです。

 そしてわたしはユウコちゃんのことをすっかり忘れている自分に気づきました。

(一分ほど間。液体を注ぐような音の後、何かをすする音。そしてまた三十秒ほど無音)

 ユウコちゃんの空想をいつの間にしなくなったのか、わたしにはもう分かりませんでした。気づいたらそれは終っていました。ユウコちゃんを懐かしく思う気持ちはあります。でも、あんなに烈しい感情はもうありませんでした。わたしは少し前の自分自身を思い出して、とても狼狽しました。ねこの死体をまじまじと見つめていたことを、はっきり言って異常に感じました。あれを自分がやってしまうこともありえたんだ、と考えると、とても恐ろしい気分になりました。そしてまた、わたしが陥れた男子生徒のことも思い出しました。わたしは恥ずかしくて死にそうなほど苦しくなりました。わたしは自分の陰口をひとつひとつ思い出していました。嘘を塗り固めるための嘘を、平気で生み出し続けていた自分自身を、ものすごく小さな存在だと感じました。わたしは自分が石をぶつけて潰した毛虫のことを連想しました。きっとわたしの存在はあんなものなんだ、ああいうふうに潰されて死んでも、誰にも文句は言えない。そんなふうに思うと、死にたくなるような気分になりました。わたしはあの男子生徒の書いた「にんげんの標本」という詩を思い起こしました。そこに書き連ねてあった醜い人間の標本は、全てわたしのことを言っているような気になって、呆然としました。「そのみにくいにんげんは/生まれたときからみにくかった/気持ちわるい顔をして/行動もみにくかったので/みにくいにんげんの標本として/一生博物館にかざられた」。本当にそうだとしたら、自殺するほうがずっと気が利いてる。そう思いませんか?

(長い間。それは五分ほど続くが、その間は全くの無音というわけではなく、ときどき何かの物音がする。しかしそれはとても小さな音で、それが何の音であるか特定することができない)

 はっきり言って、そこからわたしの精神は不安定になりました。死んだ後のことを真剣に考えて、そこに全く救いのなさそうなことを発見して、絶望したりもしました。生まれてこなければ良かった、初めから存在しなければ良かったと、真面目に考えたりもしました。きっとそういう精神的な脆さは、もともとわたしの中にあったんだと思います。それが機会を得て一度に噴出してしまった。わたしは人生に希望を見出せませんでしたし、と言って真剣に自殺を考えるほど真面目でもなかった。自殺したいとは思いませんでした。でも、それにも関わらず、わたしはいつか自分が自殺して死ぬことになるんだと、そんなふうにも思いました。それはとても辛い考えでした。こんな状態が、高校二年の時まで続きます。

 劇的な転換があったわけではありません。同じ種類の絶望は、わたしの中に残り続けましたけど、結局それにも慣れてしまうんだと思います。そして音楽もありました。音楽はけっしてわたしを慰めたりはしませんでした。絶望を取り払ってくれたり、希望になってくれたり、そんな御大層な効果は、少なくともわたしにはありませんでした。それでもそれは、ささやかな道標になってくれました。わたしは歌を歌ってみました。楽器に触れてみました。それは、楽しかった。一途にそれに関わっている間は、一時的にでも嫌なことを忘れることができました。高校二年の時のことです、わたしはお金を貯めてベースを買いました。丸くなった体を絞るためにダイエットを始めたのもこの時期です。考えてみれば、自分自身で何かをやりたいと真剣に考えたのは、その時が初めてだったかもしれません。

(一分ほど無言)

 今でもときどき、精神的に沈み込む時はあります。当時味わった絶望に近いものを、再び味わうときもあります。でもそれが、わたしを粉々に打ち砕いてしまうほどの力をもっていないことを、わたしは把握しました。それは根本的には解決していません。わたしは未だに人生に希望を見出せません。ただ、その絶望感はやり過ごすことができると知っています。それでいいんだと思います。短大生の時にわたしはバンドを組みました。わたしは初めて、本当の友人を得たと思いました。小学五年生の時に一年だけ在学した学校の、成人式の二次会に出席する機会もありました。そこでわたしは、わたしがねこ殺しだと貶めた男子生徒に会いました。彼はわたしのことなんて全然憶えていませんでした。きっと、自分がねこ殺しに仕立て上げられて一部の女子から顰蹙を買っていたことだって、分かっていなかったと思います。彼はわたしと同じく名古屋に住んでいて、住んでいる場所も近かったから、たびたび一緒にお酒を飲むようにもなりました。な、そうだろ、キシ?

