姫騎士様の受難
モリタニアと呼ばれる連合国家が生まれたのは今から百年前ぐらい。元々はエルフの国と人間の国とダークエルフの国同士が血で血を洗う大戦争をしていたらしいが、そこにオーク族も参加したもんだから、混乱は更に加速。
困った事に戦争っていうのはバカみたいにお金もかかる。そこで当時の人間国の王様がいいました。
「戦争辞めよ!」
こんな簡単な言葉で言ったかは定かじゃないし、高度な政治的やりとりが合ったのかもしれないが、なんやかんや連合国家として産声を上げたのは子供でも習う常識だ。
さてそんな国ができて百年と少し。現在のモリタニアは、見事に不景気の真っ只中。 不景気で人件費削減して開いた穴を埋める為に派遣社員を使うのは、なにもスーツをきた商社のエルフ社長や動物園を経営する狼男のオッサンだけでもじゃない。
顔に大きな傷をつけた盗賊団の親玉も、詐欺グループを操るインテリギャングもみんな平等にサービスを使う。
「えぇ~今日はモリタニア王都北西部の人間エリアを襲撃すること業務内容になっています。皆さん大丈夫ですか? 内容としましては、あそこに見える倉庫ありますよね。あそこに入っている小麦やら収穫されたばかりの農作物を奪う業務になります」
馬車の中ではドンヨリとした重そうな雲が空を包んでいたのに、現場に着いた途端に切れ間に蒼をのぞかせる空模様になっていた。
社員さんの指指した先には、王都の外に広がる草原に居る俺たちにでさえ確認できる青色のトタン屋根。城壁からはみ出いるその屋根が確認できるっていうことから大きさは簡単に想像出来た。
「先輩! 先輩ってば!」
「なんだよ?」
「襲撃とか聞いてないんですけど!」
「そのうち慣れるよ」
社員さんが業務の説明をしている間も続く派遣社員のざわめきの中で、佐々木くんは不思議そうに俺の顔を覗きこんでいた。
俺も一年前までは今の彼と同じように『全くこの派遣の仕事を取ってくる奴は何を考えているんだか……普通に犯罪者の片棒を担がせるなんてあり得ないだろ』とか考えていたはずだ。
しかし時というのは残酷なもので、俺から思考能力を奪い、誘拐成功で支払われるボーナスに心を踊らせる純粋無垢な犯罪者となっていたのである。
「えぇ以上で本日の業務内容の説明となります。他に質問等はないですかね? では内容ですので……あっ一点追加の内容がありました。先ほど上司に電話したところ、今回の業務では指揮官クラスを捕縛した方に四十万エンの褒章プログラムを適用する運びとなりました。えっとですね。今回あの街には王様の娘さんである姫騎士の島津・ナイト・杏樹様が外遊なされているようなのでですね。余裕があったら誘拐の後、身代金の請求をしたいとのクライアントからの意向がありましたのでよろしくお願いします」
静けさだけが辺りを包み込む。しかしこれは只の前触れ。
「よっしゃぁぁぁぁぁやるぜぇぇええええええええええ」
「うわぁぁぁぁぁ今日は朝まで飲めるぞぉおおおおおおおおおおおおおお」
「おいお前チーム組んでやろうぜ!」
社員さんの言葉が俺以外の派遣社員の脊髄を通りぬけ、脳内をひと通り駆け巡ったその時。俺の周りには奇声のような声をあげモチベーションを上げる変態達の集団が出来上がっていたのだ。
四十万エン。普通に仕事をしていれば三ヶ月分の給料にお釣りが来るぐらいのお金だ。だれだって欲しい。俺だって欲しい。
「はい。じゃぁこれから班の割り振りをお伝えします。いいですか?」
周囲の盛り上がりをまるで無視するみたいに、社員さんは淡々と名前を呼び出していく。
呼び出された派遣達はスキップ混じりで、一人また一人と倉庫へ走って行く。
早く呼び出さなければ最前線に行くのが遅くなる。つまりは姫様を捕まえる絶好のポイントを他の派遣に取られることになる。頼む! 早く呼び出してくれ!
