8 「仙台UFOクライシス」
昨日の晴天がウソのように、目覚めると雨が降っていた。ささやくような雨音が聴こえ、窓の外を見ると霧のような小雨が世界を覆っていた。雨脚は強くないけれど、途切れることのない、ひどく執念深い降り方をして、雨は昼過ぎまでやむことはなかった。だから「ねこ殺しの街」には行けなかった。僕は午前中の時間を目一杯、小説の書き直しに費やした。掃除も洗濯も買い物も、済ますべき用件は全て昨日のうちに片付けていたから。
この日も女の子は訪ねてこなかった。昼前に一度ベルが鳴ったけれど、インターホンに出ると応えたのは若い男の声で、僕に宅配便を配達しに来たと伝えた。ドアの前まで来てもらい、受領書にサインをして段ボール箱を受け取った。部屋に戻りカッターナイフで箱を開けると、中にはビニールに包まれた大小さまざまなサイズの本が収められていた。インターネット通販で注文していた本だ。覆いを切り取り何冊か抜き出してぺらぺらと読んでいると、いつの間にか時刻は昼の一時を過ぎていた。特にお腹が減っているわけではないけれど、ともかく何か食べようと思いキッチンへ行く。冷蔵庫の中身を点検し、結局今日もスパゲティを茹でることにする。ホールトマトの缶があったので、トマトソースを作る。「アイスパレスの王女さま」の中では食べられなかったトマトソースのパスタを、僕が代わりに現実に食べる。余ったソースは容器に容れて冷蔵保存した。今日の夕食にでも使えばいい。
食後にハーブティーを作って飲んだ。ビスケットを齧りながら特に目的もなくパソコンを立ち上げてメッセンジャーを起動させると、意外なことにここ数日ずっと見かけなかった「クロ」がオンラインになっている。僕はカップをすすりながら、「クロ」に声をかけようか迷った。でも僕が決断をする前に向こうのほうからメッセージを送ってきた。「あれからUFOも見ないし、どこかの街が破壊されたってニュースも聞かない。とりあえずは平和な毎日が続いてる。でもまだ安心はできない。キシの言うとおり、わたしたちはあいつらの正体を知らない。異星人の乗り物かどうかさえ分からないし、もちろん名前だって分からない。そんな相手の行動を、予測することなんてできるはずがない。キシの書く小説の通り、あいつらがいつ何時わたしたちの街を破壊するか、分からない。そうでしょ?」どこかしら挑戦的なその口調を懐かしみつつ、僕は返事を打つ。「僕は予言を書いているわけじゃない。僕が書いた物事を、そのまま現実に起こりうることだと思って心配する必要は全然ないよ。それはまさに杞憂だ。もちろん可能性がゼロというわけじゃない。そのUFOがある日前触れもなく街を破壊する、ということは絶対にないとは言い切れない。でもたぶん、そうじゃない可能性のほうが圧倒的に高い。別に見間違いだったと疑うわけじゃないよ。君は確かにUFOを見たんだと思う。でもそのUFOが、街を破壊するUFOである確率は無視できるほど小さいはずだ、だってUFOが街を破壊したなんて記録は今まで一度も見つかってはいないからね。おそらく有史以来そんなことは一度も起こらなかったはず。今まで一度もなかったことだからこれから先も絶対にない、とは言えないけど、そんなことを言い出したらキリがない。巨大隕石について心配するほうが有益だ。だから君が見たUFOについて心配する必要はないんだ」
五分ほどの長い間をあけて、「クロ」からの返事が届いた。「まずはありがとう、おかげで『呆れてものが言えない』という状態を実地に体験することができた。虚脱感というか、肩の力が抜けて、もういっそこのままパソコンの電源を落とそうかとも思ったよ。キシ、いつも思ってることだけど、もう少し真面目になったらどうなの? 真面目になるってことがどういうことなのかさえ分からないの? もしかして生まれてから一度も真面目になったことがないの? キシは確かに頭のいい人間とは言えないかもしれない。でも、頭が空っぽだというほどじゃない。真面目になれない種類の人間じゃないはずだよ。ただキシにその気がないだけだ。ねえキシ、キシは以前にUFOが街を襲う筋書きの小説を書いて、わたしはそれを読んだ。そしてある日わたしの頭上にUFOとしか言いようのない奇妙な光が通り過ぎていった。