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ねこキラーの逆襲  作者: AK
第6章   ── 正しい「アイスパレスの王女さま」 ──
20/45

15   「わたしにはもっと、頭の悪いものがいいんです」

 「夜鷹」と実際に顔を合わせるのはこれが初めての機会だった。痩せた面長の顔立ちと黒縁の眼鏡は事前に思い描いていた彼の姿とそぐわない印象だったのに、声を聞くとこれこそが「夜鷹」の声なんだと妙に納得させられる気分だった。太い声というわけではないのに、彼の声は地面に根付いたような確かさがあった。自信に満ちている、というわけじゃない。自らの不確かさを十分に知り尽くしていながら、それを含めた自分自身を正確に相手に伝えたい、という意志が込められているように感じた。

 事前に伝えられていた彼の本名は、矢崎俊之。実際に顔を合わせている間はその名前で彼を呼ぶ。僕も自分の本名を矢崎に伝えていたけれど、彼はネット上と同じく僕を「キシ」さんと呼ぶ。もちろんこれは岸谷という僕の苗字から来ているハンドルネームで、顔なじみが使うあだ名でもあるのだけれど、ネット上と同じ呼び名で引き続き呼ばれることに、奇妙な違和感を感じてしまう。何故そう感じてしまうのか、その原因はまったく分からないのだけれど。

 その日集まったのは僕と矢崎を含めて七人だった。全員をつなぐ共通点は、矢崎主催の「夏祭り競作企画」の参加者であること。つまり趣味で小説を書くものたちの集まりだ。男性が三人で女性が四人。僕にとって矢崎以外は交流のない人たちだ。一応、今日の集まりの前に彼らが投稿した作品に目を通してみたけれど、特に大きな感銘を与えるものではなかった。彼らも僕の作品に対して特に感慨もないのだろう、「感想掲示板」にコメントをくれることもなかった。

 集まりの目的は、幕張メッセで行われる漫画同人誌の即売会に参加すること。新宿駅構内の喫茶店で集合して、簡単な自己紹介を済ませてから電車に乗った。矢崎以外に交流のある人はいなかったし、その矢崎は他の人と代わる代わるしゃべり通しだったので、僕はずっと窓の向こうの景色を眺めて過ごした。旅費を浮かすために昨日の深夜に夜行バスに乗って東京まで出てきていた。覚悟していたことだけれど、バスのシートでは十分に睡眠を取ることができなかったので、電車に揺られながら定期的に強い睡魔に襲われることになった。目的の駅に着いたとき矢崎が声をかけてくれなければ、危うく乗り過ごしてしまうところだった。

 会場は込み合っていた。集まりを呼びかけた矢崎を含め七人全員がこの手のイベントには初めて参加するので、当たり前のようにコスプレ姿で会場に向かう人たちの行列を見て奇妙な感動を覚えていた。会場に入ると、とりあえず一時間は自由行動にしようと矢崎が提案した。その間に好きな場所で好きなものを買って、時間が来たら指定したベンチに集まってみんなで昼食を取る。誰も異議を唱えなかった。それぞれがグループを作って目当てのブースへと向かっていった。僕はひとりで創作系のブースへと歩いていった。事前に調べていた華僑系シンガポール人作家のブースに行き、彼女が日本で独自に出版しているコミックをまとめて買った。作者本人もブースに立っていて、ぎこちない日本語で僕にお礼らしき言葉をかけた。他に買いたいものも目にしておきたいものもなかったので、早々に集合場所のベンチに戻って買ったばかりのコミックを読んでいた。もともとは英語で描かれたものを台詞の部分だけ日本語に書き換えてあったのだけれど、その翻訳レベルはお世辞にも高いとは言えない。加えて文章量も多く細かい字でみっちり書かれた吹き出しに、この騒がしい会場の中では十分に意識を集中させることができない。プロットをしっかりと追うのをあきらめて、コマの中の絵だけを眺めることにする。それだけのことだけど、特徴的なデフォルメと装飾過多な独特の描写の世界に、僕はすぐに引き込まれる。

 ふと、僕を呼ぶ声に気づいて顔を上げる。もうブースは回らないんですか、と矢崎が目の前で人懐っこい笑顔を浮かべて訊ねた。目当てのものは買ったので、と僕は買ったばかりのコミックを示して答えた。とりあえずは、もう満足です。矢崎さんは何か買わないんですか?

