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ねこキラーの逆襲  作者: AK
第3章   ── 名前が主張を始める(僕は名前をつけるのが苦手なんだ)──
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9   「メンバーはオフラインのためメッセージが届かない可能性があります」

 発言の意味がつかめず黙っている僕に、「クロ」は続くメッセージを送る。「『仙台UFOクライシス』が『ブレイキング・ニュース』に変わって主人公たちが名前を失ったように、ある時期を境にキシの作品の登場人物たちにはほとんどの場合名前がなくなった。キシの作品はほとんどが一人称のスタイルになって、その主人公には名前がないし、主人公を取り巻く他の登場人物たちにも大抵明確な名前は与えられなくなった。例外的に、キシが去年の秋に書いた『クリスタルパレス発』のツバメには名前があるけれど、でもそれもどことなく匿名的な感じがする。個別の人格を指す名前というよりは、それは役割を表す名前のように思える。同じ役割を持った、他のツバメもありえるというふうに。そう、キシの作品は過度に匿名的なようにわたしには思える。キシは、そのことによって作品への、あるいは作品の登場人物たちへの読み手の理解が十分に得られなくなる、とは考えないの?」

「僕の書く作品が匿名的だというのは、確かにその通りだと思う。最近では作品の登場人物たちに明確な名前を与えることはほとんどしなくなった。名前の替わりにその人物を示す代名詞を用意することが多いけれど、言われてみればその代名詞さえ匿名的かもしれない」そうタイプしながら、僕は今書き上げている「アイスパレスの王女さま」の登場人物たちにも明確な名前が用意されていないことを意識した。一人称を担う主人公は「僕」として、彼の部屋を訪ねる女の子は「ねこの目の女の子」として全篇を通す。「ねこの目の女の子」とリンクする「アイスパレスの王女」もやはり、明確な名前はない。「ねこの目の女の子」は確かに匿名的な呼び名に過ぎないが、「アイスパレスの王女」のほうはどうだろう。「アイスパレス」自体が具象的なものでない以上、やはりその呼び名も匿名性から逃れられていないのかもしれない。そんなことを考えながら、僕は続ける。「そのことと関連付けて言えるかどうか自信はないけど、僕が作品を書くときに意識していることについて、まずは話してみるよ。最近は特に一人称のスタイルでしか書いていないから、そこに的を絞ろう。一人称の形の小説は、もちろん主人公の視点を通して物語を体験していくことになるわけだけど、そこには大きく分けてふたつの目的がある。主人公を介して物語を読み解くか、あるいは物語を介して主人公を読み解くか。もちろんそれは、同じコインの表裏でしかないのかもしれない。お互いに排除しあう要素でなく、補完しあう対の要素として存在しているとも思う。一人称というスタイルである以上、物語と主人公は癒着していてどちらか片一方のみの理解ということはありえないから。それでも、どちらか一方をより鮮明に押し出す、ということは可能なはず。コインの比喩を流用すれば、どちらの面を上に向けるかという話だね。そういう見方に立ったとき、僕は前者のほうを、つまり主人公を通して物語を読み解く目的を、強く意識して作品を書く。それは単純に好みの問題かもしれない。ともかくその前提があるから僕は、一人称の主人公たちをできるだけ目の前の事件のライターとしての役割に限定するようにしている。主人公を語るために物語が発生しているんじゃなく、物語を語るために主人公がいる。だから主人公たちが自分自身について必要以上に語ることを僕は極力抑えている。その流れに沿って、僕の書く作品の主人公、さらにその登場人物たちが匿名的になっている、ということはあるかもしれない」

「キシは作品の主人公、あるいは登場人物たちに対する読み手の理解を拒んでいるわけ?」二分ほどして「クロ」が簡明に訊ねる。僕も二分ほどかけて、それに対する返事を書く。「拒んでるわけじゃない。ただ、その登場人物の表層的な特徴づけについては冷淡かもしれない。その人物の身長や体重の詳しい数値だとか、誕生日だとか、朝ごはんを食べる時の習慣だとか、シャツをアイロンにかけるときの手順だとか、そういう細々とした事実から得られる理解よりは、物語全体を通すことで得られる理解、物語に付随する深層的な理解について、僕はより強く押し出したいと思っている。もちろんそれが僕の作品で実現できているわけじゃないけどね。それが僕の理想とするところというだけで」

