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ねこキラーの逆襲  作者: AK
第8章   ── 名前が主張を始める(佐伯ちひろです)──
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22   「やっぱりミキでよかったんだ」

 大学の計算機室でメールボックスを確認すると、昨日から今日の午前にかけて三件のメールが届いていた。送信者は女の子と、「夜鷹」、それと「ゆき」。「ゆき」が「みゅみゅ」の別名であることを思い出すまでに、少し時間がかかる。不要なダイレクトメールを削除してから、その三件のメールのうちどれから読んでいこうかと思いがけず迷った。結局僕は、届いた順にそれを読んでいくことに決める。まずは昨日のお昼過ぎに「夜鷹」から届いていたメール。件名は「昨日はありがとうございました」。

「キシさんへ。

 昨日は遠いところをありがとうございました。

 せっかく来てもらったのに、キシさんとしっかり話せなくてごめんなさい。僕もすごく残念に思ってます。今度はぜひ、泊りがけで遊びにきてください。って、これは昨日もメッセでお話しましたよね(笑)

 昨日メッセで、みゅみゅさんともお話をしましたよね。ご存知でした? みゅみゅさんも実は名古屋市に住んでるんですよ。みゅみゅさんは新幹線を使ったから、キシさんよりも後で東京を離れましたけど。

 それで、ごめんなさい、僕は今日もメッセでみゅみゅさんと話をしていたんですけど、ついそのことをみゅみゅさんにしゃべってしまいました。キシさんに断りもなく伝えてしまって、すみません。細かい住所までは伝えてませんけど(というか僕も知りませんし)。

 みゅみゅさんは、とても会いたがっていました。もしかしたら、みゅみゅさんからそんな話があるかもしれません。どうして自分の住んでるところを知ってるんだって、キシさんがびっくりしないように、メールをしました。犯人は僕です。みゅみゅさんは、別にエスパーじゃないです。

 追伸、『アイスパレスの王女さま』にコメントを書きました。素敵な作品を、ありがとうございました。次の作品も、楽しみにしています」

 続いて昨日の夜に届いた女の子からのメール。件名はなし。添付ファイルがあって、その名前は「名前探しの迷宮」。

「いろいろと壊してごめんなさい。あの後慰めてくれるキシは何か気持ち悪かった。こういうこと言っちゃうのはどうかしてる? でも、実際にそう思ったからその通りに伝える。いつものイライラさせるキシよりも、あれはもっと悪い方向。どうせまたろくでもないことを企んでるんでしょ?

 わたしが壊しちゃったものを、全部教えてくれない? ゲーム機はきっと動かなくなってるよね。明日、新しいものを買って持っていこうと思ってる。他にもあったら教えて、替えが利くものは可能な限り用意しようと思う。ごめんなさい。

 もうひとつ、これは別件。

 ずっとプログラミングの勉強をしてきて、ようやく練習作のようなものがひとつできた。程度の低さには目をつむって。あくまで練習の一環として作ったものだから。

 内容は、簡単なノベルゲームのようなもの。文章が現れて、ときどき選択肢があって。そんな程度のくだらないもの。でも、ずっと作りたかった『ゲーム』に、近づくことはできたと思う。もっと勉強して、もっといいものを作りたい。何かについてそんなふうに思うことって、初めてかもしれない。寂しい人生でしょ?

 その寂しい人生のささやかな結晶を、キシに贈ります」

 最後に、今日の早朝に届いた「ゆき」からのメール。件名は「おはようございます!」

「キシさま、おはようございます。

 一昨日お会いして、メッセでもちょっとお話をした、みゅみゅという者です。

 メッセでは、ゆきと名乗っています。

 昨日、夜鷹さんから小耳に挟んだんですが、キシさんのお住まいは名古屋市だそうですね。それを聞いてとても驚きました! 実はわたしも、名古屋市に住んでいます。そうと知っていれば、一昨日は一緒に名古屋まで帰ることもできたのになと、ちょっと残念に思っています。

 わたしは千種区に住んでいます。キシさんはどのあたりですか? もし近ければ、またお会いしてお話をしたいな、なんて思っています。

 昨日、キシさんの『アイスパレスの王女さま』を読ませていただきました。正直なところ、わたしがしっかりとあの作品を楽しめたかどうか、心許ない気もします。感想掲示板のコメントも、みんなすごくレベル高いことを言ってて、わたしにはついていけないやと尻込みする気分です。でもそれは、楽しめなかったわけじゃないんです。わたしはわたしなりにすごく楽しめました。