そう願う俺の気持ちとは裏腹に呼び出しが終わってしまった。
「あ、あの俺は?」
「あれ? 聞いてなかったの? 今回の仕事はかなり大掛かりなものだから現場待機班も作るって? 頼むよちゃんと説明してるんだから聞いてもらわないと!」
「えっ?」
そう言えば佐々木くんが話している時になにか説明していた気もする。
「先輩ちゃんと聞いてなかったんすか? 自分と先輩、待機班っす! よろしくっす!」
いやいやいやいやいやいや
俺の四十万エンは? なんで俺だけ外野なの? しかも今日配属の新人と!
「ち、ちょっと待って下さい! 俺も倉庫班回してくださいよ! 困ります! 俺もボーナス欲しいんですけど!」
「そう言われても、里中さん倉庫でもの運べる程体大きくないでしょ?」
(またか……)
基本的にオークは力が強い。エルフは器用。人間はどこででもある程度のパフォーマンスが期待できる。そういうイメージが社会に根付いてる。
じゃぁいざ自分の事を顧みるとどうだ。オークって言っても人間とそこまで大差ない外見だ。人間にしては色黒かなレベル。だけど角だって生えてるし犬歯なんて人間より数倍は大きい。オークだけどオークっぽくない。人間っぽいけど人間でもない。この見た目が就職活動の失敗に大きな影響を与えた。
「あっ君オークなんだね。ごめんねウチ今欲しいの人間なんだ」
「オークにしてはちょっと体型がね……力仕事とか任せらんないかな」
こういうわけで俺は社会からつまはじきになってしまったのだ。
一応国の法律で種族関係なく職業選択の自由っていうものが決まってはいるけど、それだって種族フィルターが無くなるわけじゃない。
「わ、わかりました……」
文句をいえる身分じゃない。
こっちは派遣。
向こうは正社員。
俺は奥歯で文句を噛み殺し、精一杯の声で了承した。
「せ、先輩! ほら逆に言えば俺たちだけで利益独占の可能性も無くはないんですから!」
「佐々木さんの言うとおりですよ。じゃぁ僕も現場行ってくるので馬車の警備の方おねがいしますね」
もし四十万があれば目標の貯金額にも到達するはずだった。
まだ見ぬ魅力的な企業からの内定ももらえるはずだった。
こんなに悲しい想いをするなら、初めからボーナスがもらえるチャンスがあった事すら知りたくはなかった。
肩をすぼめ、意気消沈した俺に掛けられるのは、肩をポンポンと叩く佐々木くんの慰めだけだった。
カーンカーンカーン
遠くからでも分かるようなけたたましい警戒を住民に知らせる鐘の音が鳴り響く。今ごろ小麦粉班はせっせと荷物を運んでいるだろう。
そんな忙しいであろう現場とは裏腹、俺たち馬車護衛組(俺と佐々木くん)は都市部と倉庫までをつなぐ道にただただボーっと立っていた。
「せんぱ~い。元気だしてくださいよ」
みすみす四十万を手に入れるチャンスを失いうなだれていた俺を励ます佐々木くんの声が皮肉の様に聞こえるほど、今の俺は荒んでいた。
「だってお前四十万だぞ! 四十万!」
「いやそりゃ自分も惜しいとは思いますけど……」
「よし、今からでも遅くない! 最前線行こう!」
「ちょっとちょっと! ダメですって! それに嫌っすよ! だって現場って刃物もった騎士とかが来るんでしょ? 先輩はいいっすよ! オーク何ですもん。でも俺人間っすよ? 斬られたら死んじゃいますよ!」
「そ、そっか……」
「でもそんなにお金欲しいって先輩お金に困ってるんですか? あっわかった。先輩女の子に貢いじゃってお金無いんでしょ!」
「君さ、あんま物怖じしないっていうか、普通の人だったらそういう事面と向かってオークに言わないよね?」