問題はこんなにまでシンプルなのに、どうしてキシは確率なんかの話をするの? どうして数学なんかの話を持ち出すの? キシの言葉の中に、不安に怯えるわたしの影の一部分でもあった? ないよね、そういう生身の部分を全部引っこ抜いて、キシは確率なんて言葉を持ってきてわたしの話を誤魔化そうとするんだ。深く考えることが面倒だから、楽なほうへと行こうとする。確率の話をされれば、とりあえずは納得しないわけにはいかない。数学的に正しいんだからね。でもわたしの個人的な体験による不安への考慮は、一切無視されている。だから何の解決にもなっていない。わたしの不安は解決済みの札のかかった倉庫の中に放り込まれるけれど、でもその中で人知れずもくもくと膨らんで、いつか倉庫の扉をぶっ壊す。キシ、この前のメッセでの会話の最後にわたしは『何でもないってことは、わたしだって分かってる』と言った。今キシが費やした言葉は、それを詳しく書いたに過ぎない。それともキシは、わたしとの会話なんていちいち覚えていない?」長く辛辣なそのメッセージに対する返答を僕が考え出す前に、「クロ」はあっさりと話題を先に進めた。「さて、UFO問題に帰ろう」
間をあけず、「クロ」はメッセージを送信する。「あの作品『ブレイキング・ニュース』にはおもに四人の人物が登場する。大学生の主人公、引きこもりの妹、ふたりの父親、そしてUFO。妹は一ヶ月前から急に部屋に引きこもってしまい、その理由は主人公にも分からない。本人にいくら聞いても、そのわけを教えてくれない。困り果てているところに、ある日何の前触れもなくUFOが現れて、主人公たちの住む街を徹底的に破壊する。するとここ一ヶ月の間ずっとパジャマ姿だった妹が突然着替えを始めて、UFOに襲われて怪我をしているかもしれない父親の救援に出かける、と言い出す。止める主人公の声も聞かず、壊滅状態となった市街地のほうへと妹は駆けていく、そして物語は終る。話の中に出てくる三つの謎は、結局解明されることはない。何故妹は引きこもっていたのか、何故UFOの爆心地へと出て行ったのか? そして、そもそもUFOは何の目的で街を破壊したのか? 作品の読み手と主人公は、その謎にただ振り回される。ねえ、キシ自身もその三つの謎の答えは考えてないんじゃない?」四分ほど間をあけて、僕は答える。「確かに、それらについてしっかりとした想定を持っているわけじゃない。僕もある意味では傍観者のひとりだ、頭の中に浮かぶ情景を、ただ文章に起こしているだけでその世界の全てを知悉しているわけじゃない。その世界は、僕の支配下に治まっているわけではないんだ」
この返答を予期していたかのように、「クロ」は素早く言葉を返した。「別にわたしはキシがキシの作品の世界の何もかもを知っているべきだ、なんて思ってるわけじゃない。ただわたしは、キシがその謎について深く考えてみることをしていないんじゃないか、と言ってるんだ。答えを無理やりひねり出せと言ってるんじゃない、ただ一度くらいそれについて考えてみたかって訊ねてるの。UFOが何故街を襲ったのか、主人公の妹はどうして自分の部屋に引きこもり、そして出て行ったのか? あの作品を全編通して読んでみても、その謎に対する作者=キシの態度が、冷淡なようにわたしには思える。もっと言えば、キシは『そんなことはどうでもいいじゃないか』と考えているようにわたしには思える。『詳しい理由は分からないけれど、彼らには彼らなりの理由があるのさ』、結局のところそれがキシの謎に対する態度じゃない?」この文章を読んで、僕は昨日「夜鷹」が言っていた距離感という言葉を思い出していた。中立的な、あるいは中立であることを装った文章の、殺されるねことの距離感、殺すねこキラーとの距離感、雪ねことの距離感、そういうところに僕は心を乱されるんじゃないかな。僕が何かを言う前に、「クロ」は畳みかけるように言葉を繋ぐ。「キシの下らない言い訳は聞きたくないから、話を先に進めるね。UFOに関する謎に的を絞って話をしよう。UFOは、物語を読む限りまず単独で日本のある地方都市の上空に現れて、その市街地を爆撃する。その街が主人公たちの住む街だね。どうしてUFOは最初の爆撃地に日本の地方都市を選んだのか、それもひとつの謎。ニューヨークでもパリでも、東京でもなく。ともかく、その最初の爆撃を主人公は目撃する。