 正直言って、僕はイベント自体にそんなに興味があったわけじゃないから、と矢崎は隣に座って言った。みんなと集まってお話をするのが目的なんです。一度、こうしてみんなで集まってみたかった。実際にみんなの顔を見たかったんです。「夏祭り競作企画」を開催して、そんなことを考えているときに、ちょうど「りっこ」さんがイベントのことを教えてくれて、他の人たちにも呼びかけてみたんです。だから僕自身このイベントに対して特に思い入れがあるわけじゃない。何か集まるための理由付けが欲しかっただけなんです。

 僕と矢崎の目の前をコスプレ姿の女性三人が通り過ぎた。矢崎は小さく笑って、まあなかなか楽しいところですけどね、と補足するようにつぶやいた。それからふいに声のトーンを硬くして、「アイスパレスの王女さま」を読みました、と僕に伝えた。「感想掲示板」のコメントはまだですけど、近いうちに書きます。いい作品だと思います。「キシ」さんの書くものが、また新たな領域に行ったな、と感じました。

 ありがとう、そう言ってもらえるのは嬉しいです。素直にそこで切ってしまえばいいのに、僕は不必要な言葉を挟む。でも、その「感想掲示板」を見る限りあまり受けは良くないみたいですね。他の人たちの作品に比べると、僕宛ての感想の数はずっと少ない。まあそれは、「ぬー」の時代から似たような状況ではあるけれど。主人公の青年の呼び名を、ハンドルネームと同じ「キシ」にしたのも、「痛い」印象をつけてマイナスだったのかもしれないですね。

 僕みたいにこれからコメントをつける人がたくさんいるんですよ、それに。矢崎は僕の恨み言に取り合わず、心もち前傾姿勢になって真っ直ぐ向こうを見つめながら事前に用意していたことを感じさせる話題へと会話を導いていった。ひとつひとつの感想は、作品をものすごく掘り下げた、濃い内容のものばかりです。しっかりと作品を読んでいて、その世界を味わって、それを通して感じたことや考えたことを、とても丁寧に書いています。きっと作者である「キシ」さん自身も驚くような、作品に対する見方もあったと思います。そんな質の高い感想ばかりだから、他の人たちが及び腰になったんじゃないかな。この作品に対して生半可なコメントをつけるわけにはいかないなって、そう感じ取ったのかもしれません。まあ、まさに僕がそうなんですけどね。特に一番初めにつけられた感想が、やたら凄かった。批判的な文体で、まあ内容も批判的な感じですけど、ビシバシと容赦のない書き方をする、でも誰よりも真面目に作品の世界に対して向き合っていることが滲み出ている、そんな印象でした。ねえ「キシ」さん。あの感想の投稿者名は空欄で、名前がなかったんですけど、あれってもしかしてあの人なんじゃないでしょうか? ほら、「ぬー」の時代にもよく「キシ」さんの作品に対してけっこう辛口のコメントを書いていた。

「クロ」と僕はつぶやいた。そんな名前でしたっけ、と矢崎は納得いかない様子だった。よくハンドルネームを替える人だったから、と僕が補足すると、思い出したように矢崎は何度もうなずいた。そうそう、しょっちゅう名前を替える人だった。そっか、だからハンドルネームの印象がないのかな、何となく「あの人」というふうに頭の中では考えちゃってますね。

 たぶん、あのコメントは「その人」のものだと思います。確証があるわけじゃなく、状況証拠的にそうだろうな、と言うだけのことですけど。組んでいた脚を戻そうとして、膝の上のコミックを落としてしまう。かがみこんで拾う、矢崎もそれを手伝ってくれた。落としたものを全部カバンの中にしまいこんで、そのカバンも足許に置く。それを見届けてから、矢崎は訊ねた。「あの人」も「ぬー」にしか現れない人だったから、「ぬー」消滅後は全然見かけなくなってしまいました。もしかして「キシ」さんは、あの人と連絡を取り合っているんですか?