 五分ほどして「クロ」の反論が届く。「表層的なレベルを抜きにした理解なんて、それはつまり匿名的な理解としか言えないんじゃないの? そんなものがありえるの?」それに対して僕が何かを言う前に、「クロ」は続けて文章を送った。「わたしにはこう思える。キシは『理解』という言葉を本当には理解していない。そうでなくても、キシは根本的に、誰か他人を理解しようと、本気で思ったりはしない。それが、キシが大学で勉強している数学から受け継いだものなのか、あるいは先天的なものなのかは分からないけれど。ともかく、キシには自分以外の他人を理解したいという欲求そのものがない。だからこそ、キシの他人に対する認識はいつだって匿名的で、そのおかげでキシの書く作品の登場人物たちも匿名的なんだ。匿名的にしかなりようがないんだ」言葉に含まれる毒にたじろぐ僕に、攻撃的な素早さで「クロ」は続ける。「キシはわたしのことを名前で呼ばない。キシの部屋に遊びに行くようになって一ヶ月くらい経つけど、キシは一度もわたしを『クロ』という名前で呼ばない。『ねえ』とか、『ちょっといい?』とか、わたしに呼びかけるときはそんなふうに、意地でもわたしの名前を避ける。最後にキシの部屋を訪れたときだって、お昼ご飯を食べてすぐに外へ出て行くわたしを、キシは追いかけるのに、でも名前を呼ばなかった。アパートを出てそのあたりの道をうろうろと歩き回るのに、キシはわたしの名前を絶対に呼ばない。バラしちゃうけど、あのときわたしはアパートの外へは出てなくて、階段をひとフロア分下りた二階の廊下に隠れてたんだ。気づかれないように距離をとって、キシの後をつけてた。あのときもし、キシがわたしの名前を呼んだら、わたしはすぐに返事をするつもりだった。でもキシは、結局最後までわたしの名前を呼ばなかった。どんな小さな声でも聞き逃さないようにと、一生懸命耳をそばだてているわたしを、キシは無視して部屋に帰った。ねえ、わたしは匿名なんかじゃない。どんな小さな声でもよかったのに、キシはどうしてわたしの名前を呼んでくれなかったの?」

「僕は君の名前を知らない」と、僕は乾いた気持ちで反駁した。「わたしは名乗った」と瞬間的な素早さで「クロ」は否定した。「初めてキシの部屋を訪ねたとき、わたしは『クロ』と名乗ったよ」乾いた気持ちを強めつつも、僕はなおも反駁を続ける。「それはネット上のハンドルネームで、君の本当の名前じゃない。それに加えて、君はそのハンドルネームでさえしょっちゅう変えた。『クロ』の前は『暁』だったし、その前は『トカゲ』だった。順番は忘れたけど、他にも『桐』だとか『バブルス』だとか『千の音』だとかキリがないほどたくさん、君は君の名前を変えた。ここのところ『クロ』で落ち着いているけれど、それだっていつ変わるのか分からない。そんなものは名前とは呼べない。そして君は、君の本当の名前を言おうとしなかった。何度か訊ねてみたけれど、君は答えなかった。僕には呼ぶべき君の名前がない。もちろん、君がしばらくは来ないと言って部屋を出て行ったあの日、僕は『クロ』という仮の名前でもいいから、ともかく君に呼びかけるべきだったかもしれない。それは反省する。でも僕は、少なくとも実際に会って目の前にしている時は、君のことを君の本当の名前で呼びたい、いい加減なハンドルネームで呼びたくない。結局のところそれは、匿名的な呼び名でしかないと僕には思える」

 そう言い切って、僕は「クロ」の返事を待った。でもそれは、なかなかやって来なかった。今回の沈黙の種類は僕には解き明かせなかった。十分を過ぎても返事はなかった、それでも「クロ」はオンラインのままだった。僕はハーブティーを飲み乾したカップを流しまで持っていき、簡単に洗って水きり場に置いた。そして、無意識のうちに大きく息をついた。肺の中の空気を残らず外に出してしまうくらい、長く。リビングに戻ってテーブルの上のノートパソコンを覗き込むと、画面には「クロ」からの長いひと続きのメッセージが届いていて、そして「クロ」はオフラインになっていた。メッセンジャーのウィンドウ上部には、「メンバーはオフラインのためメッセージが届かない可能性があります」という文字が冷たく表示されている。送られてきた長い文章の最後は、「クロ」の書く文章として僕が初めて目にする、十個近い数の感嘆符の羅列で締めくくられていて、僕の動揺をさらに強いものにした。「わたしがキシの目の前で名乗る『クロ』という名前は、キシにとってはわたしの本当の名前にはなりえないの? 実際に会って、そして名乗った名前なのに、キシはそれを受け入れてくれないの? キシはわたしの法律上の名前でなくちゃ、わたしの本当の名前とは認めてくれないの? 本当の名前って何? それとも問題なのは、わたしが自分のハンドルネームをコロコロ変え過ぎることにある? それならキシが名前を与えて。わたしの本当の名前をつけて。キシがくれた名前なら、わたしはもうそれを変えることは二度としない。ねえ、キシ、やっぱり『クロ』じゃダメなのかな? キシの言うとおり、『クロ』じゃ本当の名前とは言えないのかな? でもね、キシ、それでもわたしは、何があっても匿名的じゃない。絶対に匿名的じゃないんだ。そのことをキシはちゃんと理解してくれてない。名前のせいなんかじゃない。今は確かに本当の名前がないのかもしれない、それでもわたしは、絶対に匿名的なんかじゃない!!!!!!!!!!!」