UFOは一度だけ大きな爆発を起こした後、姿を消す。でもその巨大な音と振動は街中の人を驚かし、引きこもりの妹もびっくりして部屋を飛び出す。しばらくして、テレビ画面の上部に現れるニュース速報のテロップは、『××市市街地で爆発、けが人が出ている模様』とひどくそっけない。特番体勢に切り替わる放送局はまだどこもなく、昼前の気楽なプログラムを流し続けている。その一方で、窓の外には再びUFOが現れている、それも四台も。そのUFOたちが新たなより烈しい爆撃をおこなうと、市内の電力の供給は遮断され主人公たちのリビングのテレビも映らなくなる。妹は決断し、服を着替え、玄関を出る。UFOが爆撃を二回に分けた理由は何だろう? もちろん、物語はここで終るけどこの後にUFOたちはさらに数を増して爆撃を続けるのかもしれない。いずれにしろ、最初UFOは一台だけ現れて爆撃をおこない、そして間をあけた。そこに意味はあるのかな?」
僕はそれについて考えた、でも「クロ」を満足させるような答えは一向に浮かばなかった。無言の時間が五分を刻み、十分を刻み、そしていつの間にか十五分を刻んだ。その間「クロ」はどんなメッセージも発しなかったし、僕もしかるべき言葉を何ひとつ見出せないでいた。重い沈黙が続いた。それは僕を責めたてるように続いた。結局僕が言葉にできたのは、「分からない」という答えだけだった。「クロ」の最後の送信から十七分が経過していた。
「分からないということが分かった」と「クロ」は素早く返事をした。「別に皮肉を言うんじゃないよ、今までキシは、そのことについて分からないことさえ分かっていなかった。今は違う。UFOとわたしたちとの距離が、これで少しだけ近づいた。何万光年という距離が、数センチ縮まっただけなのかもしれないけどね。それともキシは、そんな小さな距離は数学的には無視しても構わないと思う? まあいいや、それについて話すのはやめよう。ともかくUFOの行動は、まだ大きな謎としてわたしたちの前に立ちふさがっている」
そこまでメッセージを送ると、「クロ」は黙り込んでしまった。沈黙は五分続き、そして十分に達した。でもそれは、僕に返事を促す種類の沈黙ではなく、「クロ」自身が次に送るべき言葉を熟考している沈黙だった。僕はぬるくなったハーブティーをすすって、それを待った。「クロ」が続く文章を送ったのは十三分後だった。「キシは『ノベルワーク』に最初に投稿した段階ではあの作品のタイトルを『仙台UFOクライシス』としていた。でもその後、内容に修正を加えて、タイトルも『ブレイキング・ニュース』に改めた。より無個性的な名前に。わたしは初めのタイトルのほうがはるかに好きだった。それが優れたタイトルというわけじゃもちろんないけれど、何となく心に残る。キシが『ノベルワーク』に投稿し始めのころは、こんなふうなぎこちない言葉遊びみたいなタイトルの作品が多かった。若干ふざけたところのある、でも確固としたタイトルが。そう、『仙台UFOクライシス』のときは、主人公の兄妹にも名前があった、ヒロキとミキ。でもふたりは『ブレイキング・ニュース』に改められたときに名前を失った。ヒロキは俺という一人称で、ミキは妹という代名詞で呼ばれている。作品の舞台も仙台市という確かな地名から、ある地方都市というふうにぼかされて書かれた。何もかもが名前を失った。UFOも、『仙台UFOクライシス』というキーワードを失って、さらに無個性的なものになった。少なくともわたしはそう感じた」
そこで再び言葉を切って、「クロ」はしばらく沈黙した。でもそれは、先ほどのような次の言葉を考えている間ではなく、話題を少し飛躍させるための猶予期間のようなものだった。七分後に、「クロ」はこんなことを言った。「UFOの名前は何だろう? それを知れば、わたしたちはUFOについて理解することができるかもしれない。UFOの考えていることを、理解できるかもしれない」それに対して、僕は自分の意見を挟んだ。「何かを理解しようというときに、何かを深く知ろうというときに、その名前が必要なのかな? 名前なんて役に立たないと、僕には思える」
「クロ」の素早い詰問が返る。「つまり、それはキシの書く全ての小説に当てはまること?」
次回更新は6/17(金)を予定