 ねこの目の女の子のことを、わたしはすごく好きになったんです。

 いろいろお話を聞ければ、なんて勝手に思ってます。もちろんキシさんがイヤじゃなければ、ということですけど。

 もちろんメッセでのやり取りでもいいんですけどね。

 それでは、またどこかで!」

 三通のメールを読み終えて、とりあえず「夜鷹」と「ゆき」に簡単に返信をした。自宅のパソコンがネットに繋がらなくなっていることを書き添え、何か急ぎの用事があれば携帯電話のメールアドレスに送って欲しいと伝える。女の子のメールには、迷った挙句返事をしないことに決めた。添付のファイルをUSBメモリに保存する。それは大した容量じゃない、データの書き込みはすぐに終り、取り外してカバンの中にしまう。室内の時計に目を向けると、ちょうど五時半を差している。自宅に戻って夕食を作るのが面倒に思えたので、構内の学生食堂で食事を取ることに決める。客もまばらな食堂で、適当な定食を選んでひとりで食べる。その後で大学生協の書店に向かいうろうろと本を探す。数学の参考書と川端康成の小説を買い、建物を出る。空は赤色と青色がせめぎ合い、南の方角に一番星がきらめいている。黒いシルエットになりかかっているまばらな学生の姿が、歩道のアスファルトを寡黙に踏みしめて歩いている。僕はふと思いついて、ユサに電話をかけてみる。でもそれは繋がらず、留守番電話の機械じみたアナウンスを伝えるだけだった。諦めて通話を切り、待受画面の時刻表示に目を走らす。午後七時少し前。

 もう一度一番星を見ようと南の方角に視線を向ける。でも先程まで一番星がきらめいていたはずの場所に、何もない。雲で隠れているわけではなく、透き通って秋の気配を感じさせるコバルトブルーの空は何にも妨げられることなく拡がっている。空を見渡すと、思いがけない方向に星は瞬いている。でもその光の明滅は、星の瞬きというにはあまりにも力強く規則的だった。そしてそれは移動していた。西の方角に向けて、カクカクと緩急をつけた動きでそれは動いている。僕はしばらくその光を凝視していた。西日の名残はゆっくりと消えようとしていた。それを追うように、光は不規則な軌跡を描いて南の空の底を横切っていた。ときどき、背の高い工学部の研究棟に遮られ、その姿は見えなくなってしまう。でも辛抱強くその方向を見つめ続けていると、やがて予期していたのとは少し違う位置からまた光は顔を見せる。それはやはりジグザグの動きで沈んだ夕日を追っていく。でも光が遠くに向かうにつれ、その高度は徐々に低くなっていき建物の影に接近する。やがて西の方角に林立する全学教育棟の建物郡の中に、光は完全に隠れて見えなくなる。これ以上待っていても、もう何も見えないだろうと僕は思った。気がつくと東の方角から闇はしっかりと手を伸ばしている。光を見つめてずいぶん時間が経っているようだった、構内を歩く人の姿はほとんど見当たらなくなっている。

 僕は地下鉄駅へ向かった。定期券で改札を抜け、いつもの路線の電車に乗る。帰宅途中の会社員が多く乗って混雑するその車両を、僕は途中で降りて別の路線に乗り換える。そして、いつもと違う駅で降りる。それは昨夜ユサと待ち合わせをした駅だ。乗り越し精算をして改札を出て、その見慣れない風景にふと我に返る。どうしてこの駅に来たんだろう? まるで何かに導かれて、体が勝手にこの駅で降りてしまったように無意識のまま僕はこの駅で降りていた。当惑しながらも、僕は階段を上って地上に出る。市内環状道路を走る車の群れを眺めながら、少しだけ納得する。きっと「クリスタルパレス」が僕を呼んだんだ。振り返り、住宅地にそびえるいくつもの高層マンションの黒い影を見つめる。そしてその方向に歩き始める。

 詳しい場所は憶えていなかったけれど、足は勝手に正しい道順を選びとっているようだった。根拠もなく僕はそれを確信していた。やがてその確信を裏打ちするように、昨夜の公園が左手に現れた。ユサが揺らそうとした電灯には、今日も細かな羽虫が飛び交っている。それを横目に、僕はさらに歩を進める。聞き耳を立てるような静寂と、建物の隙間によどんだ湿っぽい暗闇。ふいに前方から、何か力強い視線のようなものを感じる。それは僕に懐かしさを感じさせるものだった。予想外の近さに、「クリスタルパレス」はいつの間にかその姿を現していた。そしてそのエントランスの近く、こちらを睨むねこの姿があった。