「だって先輩、他のオークと違って怖くないですもん。オークにしてはそんなに大きくないし。なんて言うか人間と変わらないっていうか。俺ホストやってて思ったんですけど人って見かけじゃなにも分かんないもんですよ。なんかダルいじゃないですか。オークだからとか、人間だからとか」
「佐々木……」
ストレート過ぎる佐々木の感情に一瞬感動してしまった自分が居た。
「それにしてもヒマっすねぇ~。姫騎士でしたっけ? あぁこねぇかな~」
「さっき斬られて死ぬから嫌だ。とかいってじゃん」
「そりゃまぁそうですけど、先輩が前線で取り巻きの騎士なんとかしてくれるなら俺の魔法でワンチャン捕まえちゃいますよ!」
気が強いんだか弱いんだかわからない佐々木くんは、おどけた表情で笑ってみせた。
「ワンチャンって……あのねぇ佐々木くん、まぁ意気込みはいいんだけど……。その話し方はどうにかしたほうがいいよ。なんていうか社会人なわけだし」
「先輩!? 先輩!?」
「なんだよ! 人が話しているっていうのに!」
大群の何かがこちらに向かってくる音。これは……そう地鳴りだ。
正面から舞い上がる砂埃は合った言う間に俺たちを包み込み、視界を一瞬にして真っ白に染め上げていく。自分の腕でさえも見ることがやっとの状態だ。
どこかに逃げようにも視界の悪さに右往左往するしか無いこの状態が続き、視界がクリアになる頃には数えきれない程の騎兵に取り囲まれていたのである。
「あの~、もしかして王立騎士団の人達ですか?」
どうみたってそうだろ。
どの兵士を見ても、屈強な肉体が鋼の鎧を着こなしている。乗っている馬までが、その辺のロバの親戚のようなに間の抜けた顔をした駄馬とは違う精悍な顔立ちをしているんだから間違いない。王立騎士団そのものだ。
俺がじっと辺りを確認すると声が聞こえる。
「王立騎士団団長島津・ナイト・杏樹である! そこのもの! 道を開けよ!」
声とほぼ同時に騎兵の海は真っ二つ割れ、声の主と俺たちを結ぶ一筋の道が出来上がる。
声の主はその奥で馬に跨っていた。
黄金と白金で丁寧に作りこまれた高そうな鎧が似合う騎士なんてそうは居ない。ましてや女の子ならなおさらだ。
佐々木とは違い、くすみもない天然物の金髪が風にたなびくその姿は気品で溢れている。
「…………………佐々木くん?」
「なんすか先輩?」
「これ……ワンチャンあるね……」
「そこのもの! 聞こえているのか? 道を開けろと言っている! 聞こえないのか!」
「いやでも先輩? すげー騎兵居ますけど辛くないですか? 多分なんすけど、これ俺ら串刺しですよ?」
「いや此処は引けない。頼む! 一生のお願いだ! 俺の貯金の為に死んでくれ!」
「いや困りますよ! 俺彼女いるんすから!」
月明かりが夜を照らし、狼男の遠吠えが聞こえる。察するに夜更け真っ只中ってかんじだろう。
ジメッとした空気に走り回るネズミの足音。ここで一週間暮らせって言われたら無言で首を横に振る劣悪な環境。檻で囲まれた出口のない部屋。あるのはボロボロの机と椅子が一揃い。そんな環境で朝まで過ごさなきゃ行けないっていうのが苦痛でしょうがなかった。
「いやーまさかこんなことになるとは思わなかったっすね」
「ほんとな……」
「でもなー、俺今日夕飯用意しといてって彼女に言っといたのに、これじゃぁ帰れないですよね。これって残業代とかでるんすかね?」
「分かんないよ! 俺は社員でも無いんだから、何でも俺に聞かないでくれよ……」
「最悪だな~。まっいいか。つーか先輩。さっきから思った事あるんすけど言っていいすか?」
「なんだよ……」
「顔……にやけてますよ?」
「それはお前もだろ」
ガハハハハハハハハ
何もない牢獄に反響する笑い声は、戦隊物の悪役がヒーロー達をボコボコにして、ついでに本部も助っ人にきたヒーローまでもボコボコにしても足りないぐらいのゲスな笑い声だった。
