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竜の花嫁たち  作者: 151A
アリウムの恋
1/48

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 伴侶探しのために三日前に訪れたこの町で町長にアリウムの滞在を許可されたのは昨日の午後遅く。

 流石に日も暮れかけている時間帯に町の中を歩いてみた所で未婚の女たちは通りを歩いていない。


「たいしたもてなしはできませんが、良ければ家へ泊まってください」


 親切な町長の申し出を受けて世話になることにしたが、それが純粋な親切心から口にされたものではないことぐらいはアリウムにも解った。


 竜族は天災のひとつとして人族に恐れられている。


 それは覆しようもない歴然とした事実として認知されており、婚姻を経て晴れて夫婦となり三年経った今でも仲睦ましい義姉が悲しそうに憤っている深刻な事態だった。


 穏やかな陽光の溢れる木陰の下で柔らかな温もりを腕に抱き締めながら、アリウムは切ないため息を吐いた。


 花のような香りを纏った女の髪を撫でると、胸に頬を擦りつけて更に身体を寄せてくる。


 アリウムは女の髪に顔を埋めて嫌悪されない程度にそっと匂いを嗅ぐ。


 どんな生き物もそれぞれが違う体臭を持っており、汗や体温で温められたその匂いが伴侶を選ぶための選定基準として用いているのはなにもアリウムだけでは無い。


 だがそれは竜族や獣人族特有のものであるらしく、中には同族の中でも匂いよりも見た目や性質で選ぶ者も多かった。


 勿論アリウムも匂いだけで選ぶつもりはないが、親しくなりたいかどうかの第一の基準として匂いに拘っているのはきっと、兄に紹介された際にまだ幼体だった自分をその胸に無防備な様子で抱き締めた義姉の行動が原因だ。


 成体と認められない間に接点を超えて単独で人族が支配する世界グリュライトへと訪れることはできないと掟の中で厳しく定められている。


 父親や他の成体である竜と共に里を出て世間を覗く機会はあるが、それはとても多いとはいえない。

 殆どが成体となり付添いの先輩竜と共に訪れるのが初めての来訪になる者が圧倒的だ。


 アリウムは例外的に幼体の時分に何度か訪れることがあっただけ。


 それでも人族の女性と触れ合うことは無く、接触があったのは兄の母だけだ。

 明るくて大らかな性格の彼女は愛しい夫をたった一晩とはいえアリウムの母に寝取られたというのに、その時に腹に宿ったアリウムを恨みも憎みもせずに笑って普通に接してくれた。


 自分が生まれたせいで黒竜の里を出なくてはならなくなったというのに。


 復縁を願う父と共に訪れるたびに彼女は温かい手料理や果物を出してくれ、アリウムの成長を喜んでくれたから。


 竜族の能力や成体へと至るための力を得るにはその里に流れる大いなる源動力が必要不可欠だ。

 アリウムの兄は僅か五歳で里を出る母と共に人族の治めるグリュライトへと移り住み、成長期に里の恩恵を受けることができず一生幼体のままかもしれないと父が懸念していた。


 兄が人族の住む大地で育ちながらも無事に成体へと成長遂げたことを、アリウムがどれほど喜び安堵したか。


 そしてグリュライトで暮らしていたからこそ兄は異界から招かれた義姉の心を射止めることができたのだから悪いことばかりでは無かったと今なら思える。


 幼体だったアリウムより少し背が高いぐらいの身長しかない義姉は華奢とも言える細く頼りない体型をしていた。

 口の悪い兄と仲良さそうに口論する姿や、にこにこと微笑む彼女に淡い恋心を抱かせたのは紛れも無く、彼女の胸に顔を埋めて嗅いだ時の甘やかでいて心が弾む匂いの効果が大きい。


 既に兄と心を通わせている雰囲気があったのと、幼体である自分には婚姻を約束するだけの資格がなかったから諦めたが、大好きな兄が自分の初恋の女性と結ばれて幸せになったのだから本望だった。