 僕は立ち止まって心臓を鳴らした。ねこは影にいてそのあいまいな輪郭と目付きの悪いオリーブ色の瞳だけを闇に浮かばせている。でもそれは、確かに僕に懐かしさを感じさせる姿だった。そんなはずはないのに。そう頭の中で文章をこしらえつつ、でも僕は未練たらしくその可能性を夢想しないわけにはいかなかった。昨夜のユサの、シュレディンガーのゾンビねこの話が思い出される。生きてる状態と死んで(・・・・・・・・・・)る状態のふたつが重な(・・・・・・・・・・)り合ってるってやつ(・・・・・・・・・)。僕は近づくのが怖かった。全然別のねこだと確認するのは嫌だった。ねこは挑みかかるような目付きで僕を睨み続けていた。そしてふいに暗闇が訪れた。「クリスタルパレス」から唐突に明かりが消え、ねこの姿を隠すために存在していたささやかな闇は、その範囲を瞬時に拡げた。停電でないことは、他の建物や外灯の光が変わらず灯っていることから見て取れる。「クリスタルパレス」の明かりだけが、周囲から除外されているようだった。ねこは短く鳴き声を上げると先程までの狭い闇のスペースから抜け出して、エントランスのドアの前に駆け上った。オートロックのドアのガラスは静かに左右に流れた。ねこはこちらを振り向くともう一度短く鳴いた。そして闇の詰まった建物の中へ駆け去った。

 エントランスのドアは僕が入ると静かに閉まった。ホールの電灯は全て消されていて、非常口の案内灯の緑色の光と、火災報知器の赤いランプ、それから正面のエレヴェーターの表示板がわずかに光っているだけだった。エレヴェーターは一階で止まっている。僕は近づくとボタンを押して、閉ざされたエレヴェーターのドアを開けた。それはきちんと動作し、重たげな鉄の二枚の扉はスムーズに開いた。エレヴェーター室内の明かりは灯されていた、質感のある光が暗いエントランスホールに洪水のように流れ出て床を照らした。闇を汚さないよう僕は急いでその中に入り、最上階のボタンを押す。「閉じる」ボタンを押すまでもなく、ドアは自動で閉まり緩やかなモーター音とともにエレヴェーターは緩慢な上昇を始めた。

 降ろされたフロアもやはり暗闇に浸されていた。開いたエレヴェーターのドアからこぼれる光は盛大な量だったけれど、しばらくしてドアが閉まると欠片ほどもその光を漏らさなかった。闇の中で見渡すと、廊下の行き詰まりのところに上に続く階段が見えた。下段のところにロープを張って、ささやかな立入禁止の意思を表しているようだった。でもそれは、乗り越えるのは苦にもならない高さだった。それをまたいで階段を昇る。上がりきった小さなフロアにドアがあって、そこから屋上に出られるらしかった。鍵がかかっていることを怖れたけれど、それは開いていた、ドアの向こうには風の強い吹きさらしの屋上が拡がっていた。

 風の音の他には何も聴こえなかった。周囲に目を配りつつ屋上を巡っていると、ちょうどドアの反対側の縁のあたりに、柵にもたれる形の人の姿が目についた。髪の長さと体格からそれが女性であることは分かったけれど、でもそれはツバメではないような気がした。ツバメよりももう少し大人びている。影は柵の向こう側を一途に見つめているようだった。こちらに気づいているかどうかは分からない。近づくかどうか態度を留保していると、人影はふいに右手を真っ直ぐ上に伸ばして、人差し指で何かをさした。その方向に視線を向けると、明滅する光が浮かんでいる。光は緩急をつけた奇妙な速度で星の見えない空を動いていた。

 お兄ちゃんはまだ気づいてない。右手を下ろして振り返ると、影は言った。でもわたしは、もうずっと前から気づいてた。自分の部屋の窓の向こうを眺めていて、もう何度もあいつの姿を見ていた。わたしのお兄ちゃんはいつも何もかもが遅いんだよ、気づくのも、行動するのも、諦めるのも。予兆はどこにだって潜んでいるけど、それに気づくためには時間が要る。ゆっくりゆっくり考えることが必要でしょ。でもお兄ちゃんはそれができない。だからいつも後で慌てふためいてばかりいる。それで、自分の中の理屈に合わないことに対して、何もできない。可哀想だと思うけど、でもどうしようもないんだ、お兄ちゃんはそういうふうに一生を終えることしかできないんだよ。あなたもそう思うでしょ?