自分でも狂気を感じるレベルの笑い声を上げるのも仕方がない。
だって 目の前には鎖で繋がれた下着姿のお姫様(騎士)がすやすやと寝息を立てているんだから。
昼間、あの王立騎士団に囲まれたあの時、俺はにじり寄る手練の刃に恐怖して、肌を貫く猛烈な痛みに諦めの境地達していた。四方八方から襲ってくる槍とか斧とか剣とかで全身は切創まみれ。おまけに刺創に裂創までが体にでき始めていた。
こういう時、普通だったら走馬灯が頭の中を駆け巡るんだろうけど、自分の学生時代を顧みた時なにも無いことに驚いた。そして凹んだ。
多分俺の学生時代の想い出に圧力をかけたらスライスベーコン並みの薄さになってしまうんだろう。
死ぬ事よりも死ぬ過程で見るはずの走馬灯がなにも走らない事へのあまりの怖さに目をつむっておそらく数秒。
来るべきはずの衝撃と痛感神経を刺激する痛みがこないことが不思議で目を開ければ、そこに広がっていたのは王立騎士団の隊形が崩壊していく様だった。
さらによく見れば、先ほどまでいかにもな雰囲気を醸し出していた我が国のお姫様が。目の前で気絶している。そこからの俺たちは早かった。馬の嘶きと騎兵の悲鳴が収まる時立っていたのは俺と佐々木の二人だけになっていた。
そして現在。俺たちは無事盗賊団の管理下にある牢獄に運び込む事ができたわけだ。
「やっぱアレなわけ? 佐々木くんの魔法でどうにかした感じなんだよね?」
「あぁそうっすね~。やっぱ大魔導志望としては王立騎士団の一部隊やニ部隊崩壊させられないとかっこつかないっつーか……。でも先輩だって二、三人の騎士ぶん投げてましたよね」
「そりゃ一応オークだし……多少はね?」
「んじゃぁ姫様の監視頼みますよ。自分隣の部屋で寝ますわ。魔法使って疲れました」
軽く返事をして、隣の部屋に消えていった佐々木くんを視線で見送ると、俺は鎖で繋がれてるお姫様を横目に、持参のかばんの中から水筒と本を取り出して椅子に腰掛けた。
ふぅ~。
ほっと一息とっていうのはこういう事なんだろう。そもそもたくさんの人と会うと異常に疲れる俺が派遣社員をやっていることがそもそもの間違いなんだ。
でもそれもしばらくおさらば。いや……永遠におさらばしてやるんだ。
俺は今回のボーナスで、本格的な就職活動に打って出る。役員面接だろうが。負ける要素はない。多分……。
「正社員に俺はなる!」
「う~ん……」
俺が少し大きい独り言をつぶやくと、お姫様を起こしてしまったようだ。しかしお姫様と何話せばいいんだよ俺。
「う、う~ん」
近寄って顔を眺めると改めて自分との種族の壁みたいなもので劣等感が刺激される。
オークって言うだけで臭い・汚い・怖いって思われがちだし、髪をかき上げれば額から生えている角が逃げられない呪縛のようで嫌だった。
だけど、この眼の前にいる女の子はどうだ。自分と年がそう変わらないはずだけど、出る所は出ているし、髪も金髪でおまけにシルクみたいに柔らかそう。それに自分の鼻とは比べ物にならないぐらい高い鼻。目鼻立ちだけでも生まれも育ちも何もかも違うってあらためて思い知らされる。
少しぐらいは触っても起きないだろうと高を括った俺が、そっと頬を撫でるとプニップニのほっぺたがまるでコンニャクで出来たゼリー見たいな弾力で指を押し返してくる。
こんなに間近で女性の胸なんて見る経験なんて今までなかったけど、大きく深い谷間が出来上がった二つの脂肪の塊は胸というより“おっぱい”って感じに自己主張が激しい。
ウエストはきゅっと締まって、足なんかオークの俺が折ろうと思えば一瞬で折れそうなほどか細い。