「ぬー」が消える前に、メールアドレスを交換する機会があったんです。深入りしないよう言葉を選びながら、僕は答えた。そのおかげで、「ぬー」がなくなってからも一応連絡は取り合っています。実は今回の集まりのことを矢崎さんから聞いて、「あの人」にも参加してみないかと誘ってはみたんです。残念ながら返事は来なかったですけどね。最近、メールを送っても返信がないんです。

 それはすごい! 矢崎は嬉しそうに笑った。「キシ」さんと「あの人」との組み合わせが、今も続いているんですね。何ていうか、僕の中の印象では「キシ」さんと「あの人」は対になった存在なんですよ。ふたりのやり取りだけみていると、割とシビアというか、なんかケンカ寸前までいってるようなバチバチな感じでしたけど、でも根底にはお互い認め合ってるようなところがあって、端で見ていて楽しいんです。「キシ」さんの作品が投稿されると、もちろん作品自体も楽しく読むんですけど、その後で「あの人」のコメントはまだかなって、期待して待ってもいるんです。いつも思いもかけない視点から、批判的なコメントをする。けっこうキツい言葉遣いもしてるんだけど、内容自体には妙に納得させられる。「キシ」さんも負けじとその感想について、意見を述べたりもする。落ち着いた口調で、でもドスリと、突き刺すような指摘をする。お互い遠慮なく殴り合ってる雰囲気なんですよね。でもそれは、言葉は変だけど夫婦漫才的に陽気な楽しさがあったんです。

 僕は技巧的に乾いた笑い声を上げた。それを無視して矢崎は続ける。

 ねえ「キシ」さん。「ぬー」が突然なくなって、あのサイトを中心としていた付き合いの多くは途絶えてしまいました。あのサイトには、もちろん「キシ」さんのものも含めて、たくさんのいい小説が投稿されていました。そしてそれに負けないくらい、素晴らしい内容の感想もつけられていました。書き手と読み手は双方向にやり取りをして、小説を書く事と、小説を読むことの、ふたつの軸をそれぞれ絡ませ合って楽しむことができたんです。書く人も、読む人も、それぞれに質の高い人たちがたくさんいました。けなし合うわけじゃなく、馴れ合うわけでもない、本当に居心地のいい空間だったと思います。だからこそ「キシ」さんも、矢継ぎ早にいろいろな作品を投稿することができたんじゃないですか? そして「ぬー」がなくなって、「キシ」さんは今回の「夏祭り企画」まではひとつの作品も書き上げなかった。それは僕も似たようなものなんです。僕は自分のサイトでも作品を公開してたし、そこで読んでくれる人もいたから、ゼロになるということはなかった。でも「ぬー」にせっせと投稿していた頃に比べれば、明らかにその数は少なくなった。僕は今でも考えるんですが、もしまだ「ぬー」があったなら、僕は今の自分よりもたくさん小説を書いていて、今よりもう少しだけ面白いものが書けていたのかもしれない。他人のことを勝手にとやかく言うのは失礼ですけど、「キシ」さんも「ぬー」が消えてなくなっていなかったら、少なくとももっと小説を書き上げていたと思います。「ねこキラー」の長編も、もしかしたら諦めずに書き続けていたんじゃないでしょうか?

 それはないです、と僕はひどくそっけなく言う。名前は分からないけれど今回の集まりのメンバーの若い女性がこちらに向かって歩いてくるのが遠くに見える。ウールのスカートを履いた、若い女性。あの人が「りっこ」だろうか、ともかく彼女からは視線をそらす。矢崎が黙って僕の返事の続きを期待しているので、仕方なしに口を開く。僕が最後に「ぬー」に投稿した作品は、「ねこキラーの逆襲 第3章」。それを投稿してからしばらくして、突然「ぬー」にアクセスできなくなりました。最初は僕も、どうせ一時的なものでいずれ復旧するとタカをくくっていました。まあ、実際には今日に至るまで死んだ状態が続くわけですけど。それはともかく、僕が最後にねこキラーを投稿してから、「ぬー」が消滅したことを悟るまでには時間があったんです。そしてその間僕は「ねこキラー」の続きを一切書いていませんでした。もっと言えば、僕は第3章を投稿した時点で、ほぼ諦めていたんです。この長編を完成させることはできないと。この物語では「ねこキラー」を書き続けることはできないと、確信したんです。「ぬー」が消えるよりも、前に。そしてそれと同時に、ねこキラーの小説以外のものを書くという気にもなれなくなっていた。袋小路に入り込んでしまったんです。

 矢崎は興味深そうに何度かうなずいた。一度咳払いをしてから、僕に訊ねる。その、書き続けることはできないという確信には、何か根拠があったんですか?