(十秒ほど間)

 本当は直接会って、こういう話をしなければいけなかったんだと思う。何度か実際にそうしようともした。でも、できなかった。お酒を飲んだら何とかなるだろうと思って、いつもただ酔っ払うだけだった。キシ、あたしはほんとはそんなにお酒が好きなわけじゃないんだ。必要に迫られたから飲んでただけなんだ、薬みたいなもんだ。今もこうして飲んでるのだって、そう。酔わなきゃこんな録音できないし、シラフの時にこの録音についての話なんて、とてもできない。そんなの、恥ずかしすぎるだろ!

 キシ、「それいゆ」が終っちゃった。どうしよう、あたしはこれから何をしたらいいんだろう? いつかこうなることは分かってた。五年後、十年後もやってるとは思わなかった。でもこんなに早くダメになっちゃうなんて、もっと思わなかった。あたしは何かすることを見つけなくちゃならない。そうでないとまた、悪いことしか考えなくなる。嫌だ、怖いよ。せっかくここまで立て直したのに、またあそこに戻る? 嫌だ、冗談じゃない。そんなの、怖すぎる!

(三十秒ほど間。立て直した声で)

 ユウコちゃんのことは、もうほとんど思い出さない。思い出しても、そんなに心をえぐるようには思い出さない。でもね、キシ。あたしは最近一度だけ、とても嫌な形でユウコちゃんを思い出す機会があったんだ。最後にそれを話すよ。

 キシに、ねこ殺しが現れる地区を一度ぶらついて欲しいってお願いした、あのあたりを、あたしも一度歩いてた。それがあって、その上であたしはキシにそのお願いをしたんだ。つまり、あたしは、ねこ殺しを見たんだ。

(十秒ほど間)

 それは小柄な女の子だった。長い黒髪の子だった。やけにぶかぶかなジーンズを履いてた。薄暗い雑木林の中で、その子の後ろ姿が見えた。右手を差し出した格好で、静止してる。携帯電話のカメラで何かを撮ろうとしてるんだと、少ししてあたしは気づいた。でもこんな雑木林の中で何を? 女の子が遮っていて、カメラが向いている先を見ることができなかった。あたしは気づかれないようにそっと、近づこうとした。女の子は写真を撮るのにすごく集中しているみたいだった。でも結局、あたしは近づきすぎたんだ、女の子が撮ろうとしているものを見極めるのと、女の子がこちらを振り返るのは同時だった。あたしの目はまずはねこの死体を捉えた。そして次に、こちらを見つめる女の子の白い顔を。それはわたしに瞬時にユウコちゃんを思い起こさせた。顔立ちが似ているわけじゃなかったけど、わたしは一瞬小学生の頃にタイムスリップをしたみたいな、長い時間を一瞬で越えるような奇妙な感覚を味わった。その子もとても可愛い顔だった、そして何となく、ユウコちゃんに似た病的な感じもともなってた。薄く口を開けて、ぼんやりと無表情にこちらを見つめていた。ねえキシ、あたしは逃げたよ。怖くなって、走って逃げた。その女の子が怖かったんじゃない、もちろんねこの死体が怖かったわけでもない。続いてるって考えが、内蔵をほじくるみたいに怖かったんだ。呪い。それはどこから始まっているんだろう? やっと離れられたと思ったのに、それはいつまでもあたしを追いかけてくる。

(一分ほど間)

 一度キシが酔っ払って、ねこキラーって変な言葉を使ったことがあった。逆襲、という言葉も使ったね。その言葉が妙に残って、勝手に曲のタイトルにさせてもらった。「ねこキラーの逆襲」。何だかとてもしっくりくる言葉だった。あたしもきっと、ねこキラーに逆襲されてるんだなって、思う。それをヒントに歌詞を書いた、わたしたちに珍しいダークな世界観。

 「それいゆ」の最後の演奏、どうだった? あたしは十分に気合入ってた? 見とれた? これで終りなのは残念だけど、あたしたちはそれを乗り越えて、最高の演奏をするつもりだよ。無理を言って、最後にあたしの作った新曲を組み込ませてもらった。でもみんな、すごくいいって褒めてくれた。怖い歌詞だけど、本当っぽいって。本当っぽい。一番嬉しい言葉だね。

 キシ、また時間のあるときに感想を聞かせてよ。一度しか演奏されなかったあの曲を、ちゃんと受け止めてくれたら嬉しい。まさかとは思うけど、途中で抜け出したりしてないよな? この曲だけは何があっても最後まで聴いて欲しい。もし、最後まで聴いてないなんてことがあれば、そのときは、キシ、もう永遠に顔を見せないで欲しいな。

(十秒ほど間)

 じゃあね、キシ。ここまで聞いてくれてありがとう。

(ガシャン、というとても大きな音)

次回更新は8/9(火)を予定

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