 ただあの匂いが忘れられずに伴侶を求めて村や町を訪問する時には必ず女性の香りを嗅いでしまうのだ。


「なにを考えているの?」


 拗ねたように見上げてくる女の顔を見下ろしてにこりと微笑むと、蕩けたように目元を潤ませて頬を赤らめる。

 大概の女性はアリウムが微笑みかけるだけで仕事を放棄して近寄って来るし、優しく腰を抱けばその身を寄せてしな垂れかかってくる。


 だがそれも本気では無い遊びとしての大人の戯れに過ぎない。


 竜族の本質は獣である。


 純粋に生殖のため意欲的に伴侶を探すが、残念なことに決定権は女性の方にあるのだ。

 竜族が子孫を残すには人族の女性の協力が必要だから。


「……竜族のこと」

「ばかっ。こういう時は嘘でも腕の中の女のことを考えてたと言わなきゃダメ」

「ごめん。竜族は雄しかいないから、女心に疎くて」

「ふふ。そういうところが可愛いんだから」


 首にしなやかな両腕を伸ばして女は甘えたように回してくる。

 背の高いアリウムの顔を自分の元へと引き寄せようとしているのだ。

 誘うように薄く開かれた唇は赤く色づいていて白い歯の向こうから舌先がちらりと覗いた。


「可愛いは誉め言葉にならないよ」

「もう……いいから、早く」


 口づけを催促する声にアリウムは急速に心が萎えていく。

 遊び慣れている女はあまり好きでは無い。


 竜族は元々縄張り意識が強く、独占欲が強い生き物だ。


 他の男や雄ともこうして抱き合っているのかもしれないと思うと、互いの温もりや肌の感触を感じていることが苦痛にさえなってくる。

 それでもそんな贅沢を言っていれば、竜族と婚姻して子をなしても構わないと思っている女性と出会えなくなる可能性は高い。

 身持ちの堅い女が生まれ育った村や町を捨て、家族と会えなくなる暮らしを求めてくれるとは思えないからだ。


「ちょっと、待って――あれ……?」


 女の腰と背中に回していた腕を解いて首に巻きついた手を離そうとした時、三軒先にある白い壁の家から出てきた人影に気付いてアリウムは視線を向けた。


 真っ青なスカーフから覗く緩く波打つ金茶の髪の先が柔らかそうに風に靡いて目を奪われた。

 扉から出てすぐにこちらに背を向けて歩いて行ってしまったので、横顔をちらりとしか見ることができなかったので細かい顔の造作は解らない。


 それでも思いつめたような表情をしていたことと、鮮やかな青いスカーフの印象があまりにもちぐはぐで胸がざわついた。


「あの子、誰?」

「やだ、私以外の子に目移りしないで」


 鼻にかかった甘えた声に正直辟易しながらアリウムは苦笑いする。


「君が俺の伴侶になって黒竜の里へ一緒に来てくれるのならそうするけど、」


 違うよね?と言葉にはせずに首を傾げることで匂わせると、興醒めしたかのような顔で肩越しに振り返り、小さくなっていく青いスカーフの女を確認して「エリス」と短く返答した。


「彼女身体でも悪いの?随分と暗い顔してたけど」


 エリスという名の青いスカーフの女が訪問していたのは治療師の家だった。

 治療師の家は誰にでも解るように、白い壁に黒い瓦屋根を使用して建てられているから間違いない。


「あの子じゃなくて弟が病気なのよ。なんでも珍しい病気らしくて」

「へえ~」

「二年前の流行り病で両親ともに死んじゃって、治療代と薬代の代わりに自分の身を差し出してるって噂があるわ」

「……そりゃ不憫だね」

「エリスの両親は腕のいい染め師だったけど、あの子の染物はまだ色むらがあるから人気も評価も低いのよ。弟のために出来ることっていったら、他に交換できるものないだろうし」