 その影の顔がよく見えないのは、きっと闇のせいではないのだろう。僕は近づかずそのままの距離で彼女に声をかけた。ヒロキのこと、そんなに嫌い? 僕の言葉に、影はケラケラと笑い出した。ヒロキ? ヒロキ? ずいぶん長いこと彼女は笑い続けた。そして笑いの発作が収まると、挑戦的に僕に言った。「ブレイキング・ニュース」ではお兄ちゃんに名前はなかった、それは「仙台UFOクライシス」で仮に付けられていた名前でしょ? あの作品を捨てて、新たに書き直した「ブレイキング・ニュース」にない名前なんだから、それは正しくないはず。中途半端なことはやめてよね。わたしたちに名前はないんだよ。

 僕はねこを探しに来たんだ、と僕はうんざりして言った。自分の作品についておしゃべりしにきたわけじゃない。ねこがこのマンションに逃げ込んだから、それを追ってきたんだ。ねえ、ねこを見なかった? 目付きの悪い黒白ねこなんだけど。

 後ろ手に柵をつかんで体を傾けながら、影は訊ねた。名前は何ていうの?

 「クロ」と僕は答えた。

 クロ、と彼女は繰り返した。ふうん。顎を心もち上に向けて、なじるように言った。ねこちゃんには名前を付けてあげるのに、何でわたしには名前をくれないの?

 だからミキだろ、と僕は言った。君の名前はミキだ。

 そしてわたしの住んでる場所は宮城県仙台市? 後ろ手に柵を掴んでいた両手を離して、影はゆっくりとこちらに歩み寄った。わたしがUFOを見たのも、そしてこれからUFOに爆撃されるのも、宮城県仙台市? 東北最大の都市で、宮城県の政令指定都市で、そして牛たんでお馴染みの仙台市? 杜の都と呼ばれ、伊達政宗がその基礎を築き、留学中の魯迅がニュース映画で同胞の処刑される光景を見ることになった、仙台市? じゃあ「ブレイキング・ニュース」でその名前を書かなかったのはどうしてなの? どうしていろいろなものを奪い取って、わたしたちを意味の分からない空白地帯に追い込んだりしたの? きっと何か理由があるはずだよね。ねえ、何でだか教えてよ。

 僕の小説技術が未熟だったから、と僕は何故か怒りを感じながら言った。あいまいにすることで僕は何か普遍的なものを書いたつもりになっていたんだよ、結局僕は理屈をこねて逃げていただけなんだ。別にそのつもりがあったわけじゃないけど、自然とそうなってしまった。全ての態度を保留しているうちに、そういうふうになってしまったんだ。ミキという名前を、僕は隠しただけだ、それは君が名乗っていい名前なんだ。

 じゃあ、やっぱりミキでよかったんだ、と彼女は言った。屋上の外灯が点滅を繰り返して明かりを灯し、その光が彼女の顔を照らした。ミキはいくぶん病的に青白い顔を少しだけ歪めて笑った。それが聞けてよかったよ。ほら、こうしてちゃんと顔もできた。これで安心して仙台まで帰れる。ね、お兄ちゃんの名前はヒロキでいいんだよね? そしてまたケラケラと笑い出した。

 ねこを見なかった? と僕はもう一度訊いた。ミキは笑い終えると首を振った。そして諭すような口調で僕に言った、ねこは追いかけると逃げていくよ、もし向こうが会いたいと思ったら、また向こうから顔を見せるよ。あんまり構いすぎると嫌われるんだよ、気を付けてね!

 憶えておくよ、と僕は滅入るような気分で言った。ねえ、君はまだここにいるの?

 もう少しここにいようと思う、とミキは答えた。お兄ちゃんは今日は遅いし、UFOも気になるし。ね、キシ、よかったね! これで名古屋の上空にUFOが飛び回ることもなくなったし、爆撃されることに怯える心配もなくなったんだから。UFOは仙台に行って、そして仙台を爆撃するよ!

 僕は屋上を後にした。「クリスタル・パレス」の明かりは元に戻り、フロアは明るく冷たい光に満たされていた。この光の中では、おそらくあの黒白ねこは姿を現さないのだろうと僕は思った。最上階でそのまま待機していたエレヴェーターに乗り込み、一階まで降りる。オートロックのドアは外に出るものを拒みはしない、僕は何事もなく「クリスタル・パレス」を後にした。一度も振り返らず、僕は地下鉄まで歩いていった。酔っ払いの大学生やビジネスマンが目に付き出した車両に揺られながら、僕は仙台市がUFOに爆撃される様子を、ただぼんやりと空想して時間をつぶした。

次回更新は7/30(土)を予定

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