第十話 制限解除
前回出てきたベーシックルーンとコンプレックスルーンの説明は第十三話で詳しくふれられます。
簡単に言っておくと、
ベーシックルーン:人類が誕生する前から存在していた魔法言語
コンプレックスルーン:人間が作り上げた魔法言語
ちなみに……ベーシックルーンは一つの言語体系として独立しているため、普通の日用言語として使用することも可能です。ただし、母音や子音一つ一つがやたら長ったらしかったり、人間文化が編み出した道具を言い表す単語がなかったりするため、魔法を使うとき以外で好んで使用されることはありません。(例、たまごやきが「たーまーごーをー焼ーいーたーもーの」になったり? 詳しくは考えていません)
胴回り10メートルはあろうかという巨木の根元に黒づくめの少女が立っていた。
(あれ、ボードを落としちゃったみたい。さっき戦っているときかしら)
ソフィーは自分の腰の後ろをまさぐっていた。ベルトの内側に差し込んであったはずの板がなくなっていた。
(仕方がないか)
ソフィーは装着したままの指輪をコンコンとこづく。宝石に光が灯りすぐに新しい板が出現する。しかし板にはすでに魔法陣が描かれていた。
(あら、魔法陣を描いたまま収納しちゃってたみたいだわ。半年前のものかしら、こんな魔法陣も描いたっけね)
彼女は素手でゴシゴシと板をこすって魔法陣を消すと、チョークを使って新しく陣を描き始める。
「あの男、追ってきませんね」
(私たちの飛ぶ速度があちらより上回っていたのよ。当然だわ。ここの森はのっぽ草から極太根っこまで障害物が盛りだくさんなんだから。それが嫌で私も飛んで移動しているわけだし)
ソフィーは魔法陣を仕上げると、ボードの上にガラスケースを置いた。マナを補充する際に用いたものとは別のもので、内部には赤い液体が満ちている。
(うーん。かなり簡易的なものだし、もって三時間ってところかしら)
ガラスケースが落ちないよう気をつけつつ、ソフィーがボードを地面においた。そこは木の根が二股に分かれている場所で、草もふんだんに生えているため敵の目にはまず見つからないだろうと考えられた。
ソフィーが右手をジグザグに振るう。ボードの上のガラスケースが赤い光を帯びた。
(コンプレックスルーン、設定完了っと)
ソフィーがまた右手を振るった。これまでとは段違いに複雑な軌道を描いている。その後ですぐに右手を確認する。
彼女の右手の人差し指の先に小さな炎が灯っていた。その隣、中指の先には小さな水の玉が浮いている。
(うん。まあまあね)
ソフィーは息を吹きかけて炎と水を消し飛ばすと、そばに立てかけておいたワイヤロープをつかんだ。ロープはすでに飛翔魔法用に変形済みである。
「出陣ですか……」
(と、その前に)
ソフィーは再び指輪をこづいて板を取り出す。彼女はせっせと板に何かを描き記している。そしてもう一度指輪をこづくと、板が彼女の手から消滅した。魔法で格納したのである。
「何をしたのですか?」
(ちょっとデブ男対策をね。実をいうとコンプレックスルーンを設定した理由って、大部分が今の魔法陣を描くためなのよ。まあそんなことはどうだっていいわ。時間も惜しいしすぐに出発するわよ)
少女の身体が上昇していく。
☆ ☆ ☆
「どうやっておびき出すつもりなんですか」
ソフィーはこれまでの進路を逆にたどりながらイシュリーンを探している。
(どうやって、って。そんなの簡単じゃないの)
ソフィーはニコッと可愛らしくはにかんだ。魔法陣が輝きを増すと、少女の身体がどんどん上空へあがっていく。
ある程度の高度にくるとソフィーはそこにとどまり、仮面を頭から外した。ため息をつく仮面を無視し、彼を身体の前に掲げる。
(さあさあ、どうぞどうぞ。私は関わらないから、出来るだけ過激な言葉でレッツシャウトッ)
「え、ええと。じゃあ……」
仮面から爆音が響く。
「おおおおおおおいーーーーーーーいいいいいいいい!!! 火吹きデブ男くううううううーーーんんんん!!! 脂肪と筋肉が自慢のおおお!!! 世紀末ハイブリィィィィッドダンディィィィーーーーーー!!! 君が求める少女はここに浮いているぞおおおおおおお!!! 彼女の名前はソフィー・グランマレッド16さああああああい!!! 無鉄砲でがさつな男勝りの16さあああああああい!!! 小さな胸にお悩み中の16さああああああああ――――うわあああああああ!!!! 止めてやめて!! 目え回るからソフィー!!」
ソフィーは仮面を自分の胸にガツンガツンと叩きつけていた。一秒に三回の超高速ペースを保っている。彼女は笑顔のままだ。ただし底冷えのするような冷酷な笑みである。
「目、目まいがするの!! ソフィーだって、痛いでしょう!! 」
(うん? 何か言った?)
「や、や、や! 壁じゃない!! 胸があるから痛くない!! 弾力たっぷり!! ぷりっぷり!!」
ソフィーはようやく仮面を解放して、頭に戻してあげた。
「オゲェ。気分悪い。死ぬかと思った」
(過激の意味をはき違えるんじゃないわよ、まったく。――――あ、でもやったよベル。あそこを見て!)
ソフィーは眼下の一カ所を指さした。
広大な森林地帯の中で、一本の樹木が左右に揺れている。やがて一人の男がひょっこりと顔を出した。男は大きく手を振ることで自分の存在を知らせようとしていた。遠目でも確認できる。彼は間違いなくイシュリーンだった。
(ふふふ。声って、やっぱりいいものね。ベル、今度は気をしっかりね。じゃあ行くよ!)
ソフィーはイシュリーンに向かい矢のように飛んでいく。