 僕は答えようとする。でもそれを遮って、先程の女性が目前まで来て親しげに矢崎に話しかける。矢崎もそれに応え、ふたりの会話が始まる、タイミングを失って、口に出されるはずだった答えは飲み込まれてしまう。でも、僕はふと気づく。先程の僕が何を言おうとしていたのか、僕には分からなくなっている。何かを答えようとしていたのははっきりと覚えている。でもそれが何なのかをどうしても思い出すことができない。そもそも先程の矢崎の問いに対する答え自体、自分でも分からない。根拠、と矢崎は言った。でもそんなものが具体的に存在するとは思えなかった。何かひとつの障害物が目の前に立ちふさがっているわけじゃなく、それは作品を構成するひとつひとつの描写からにじむ奇妙な重さが、足枷となって前に進むのを阻むような、皮膚感覚に基づくあいまいなものだった。にも関わらず、先程の自分は何か具体的なことを言おうとしていたように思う。

 それからほどなく、残りのメンバーが次々とベンチに集まり出した。笑いながらおしゃべりをしたり、買ってきたものを見せあったりしている。高校生くらいの若い女が、何を買ったんですか、と僕に声をかける。心持ち語尾を上げるしゃべり方。もう一度カバンからコミックを取り出して彼女に見せるが、それほど興味を引かなかったようだ。それについては触れず、「キシ」さん、ですよね? と確認するように彼女は言う。僕はうなずく。

 矢崎はすでにベンチから立ち上がって、少し離れた場所でみんなと話をしている。若い女は僕に、「みゅみゅ」ですと改めてハンドルネームを名乗った。本名は言わなかった。「みゅみゅ」。僕は何度か小さくうなずいた。そういう名前の人が「ぬー」に小説を投稿していたことを、おぼろげに思い出す。確か、長めの恋愛小説を連載形式でいくつか投稿していた。女性らしい、でも「携帯小説」のように砕けすぎないやわらかい文体には好感を持ったけれど、話の作り自体はどれも非常に陳腐で面白みがなく、しかも冗長にすぎてきちんと読み通すことはなかった。連載の合間にたまに詩を投稿することもあって、どちらかと言うとオマケという感じに扱われていたけれど、そちらの方が質が高いように感じた。一度だけ投稿された詩に感想を書いたことがあるような気がする。彼女が僕の作品にコメントをつけたことがあるかは思い出せない。要するに、大した交流のなかった人だ。

 その「みゅみゅ」が意外なことを言う。今日は「キシ」さんも集まりに参加するって聞いて、楽しみにしてたんです。どんな人なのかなって、想像してました。けっこう予想通りの人だったので、逆にびっくりしました。

 そうですか、と僕は変に固くなって答える。

 と言っても、と「みゅみゅ」は笑いながら続ける。「キシ」さんの作品、あんまり読んだことないんですけどね。なんかすごいもの書いてるなあって、遠くから見てて思うんだけど、わたしには難しすぎるんです。わたしにはもっと、頭の悪いものがいいんです。読むのも、書くのも。全部読んでも特に何かが残るわけじゃないし、賢くなったりするわけじゃないんだけど、でも読んでるときはふわふわと雲に乗ってるみたいにいい気分になる、そういうものがいいんです。だからゴメンなさい、わたし「キシ」さんの作品は全然読んでないし、今度「夏祭り企画」に投稿された作品も、実は読んでないんです。でも「キシ」さんのことは気にしてました。何故だと思います?

 語尾を上げる彼女の口調と妙な謎かけに若干イライラしつつも、僕は努めてそれを顔に出さず穏やかに微笑みながら言った。さあ、分からないですね。「みゅみゅ」は僕の感情を察することなく、さらに顔をほころばせて人差し指を立てた。ヒントは「夜鷹」さんと「ぬー」です。その仕草に僕はより一層嫌悪感を募らせた。

 じゃあそろそろ、お昼を食べに行きましょう。当の矢崎が僕たちに向かって声をかけた。笑い声をあげながら、「みゅみゅ」は矢崎たちのもとへと駆けていった。僕もそれに続く。これで会場を出ようかなと思いますけど、まだ残っていたい人はいますか? 矢崎の問いに、答えるものはいない。じゃあ、電車に乗って東京方面に戻りましょう。向こうで何か、お昼にしようと思います。それでいいですよね?

次回更新は7/4(月)を予定

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