 僕はメッセンジャーのウィンドウを消し、代わりに「アイスパレスの王女さま」の文章ファイルを開いた。目を閉じて、そして目を開き、まばらにその内容に目を通す。主人公に名前がない(・・・・・・・・・)、読んでいるうちにそのことがチクチクと気になりだした。「ねこの目の女の子」が呼びかけるとき、その呼び名は意図的に隠されている。それはモデルとなったあの女の子にそぐわない。思い返してみれば、女の子は僕に呼びかけるとき、必ずといっていいほど「キシ」という名を使った。「キシ」は僕の苗字から取った、僕の昔からのあだ名で、それをそのままネット上のハンドルネームにも採用している。だから女の子からそう呼びかけられるとき、僕は特にそれがハンドルネームであると意識してはいなかった。でも女の子にとって、それはハンドルネームに過ぎなかったのかもしれない。ハンドルネームでは、本当の名前とは言えないのか? 自分で言っておきながら、すでに自分では分からなくなっている。僕はため息をついた。女の子の呼ぶ、「キシ」という名前が頭の中で再生される。ねえキシ/キシ/キシ? 「ねこの目の女の子」が呼びかけるときの声は年齢の割りにややハスキーなその声で、そして呼びかけるのはその名前でしかありえない。「キシ」。「ねこの目の女の子」は主人公の青年に「キシ」と呼びかけた。僕は「アイスパレスの王女さま」の文章を、そのように修正し始めた。主人公に名前が生まれた、でも「ねこの目の女の子」は、相変わらず「ねこの目の女の子」のままだった。

 文章を保存して、ノートパソコンを閉じた。立ち上がると急に疲れを感じて、僕はベッドに倒れこんだ。妙に体が重かった。うつ伏せのまま、ふと視線をずらすとベッドと壁の間に本が落ちているのに気づいた。手を差し込んで取り出してみると、それは女の子の読んでいた黄色い表紙のプログラミングの本だった。もともと僕の持ち物だったけれど、女の子が欲しいと言ったので譲った。だから最近部屋に見当たらないのは女の子が持ち帰ったからだと思っていた。でもそれはここにあった。女の子が不注意でここに落としたのか、それとも意図的に置いていたのかは分からない。僕は仰向けに寝返りを打って、ぱらぱらと本をめくる。大学生協で購入したプログラム言語に関する初級の参考書だけど、大学の講義の参考書として買ったのか、それとも自分で興味を持って買ったのかは思い出せない。結局、僕が好奇心を持ってプログラム言語を勉強し続けることはなかった。本棚の隅に押しやられ、存在さえ忘れかけていたその本を、女の子は見つけ出してきて読み始めた。面白い? と訊ねると、僕にはつまらなそうにしか聞こえない声で、面白い、と女の子は言った。

 ページを繰っていると、隙間から折り畳まれた紙片が僕の顔に落ちてきた。取り上げて開いてみると、それはA4の紙にプリントされたグーグルマップだった。マークされた地点は市内の別の区の神社のようだった。日付は最近のものなので、おそらく女の子がサイトからプリントアウトして挟んでおいたものだろう。どうしてその神社の周辺地図が女の子に必要だったのか、僕には見当もつかない。よく聞く名前の神社でもないし、地図で見る限り規模の大きいところにも見えない。と言うよりもむしろ、とても小さい神社、と言ったほうが近いだろう。それは住宅地の片隅に孤立して建っている。おそらく小高い丘の上にあるのだと僕は思う。まわりに他の建物はない。僕にとってもその神社には全く馴染みがないのだけれど、不思議なことに紙の上部に印字されているその神社の住所を見ていると、何かが僕の記憶を喚起する。それもごく最近、この付近の住所をどこかで見たのだ。それを思い出そうと地図を仔細に見ていると、すぐに地図上のある文字に目が留まり、僕の心臓は乾いた音を立て始める。マークされた神社からそれほど離れていないところにある地下鉄駅の名前は、先日ユサが言っていた、「ねこ殺しの街」の駅だったから。この神社は、「ねこ殺しの街」に建っている。

 体を起こして窓の外を見た。霧のような小雨は、いつの間にかやんでいた。

次回更新は6/18(土)を予定

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