 乱れた髪とスカーフをなおして女は小さく嘆息する。


 豊かな胸と抱き心地の良さそうな肢体はどんな男が見ても垂涎ものだろう。


 だがアリウムには手に余る。


 遊びが目的の女性と戯れに時を過ごすよりも、伴侶となってくれそうな真面目な女性との接点を求めたいと思うのは仕方がないことだ。


「あの子を見初めたのなら、落とすには相当の根気と努力が必要だと思うわ。それに弟のこともあるしね」

「そんなに悪いの?」


 女は眉を寄せて物憂げな顔をする。


「いっそのこと悪いのなら問題は少ないんじゃない?だらだらと寝たり起きたりを繰り返して生きられたら、エリスだっていい人がいても幸せにはなれないわよ」


 酷い言い草だったが、病気の弟も一緒に面倒を見てやろうという奇特な相手などそうそういないだろう。

 女が言うように近いうちに訪れる死を待つのなら期限を切ってそこまで我慢すればいいが、病が小康状態のままならばエリスは一生弟のために生きなければならなくなる。


 自分の幸せは放棄して。


「だからあんなに」


 辛そうな顔をしていたのかと彼女が去って行った道を見つめた。

 自覚は無かったがきっと物欲しそうな表情を浮かべていたのだろう。

 女が苦笑いしてアリウムの肩を押して「行くのならさっさと行きなさいよ!」と嗾ける。


 男女の仲を遊びと割り切れる女は切り変えも早い。


「ありがと」


 礼を言ってとびきりの笑顔を送ると、眩しそうに目を細めて女も唇を綻ばせて微笑む。

 走り出したアリウムを追いかけてきた「上手く行くといいわね」という言葉に背中を押されながら青いスカーフを求めて視線を彷徨わせた。


 人族たちの世界であるグリュライトは比較的穏やかな気候と豊かな緑に溢れた実りの多い大地が広がっている。

 村や町があちこちに点在し多くの集落を形成して生活しているが、自給自足が基本であり、更に基盤を作るためにそれぞれが手仕事を持っていた。


 村や町を纏め取りしきる長が一番偉く、次に住民の命を護る仕事である治療師や薬草師、武術や剣術の腕がある者などが発言権や信頼を手にしている。


 この世界では欲しいものがある場合はそれ相応の価値のあるものと交換して手にいれる。


 多くのものを持っている者はまだいい。


 土地や家、畑の収穫物、狩りで得た肉や皮、家畜、糸を紡いだり、織り機を使って反物を作ったり、交換したりして人族は暮らしているのだ。


 両親や祖先が細々と蓄えてきた財産を使い、それが無い者は自らが差し出せるものを相手に提示して納得してもらえれば交換してもらえる。


 幾ら穏やかであるとはいえ、自然災害や不慮の事故や人災などで農作物が不作になったり、焼失したり、野盗に襲われて命を救ってもらう代わりに財産を全て奪われてしまったということもよくあるのだ。