上から下までじっくりと観察した俺が、もう一度顔をじっと覗いていると、寝ぼけ眼のお様と目が合った。状況がわからず澄んだ瞳が時間とともに感情で溢れてくる。
「くっ……殺せっ!」
「へ!?」
「嬲られるぐらいなら死んだ方がマシだ! いいから殺せ!」
「えっいや。そんな気無いから」
「そうやって狡猾に私を貶める気だな。ハァハァハァ。この喉の乾き……貴様何をした!」
「あぁ喉乾いたんですか?」
俺は机の上にある水筒を手に取り、コップに牛乳を注ぎ込んだ。
「やめろ! その白い液体はなんだ!? 貴様やめろ!」
「あぁもう……喉乾くか騒ぐかどっちかにしてください」
俺は注ぎ込んだソレを姫の口に注ぎ込む。
「きさまぁ! な、何を飲ませた!? まさか……クソ! 鎖が邪魔で……」
「あぁソレは我慢して下さいね。逃げられちゃうとコッチも困るんで……。でもそうだなぁ……片方だけならいいか」
あんまりうるさいと佐々木くんを起こしてしまう。きっと魔法を使って疲れてるんだ。そのために騒がれちゃ困る。
「はっ何をするんだ!? やめろそれ以上近づくと舌を噛んで死んでやるぞ」
「いやいやいやいや。それすげー困るんで。というかですね。痛そうなんで片腕だけなんですけど鎖外してあげるだけですから。ほんとやめてくださいよ舌噛むとか」
片手の鎖を外した所でこの牢獄の鍵は俺が管理しているわけだし、武器の類だって今佐々木くんが寝ている部屋で管理してある。
「ふっそうやって油断させる気だな。しかし私は負けん!」
この人は一体何と闘っているんだろう……。でも寝起きに俺なんかの顔みて不快になるのも仕方ないか……。俺はギャーギャー騒ぐお姫様を無視して鎖を外して上げた。
「なるほど、見くびられたものだな。私の片腕が自由になった所で勝てると踏んだか……。しかしその油断が命取りだったな……死ね」
鎖を外した途端。俺の顔面に握りこぶしが飛んでくる。
ゴツン!
「痛っ! なにすんだよ!」
骨と骨がぶつかりあって鈍い音を立てる。
幾らオークが人間より分厚い肌だって言っても痛いものは痛い。
「当然だろう私は騎士だ。オークなんかに絶対負けないんだから!」
「あっ……そうですか……」
どうも上手く意思疎通がとれないお姫様に呆れ気味の俺は、さっきまで座っていた椅子にもう一度腰掛け、カバンから最近買った本を取り出した。
内容は、仮想現実の世界を体験できるネットゲームを楽しんでいたはずの主人公が、製作者の企てにより現実世界に戻れなくなってしまい、あげく仮想現実の死と現実世界の死までが同期するという恐ろしい世界の中で仲間と解決策を見出すというなんともキャッチーな作品で、今年を代表する話題作だ。
ネットじゃ、なにかの作品パクリとか、売れてるだけで中身がないとか言われているが、これほど『おいおい、この先こいつらどうなっちまうんだよ』とドキドキとワクワクの一度を提供してくれる作品も珍しい。
もし小説を書く機会があるんだったら、こういう少年の心を忘れさせないものを書ければいいんだけど、どうせ半端者の俺だから、中途半端な設定の冗談みたいなファンタジーになっちゃうんだろうなぁ。
そんなありもしない非現実的な妄想に浸っていると、姫様が話しかけてくる。その声はどこあ不安げで、出会った時のようなそれとは違い儚げで虚ろなものだった。
「ね、ねぇ……」
「なんですか?」
「あ、あのやらないのか?」
「何をですか?」
書くべき書類は全部書いたし、もう俺のやることと言ったら読書しながら朝を待つぐらいしかない。まぁ途中に佐々木くんが起きてくるだろうから交代業務ぐらいか……。
「い、いやだ、だからその……」
「はぁ……」
「い、いやらしい事とか……し、しないの?」
「なんでですか?」
コイツはいきなり何を言ってるんだ。
「こ、この状況よ? 私は女騎士で貴様はオークだぞ」
「はい。だからどうしたんですか?」
「だ、だからその『グヘヘヘヘヘ、貴様は俺の性奴隷になるのだ!』みたいな事を言って……」
「いやですよ。病気とか怖いじゃないですか」
「き、貴様! わ、私がその辺の娼婦かなにかと勘違いしてるのか!」
「いや違いますけど」
「じゃぁ、ヤればいいじゃない」
「その~なんていいますか、オークだからといって常にやらしい事とか考えてるわけじゃないんですよ。それに開き直られても困ります」
「し、しかしお父様が言っていたぞ」
エルフだったら弓がうまくて当たり前。ダークエルフだったら魔法が使えて当たり前。じゃぁオークはといえば、力が強くて低能で脳みそが欲望に支配されてるって感じ。
勿論概ね合ってる。職場のオークの先輩はいっつも女の子のいるお店に稼ぎのほとんどを使っているし、魔法書店の経営者のほとんどがダークエルフだ。
だけど別にそういう奴だけってわけじゃない。きっと俺みたいに、エルフ族で不器用な奴もきっといるはずだ。ソイツも就職活動で苦労していると思うと悲しくなってくる。
「まぁなんでもいいですけどやらないです。そういう事がやりたかったら別の人探してください。それにアナタなら幾らでもそういう人いるでしょ?」
そういうと、途端お姫様は黙り込んで下を向いてしまった。
よく目を凝らすと、お姫様の足元には小さな染みがポツポツと……これは涙?
「お、おい……」
「もう死ぬ! 絶対死ぬ! オークにも相手にされない……もういや」
「え、なんで?」
「だって……だってぇぇぇぇ」
「いや普通そこは安心するところであって、泣く所じゃないでしょ」
「もうさっきから何なんすか? すげーうるさいっすけど」
おそらく佐々木くんの目からはこういう視界が広がっていたはずだ。
鎖で片腕を繋がれたお姫様、ついでにその顔には大粒の涙。そしてその傍らにはオークの俺。更に言えば、佐々木くんの居た部屋にまで響く泣き声。
別に佐々木くんじゃなくてもこう思うはずだ。
「先輩……やっぱそういうの好きなんすね~」
「佐々木くん説明させてくれ。いやこれは理由があって」
「いや最期まで聞かなくても分かるっす。いや俺も自分の彼女を前にしたらそりゃもう野獣っすよ。、あぁ多少の粗相っつ~か。つーか自分邪魔っすよね。ただもうちょっと声のボリュームを」
姫様は泣いてるし、俺は佐々木くんに説明しなきゃいけないし。なにから手をつけていいんかわからなかった俺は叫んだ。
壁に反響した俺の声がエコーのように響くと、静かさだけが残った。
大きい声だしてごめんね。でもね、ほらお互い大人だから分かるよね」
「はい。マジすいませんでした」
「ごめんなさい」
「ううん。全然いいの。むしろ騒いじゃって“ごめんなさい”なのは俺の方だから。全然いいの、気にしてないから。それで君……島津さんっていったっけ? なんで泣いたの? いきなり困るでしょ。こっちも、仕事なのね」
「その淡々としゃべる感じ……。先輩マジ大人って感じっすね」
めんどくさいので放置しよう。
「それでなんでいきなり泣いたの?」
「だって……私……もう……結婚相手が見つからないの……」
「結婚相手!?」
「そうなの……その……もうすぐ十七歳だっていうのにいいなずけの一人も居ないのよ。これじゃぁ一生独りだわ……」
この国じゃ、十五歳で成人だ。お酒もタバコも十五から。だから十七歳っていえば女子は結婚してて当たり前。二十過ぎたら行き遅れだ。
「男はいいわよね……二十歳こえても結婚しなくたって……でもね、私姫なのよ? それなのにオークにまで相手にされないなんて……グス……あたぢなんで……魅力ないだぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ」