 だからエリスが薬を手に入れるために自分の身体を見返りに出していると聞いても、町の人たちが彼女の行動を責めることはない。


 この地方の人族は総じて明るく奔放だ。


 婚姻を結んだ女性は余所の男と関係を持つことは無いが、死に別れたり、どうしようもない旦那に愛想を尽かして離縁をしたりした場合はその限りでは無いらしい。


 女性はあっさりと次の人生を頼もしく生きることができる。


 その分男は憐れだ。


 別れた女性への思いを女々しく引きずり、立ち直れずに身を持ち崩す者が多い。


 それでもまだいい。

 次の出会いに期待して、新しい恋に生きることができるのだから。


「エリス!」


 町の外れの方へと歩いて行く後ろ姿を漸く見つけて、アリウムは覚えたての名前を呼んだ。

 思いがけず弾んだ声をしていて驚いたが、それだけ期待感があったのだと思う。


 自分を呼ぶ声に馴染がなかったからか華麗に無視され、エリスの真っ青なスカーフは建物と建物の間へと消えていく。


「エリス?エリスさん?エリスちゃん?えっちゃん?エリちゃん?」


 思いつくままに愛称を交えて呼んでみたが、どれにも反応がないので必死になって頭を働かせる。


「エリー?エリエリ?あー……あと、なにかあるかな?」

「うるさい!!」


 首を捻りながらエリスが曲がった路地へと入ると、勢いよく怒鳴りつけられてアリウムは目を丸くする。


 長い金茶色の前髪の下から睨み上げてくる茶色の瞳は小さいながらもくっきりと二重になっていて、長い睫毛が密集してくるりと上を向いているからか大きく見えた。

 小振りの鼻と小さな唇、顎が小さく丸みの無い頬は若いのにやつれているような印象を与える。

 ふわふわと揺れる髪は胸の辺りまでの長さがあり、結ばずに下ろされているのでエリスが未婚の女性であることは確かだ。


「そんなに連呼しなくても聞こえてる!わざと無視してたのに、こんな所までついて来るなんて……貴方一体なんなの!?」


 怒りのためか僅かに上気している頬がほんのりと赤らんでいてアリウムの心拍を跳ね上げさせた。


「俺は黒竜のアリウム。聞いてない?年頃の娘さんのいる家には町長から知らせが届いてると思うけど?」


 竜族に大切な娘を攫われては困る両親のために必ずどの家にも知らされるはずだ。

 そのためにアリウムは三日間も町の外で監視のもと許可を待ち、全ての家に話が行き届いた所で初めて町へと入ることを許されるのだから。


 だからエリスがこの町に伴侶探しに滞在している黒竜がいることを知らないはずがない。


「黒竜……。そう。貴方がやたらベタベタと接触すると噂になっている竜族なの。どうりでさっきもメリッサと仲良く抱き合っていたわけね」

「メリッサ?」

「ちょっと、あんなに親しげに抱擁していた癖に名前も知らなかったの!?」


 柳眉を逆立て、あまりにも感情が高ぶりすぎたのか裏返った声でエリスは叫ぶ。


 「呆れた……」と首を左右に振り、これ以上は話すことは無いと態度で示してくるりと背を向けてくる。


 そのまま歩き去りそうな雰囲気のエリスを慌てて腕を掴んで引き止めると、力が入りすぎたのか自分の胸に抱き寄せるような形になってしまった。


 染料のものだろうか、鼻につく匂いと薬草の乾いた匂いが混じった上に汗の匂いと明らかに女性のものではない匂いが漂ってきてアリウムは思わず眉根を寄せる。


「ちょっ!どういうつもり!?」


 瞬時に身を硬くしたエリスが掴まれている腕を振りほどこうと身じろぐが、人族と竜族では圧倒的に不利だろう。


 ただでさえ女性は筋力や体力は男に劣る。


「私なんかより、メリッサみたいな娘の方が一緒にいて楽しいでしょうが!さっさと戻って二人で仲良くしたらいいのよ!」

「んー……俺はちょっとあんな感じの遊び慣れてる子は苦手なんだよね」

「貴方の好みなんか聞いてません!私は忙しいの!染物の仕事もあるし、家で弟が待ってるんだからっ」

「じゃあエリスの好みは?教えてくれたら俺頑張るよ?」

「がっ!?頑張るって、なんなのよ、それ!メリッサみたいな遊び慣れてる子は苦手って言いながら、さっきあれだけ睦み合っていたくせに――!ちょっと!なにしてっ!?」


 狼狽えた声を聞きながらエリスの首筋に顔を埋めるようにして近づけると微かに甘い女性特有の香りがした。

 勿論他の人族の匂いもして腹の底がそわそわと落ち着かなくなる。


 彼女に触れた男がいると思うと面白くない。


「やめて!」

「なんで?」

「なんで!?こういうの、嫌だからに決まってる!」


 アリウムの胸に両手をつけて押し退けようとしているエリスは青い顔で抗議する。

 それを聞いた途端仄暗い感情が頭を擡げてきて意地悪くアリウムは微笑んだ。


「治療師の男とは良くて、俺とは駄目なんだ?」

「――――!?」


 色を失い、震える唇を必死に前歯で押えながらエリスが懸命に睨んでくる。

 その姿がいじらしくて。


「可愛いね」

「――――っ!!」


 次には真っ赤になって「からかってるのなら別の子を探して!」と怒鳴り散らされた。


「エリス、竜族はたったひとりしか愛せないんだ。だから必死で伴侶を探してる」

「そんなこと、関係ない!私には、」

「あるかもしれないよ?だって君が俺の運命の女性ひとかもしれないんだから」

「絶対、違う!!」


 有り得ないと断言され、エリスの表情にも拒絶の色しか見えないことにがっかりしながらもアリウムは笑顔を浮かべたまま優しく見つめる。


 嗅覚による確認はできなかったが、彼女の生まれ持った真面目さと勝気な性格は十分にアリウムの好みに合っていた。


 だから。


「また、会ってくれる?」


 本気のお願いをしてみるが「お断りです!」とにべも無く跳ね除けられて、苦く笑うしかなかった。


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