一度は止まっていた瞳のダムは決壊寸前。
「いや、でもお姫様なら普通引く手数多なんじゃ……そ、そうだよな?」
「そ、そうっすよ! 腐ってもお姫様っすから」
「小さい頃からお前は国を守るのだと父上に言われ育った。剣術武術、それに用兵も全部学んだ。しかし父上は肝心な事を教えてくれなかった! 私だって結婚したい。恋人と手をつないで湖畔の風に吹かれたい!」
しらねーよ。そんなこと。
「じゃぁもう恋に生きたくても生きれないのなら、仕事一筋で頑張ろうと思った矢先、敵に捕まる……クソっ! 殺せ」
「いやそれは佐々木くんが魔法つかったからできたことだし、素直に彼を褒めるべきなんじゃ……。」
「魔法? あんなの魔法でもなんでもないじゃないか! あんなのに我が隊は……。もう殺せ! 殺してくれよぉぉ」
「そうとう姫様お怒りだけど、君なんの魔法使ったの?」
「おっ気になっちゃいます? 仕方ない……大魔導(仮)が見せましょう。えいっ!」
佐々木くんは持っていた棍棒を姫様に向けるとまばゆい光が辺りを包み込む。
「特に異常は無いようだけど……」
そう言うと、佐々木くんは指を前に立てて横に振った。
「チッチッチッ。まっ見ててくださいよ!」
改めて周りを確認しても異常は確認できなかった。どこかに氷の柱ができているわけでも、火球がどこかに向かって勢いよく動いているわけでもない。
「えっやっぱなんも起きてないけど」
「くそっ貴様! なぜ私に掛けた! し、しかし……ハァン……こんな……クゥ……ことで……私は……まけにゃい……くぅぅぅぅぅ」
「あのさ……何したの……」
「フフフ。よくぞ聞いてくれました。これがあらゆる生物を発情させ、行動不能にする魔法『ムラムラム』です」
「!?」
なんなんだその魔法は!?
しかもその勝ち誇ったような、何か重大な仕事をやりきった満足感のようなものに満ちあふれているその表情はなんなんだ!
「くそっ……こんな魔法で……我が隊は……」
「これにやられる部隊なんか無くなったほうが国のため何じゃないのか」
おもわず俺の口からは率直な感想が溢れるように出てしまった。俺だって納税はしている。そんな魔法でやられる王立騎士団なんて見たくなかった。
「あの時、先輩すげー闘ってじゃないですか。それで俺もなんとかしなきゃと思って魔法掛けたのにソレは酷いっすよ」
「でもねでもね。普通さ、魔法使いって最初ちっちゃい火の玉出すとかさ。氷のツブテを敵にぶつけるとかそういう……」
「そういう常識とか俺よく分かんないっす。俺通信教育なんで。教科書これなんすけど……」
そういって出された魔導書には『勝ちまくりモテまくり! 大魔導講座』と書かれた表紙が。これあれだ。雑誌とかの裏に書いてある胡散臭い広告そのものだ。
「佐々木くん。これどこで知ったの?」
「雑誌の裏っす」
あぁもう頭がひどく痛む。
「そ、そんなことどうでもいいから……カラダが熱い……魔法なんかに……どうにかして……」
「おい佐々木! 早くどうにかしてさしあげろよ」
「無理っす。時間解除のパターンの奴なんで」
なんでちょっとにやけてんだよ。あぁ俺の佐々木への尊敬の気持ちを返して欲しい。
「そもそもこんな魔法で隊が全滅なんて話聞いたこと無いぞ」
「いやなんか馬にかかっちゃったらしくてですね。全員落馬っすよ。んで姫様はなんか気絶したって感じっすかね」
「あぁそうなんだ。凄いね君。そのなんていうの戦場でその魔法使える度胸とか俺には無いよ」
「あざっす!」
俺も誘拐の片棒担いでる身で何か言えたもんじゃないけど、そんな魔法に全滅させられたお姫様が不憫でならなかった。